第48話 不許脱兎

「・・・ふう」

 鼻筋を叩き潰され意識を失ったクラウだかソラスだかを前にして、久秀は大きな溜息を吐くと、そのままべシャリと尻もちを付いた。

「おや、お疲れですか?」

「決まっておろう」

 げっそりと疲れ切った顔でそう話す彼女の脚もまた疲れ切っているのか、立ち上がろうにも寸とも力が入らない。辛うじて力が残った両腕が背中から倒れ込むのを防げているが、正直なところ、さっさと汗を流して帰って寝たいものだ。

「まあ・・・しかし」

「はい」

「まさか、こんな所にまで刺客が紛れ込んでいようとは。あ奴、どれだけ恨まれとるんじゃ?」

「さぁて。見たところ、大衆には好かれているようですが」

「そんなもの、領主の人品を図るにおいてはものの頼りにはならぬ。日々の暮らしさえ立ち行けば、統治者の資質になぞ頓着せぬのが大衆じゃからな」

 いくら大衆にとって理想的なまつりごとをしようと、形勢不利とみれば躊躇なく裏切り侵略者に尻尾を振るのが大衆だと。相変わらず、こと統治や権勢といった観点については久秀は、とてもシビアであった。

「しかし・・・おっと、失礼を」

 その久秀の物言いに何かを言いかけた果心であったが、それを中断して久秀の胸元へと潜り込んだ。

「ちょ、ちょ!お主なにを!?」

「ご安心を。蜜壷にまでは入り込みませんから」

「そういうことでは・・・あぅ」

 もぞもぞと素肌に擦られる鼠の毛の感触に、自然と口から艶のある声が漏れる。その、女子そのものの声に赤面しつつ、久秀は襟元を指で持ち上げて中にいる果心へと問いかけた。

「・・・で、何故じゃ?」

「どうやら、敵のかけていた幻術がそろそろ解ける模様なので。流石に、入場の時にいなかった小生が人目に触れる場所にいる訳にはいかないでしょう?」

「・・・じゃってものう。せめて、一声くらいはあっても罰は当たらぬぞ?」

「だから、失礼と言ったでしょう?それに、悠長をやる余裕は無いと思ったものですから」

 断ったのなら、せめて返答を聞いてから行動に移せ。そう言い返そうとした久秀だったが、

「・・・うむ?」

 シンと静まりかえった闘技場に、おや?と首を廻らす。なにせ、観客からすれば今まで一進一退の攻防を繰り広げていたはずなのに、土煙が開けたそこに見えたのが打ち倒された双子剣闘士にへたり込む久秀なのだからパニックとまではいかずとも、ある程度のざわめきはあるだろうと予想していたのだ。

 しかし、現状はこうだ。何故かと観客の顔を見渡して、その向く方向が1つの方へ向いており、それが自分で無いと見た久秀は「では誰ぞ?」と思ってその方へ眼を遣って、「・・・ははあ」と合点を降ろした。

 衆目の先、実況席の窓から顔を出しているのは誰であろう、フェデレーコ=セモベーツェその人だった。

「諸君」

 マイクを片手にそう静かに呼びかけると、観客たちは皆一様にコクンと頷く。

 観客が頷き、静まり返ったのを見てとったフェデレーコは大きく息を吸うと、

「長い闘いだった!が、今ここに、今大会の勝者が決まった!それは、この者!」

 ザッと、右手でフィールドを指し示すフェデレーコ。伸ばされた指の先には、へたり込む久秀が指されている。

「勝者、レディ・ダン!」

 その言葉と共に、観客たちは一斉に「ワアアアア!」と歓声を上げ、ある者は柏手を打ち、ある者は指笛を吹き、そしてある者は諸手を挙げて騒ぎ出す。それらに共通するのは、彼が指し示した勝者を称えようという感情、そして陶酔感であった。

 この一連の光景を見る限りにおいて、ああは言ったもののフェデレーコの手腕とカリスマ性は偽物では無いと、疑り深い久秀も認めざるを得ない。

「だが、とても悲しいことに、私は急な仕事が入ってしまった!したがって、予定されていたこの後に行われる私からの表彰は中止となった!」

 歓声から一転して「ええ・・・」と客席からは残念、と言わんばかりの嘆息が零れる。

「勿論、表彰式は執り行うが、私はここで失礼する手前、代わりに総支配人のアンドルーが表彰を行うことになるだろう。だが!それでは勝者である彼女に失礼。よって、優勝者であるレディ・ダンには後日、公官庁において私から栄誉を授けたいと思う。以上だ!」

 そう、言うだけ言ってフェデレーコが奥に引っ込むと、マイクを押し付けられた実況者が困惑顔を浮かべながらも仕事人根性で実況を引き継いだ。

「そ、それでは!暫しの休憩の後、優勝者であるレディ・ダンへの表彰式を執り行います!観客の皆さまにおかれましては今一度、栄光を手にした麗しき女戦士、レディ・ダンへ大きな拍手を!」

 その呼びかけに、初めはざわつきが収まらなかった観客たちも三々五々、しかし数十秒後には一斉に、大きな拍手を久秀へと手向けた。

 そして、そんな大きな拍手を賜った久秀は、と言えば。

「・・・はあ」

 と、何とも言いかねる溜息を吐く。

 その吐息を聞いて、掻き上げた彼女の胸元から、もぞもぞと果心が顔を出した。

「おやおや。終ぞ日ノ本では得られなかった大盛況ですのに、お気に召しませんか?」

「ではない」

「ほほう、では?」

「では、ないがの・・・・・・じゃが、フェ坊の言い様じゃと、後で話があるとのことじゃて」

「でしたね。しかし、そもそもこの試合に出させられたのは貴女の腕試しです。なら、次に来るのは・・・」

「・・・本命の、仕事の依頼、と」

「でしょうね」

 それがしんどいのじゃ、と久秀は大きく天を仰いだ。もう時分は夕暮れも近く、空の色もようよう紅く染まりつつある。

「でしょうね。ですが・・・」

「?」

 含み笑いと意味深さを混ぜ込んだ果心の台詞に、久秀は珍しく黙って次を待つ。余程疲れているようだ。

「だとしても、勝者には勝者の責務があります・・・と、御大層に言うことでもありませんね。取り敢えず、手でも振ってあげてはどうですか?」

「こうかの?」

 座り直し、右手を観客席へと向かって振る。そうすると、まるでその動きに応えるかのように、観客席からは大きな歓声が上がった。

 そうして、大きな歓声と称賛に包まれる闘技場。久秀はその空気が少なくとも、嫌いではなかった。


「・・・フゥ・・・フゥ・・・」

 カツ、カツと石造りの廊下を黙りこくったまま1つの影が足早に進み、闘技場を歩き去ろうとしていた。粗い地の外套を纏っているので判別はつきにくいが、その歩き方と呼吸音に混じる声の高さから判断するに、どうやら女性のようだ。

「・・・フゥ・・・フゥ・・・」

 彼女の行く手にも、通り過ぎた廊下にも人っ子一人いない。それは、彼女が人目を避けているということもあるが、そもそもまだ闘技場では久秀が歓声に応えている最中であるからして、人が少ないのは至極当然のことだ。

「・・・フウ」 

 そうして無言のまま彼女は廊下を進み、1段飛ばしで階段を下りたところでようやく立ち止まると、物陰に隠れるように柱と柱の隙間に潜り込んでからやっと、安堵の息を吐いた。

「・・・取り敢えず、ここまで来れば―」

 しかし。

「うぅ!?」

 大丈夫。そう言い終える前に、彼女の大腿へ1本の矢が突き刺さった。声を上げぬよう外套で口を覆ったせいで、くぐもった悲鳴が漏れる。

「な、こ、これは・・・」

 力が入らずヘナヘナと崩れ落ちながら、彼女は信じられぬものを見るような目つきで、自分の大腿から飛び出した矢羽根を眺める。それはどう見ても矢であり、そのことは傷口から流れ出てブーツへと染み渡る、ヌラヌラした液体からも明らかだ。

 と、そこで。

「それは矢ですよ」

 先ほど彼女が降りてきた階段の方向より、何者かの声が彼女へとかけられる。それと同時に先までは聞こえなかった足音がコツ、コツと1歩1歩、彼女の元へと近づいて来ていた。

「だ、誰だ?」

 その誰何から判断するにどうやらこの女、そうとう混乱しているらしい。

 今まで足音が聞こえなかったということは、それを聞こえぬよう隠していたか、彼女の逃走ルートがここだと当たりを付けていたのかのどちらかで。どちらだったとしても矢を射って、今こうして階段を降りてきているその者が相当の手練れであることは容易に想像がつこう。

 で、あれば。

「名乗る名は無い」

 そう返されることもまた、容易に想像がつこうものだ。

 いや。そもそもその前に、そんな誰何なぞ悠長にしている場合ではない。ゆっくりと降りてきている内に、とっとと這いずってでも逃げ出すべきだった。

「ヒウ!?」

 だが、もう遅い。彼女がその視界に追手を捉える前に弦を引き絞る音がして、次の瞬間にはもう片一方の大腿へと矢が突き刺さった。これで、まず逃走は叶うまい。

 ガックリと首を落とし、「ヒィ・・・ヒィ・・・」と短い悲鳴を上げながら柱の隙間へ尻を押し込めるように、彼女は後ずさる。

 それが無駄だ、と分かる知性も忠告してくれる友人も、今の彼女には存在しない。

「・・・ねえ」

 数分後が数秒後か、それすらも判別出来ぬほどの時間の流れの後、彼女の旋毛へと声が投げ落とされる。

「聞こえてるの?」

 ガタガタと、体を震わせる。

 ガチガチと、恐怖で歯の根が合わない。

 旋毛から背骨を貫くかの如き、冷たい声音だ。そのトーンから同姓だと分かるが、そんなものは何の保証にもならない。

「・・・そう」

 しかし、耳へと飛び込んで来たキリキリと再度弦を引く音が、彼女の意識を取り戻させた。ガバ、と頭を持ち上げて、声の主を見上げて叫ぶ。

「き、聞こえています!」

「そう。でも、静かに」

 その言葉に、両手で自分の口を塞ぐ。

「それで、貴方もあの連中の仲間ってことで・・・良いのよね?」

 ブンブンと、まるで壊れた玩具のように首を振る。誤魔化そうとか良い逃れようとか、そんな猪口才な発想は既に、彼女の脳内からは投棄されていた。

「ありがとう。じゃあ・・・」

「ヒュ!?」

 瞬発、と表現するのが相応しいか。

 バネ仕掛けの絡繰り細工みたいに。一瞬で伸ばされた追手の腕が潜り込むと、その手が彼女の喉元へと食らいついたのだ。

「ヒッ・・・ヒュッ・・・」

 微かな呼気が、喉から零れる。後ホンのちょっとでも力を込めれば、忽ち頸動脈か喉が絞まり切って、彼女の意識は闇の底へと沈んでしまうだろう。その恐怖に、彼女は目を大きく見開いた。

 と、そこでホンの僅かに、彼女の首を絞める力が弱まる。

「ゴホッ!ガホッ!・・・は、はあぁ」

「最後に。この闘技場にいるのは、あの連中以外には貴女だけ?」

「あ・・・の・・・?」

「あの、クラウとソラスとか言うの以外に、仲間はいないの?答えて」

 ググッと僅かに込め直された力に、彼女の生存本能は考えるより早く首を大きく振った。

「分かったわ。それじゃあ」

「た、助け・・・」

「殺しはしないわ。運が良ければ、また会うこともあるでしょう」

 そう述べられた言葉を、彼女はどこまで聞き取れただろう。

 再び、そしてさっきよりも強く込められた万力のような力で、彼女の喉はキツく絞めつけられる。血が行かなくなり、ぼんやりとしたまま少しずつ、欠落していくように彼女の意識は失われていく。

「ああ、もう。私だって、ダンジョーさんの勇士が見たいのに」

 観客席の方から大きくドッと響いた歓声を聞いてそう呟かれた追手の言葉の半数も理解できないまま、彼女の意識は闇へと落ちていった。

 

 

 

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松永久秀の異世界流離譚 駒井 ウヤマ @mitunari40

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