第47話 合力招勝

「ぬ!?」

 真後ろから飛来した光弾を、久秀は身を捩り間一髪で躱す。髪を焦がす嫌な臭いが鼻腔を擽るが、そんなものに頓着する余裕は今の彼女には無い。

「次は・・・右か!」

 更に、ほぼ同時に自身の右方から飛来した光弾を、今度は華麗なバックステップで躱す。されど、されど。

「・・・ふう」

 挟撃を見事に避けきったにもかかわらず、息を吐く彼女の険しい横顔に、余裕の色は戻らない。

 その理由は単純明快。後方と右方から攻撃が飛来したにもかかわらず、彼女の瞳に映る対戦相手のクラウとソラスは相変わらず鎖で繋がれたまま、久秀の正面にて剣を構えているからだ。

 そして、その目に映る方の彼らは鎖をラリアットの要領で振り被り、ブチ当てようと接近してくる。が、それに対して久秀は何ら見向きもせず。むしろ他の手を警戒するように辺りを見渡す彼女をその彼ら、否、彼らの『映像』はすり抜けて通り過ぎた。

 瞬間、ワアと猛りを上げる観衆の声援から察するに、どうやら彼らの眼に映る久秀の『映像』は、その攻撃を間一髪か見事にかは兎も角、躱したらしい。

「やれやれじゃ。歓声を上げておる連中にこの、本当の光景を見せてやりたいものじゃて」

 憎まれ口を叩く久秀だが、その額から冷たいものが1筋流れ落ちる。彼女とて魔術についてはこの世界に来て、そして果心よりある程度の薫陶を得たから満更の素人では無いが、流石にこの状況は予想外過ぎた。

 まさか魔術攻撃が原則禁止の剣闘試合で、相手からこんな攻撃を受けるとまでは予想しておらず、始まってから対処するには彼女だけの腕では不足が過ぎた。少しでも身動きを機敏にしようと、魔術攻撃や妨害に対抗するための護符の類を全て置いて来てしまったことも裏目に出たと言えよう。

「っと、ぬう!?」

 しかし、そんな僅かな後悔すら、今の彼女には贅沢な時間の使い方だ。

 なにせ現状、久秀は目にも見えず音も聞こえぬ相手からの攻勢を、武士としての経験と勘働き、光弾が迫る気配だけを頼りに躱し続けているのだ。目と耳を塞いでいるに等しく、並大抵の集中力ではこなせない所業である。

(・・・確か、草の者はこういった鍛錬を積んでおると言っておったか?)

 記憶によればあれは、義昭公を京に迎えた頃の時分。幕臣であり甲賀に領地を持つ和田惟政から、そんな話を聞いた覚えがある。残念ながら、その数年後に惟政は摂津で討ち死にしてしまったのでそれ以上のことを聞くことは出来なかったが、現状を思えばもっと聞いておくべきだったか。そう、久秀は軽く後悔した。

 もっとも、その当人が討ち死にした戦の相手は、その時分に彼女が合力していた三好三人衆であったのだから、『どの口が』案件ではあるが。

「のを!」

 と、そんなことを考えていた罰が当たったか。

 遂に回避しそびれた光弾が、久秀の左腕を強かに打った。それに続いて連続的に撃ち込まれなかったことは、彼女にとって奇跡と言って良いだろう。若しそうされていれば、衝撃と痛みで動きの鈍った久秀なぞ、忽ちに打ちのめされていたことだろうから。

 だが、これまで数多の攻勢を凌ぎ切られた経験から慎重になっていた敵が当たるが幸い、当たってもジワジワという戦術に切り替えていたことが幸いした。ヒュンヒュンと散発的に飛び来る光弾を躱しながら何とか体勢を立て直した久秀は、痛みと共に「フウ!」と大きく息を吐き出した。

「凌いだ・・・か?」

 危なかった。若し、これが背中や足に当たっていたら。そして、以前にこういった魔術による光弾を喰らった経験が無かったら。流石の久秀でもヤられていたかもしれない。

 勿論、だからと言って無事とはとても言えず。光弾を受けた左腕にはジンジンと、まるで大槌で殴られたかのような痛みと熱感が襲い、真面に力が入らない。控えめに言って、大きな痛手だ。

「やれやれ、喰ろうてしもうたか・・・歳は取りたくないのう」

 しかし久秀は痛みで顔を顰めつつも、その飄々とした口ぶりは崩さない。

 軽く手を握るだけで腕全体へと走る左腕の痛みは辛いが、それも彼女がまだ生きている証なのだ。それに、窮地だからと言ってさも『窮地でござい』という表情をするのは彼女の、武士としての矜持が許さなかった。

 だから、久秀は目いっぱいの虚勢を張って、不敵な笑みを絶やさない。

「・・・しかし、幻術がかかっておって良かったわい。こんなザマ、あ奴らに見られとうは無いからの」

「おや、それは誰のことで?」

「決まっておろう。鼠になったあん畜生の・・・・・・って、果心!?」

「はい。お久しぶりのところ悪いのですが早速、失礼します」

「なん・・・あ、痛!」

 カプリ、と果心に耳たぶを噛みつかれた痛みに顔を顰めるのもそこそこに、久秀は大きく目を見張ることになる。ついさっきまで彼女の眼に映っていた対戦相手が掻き消され、隠れていた魔術師どもが白日の下へ晒されたのだから。

「う、む?」

「貴女にかかっていた幻術を解いただけです。しかし・・・その調子ですと、折角小生が作って渡した護符は、お持ちでない様子」

「おお。邪魔じゃと思うて置いてきた」

「まったく、貴女という人は。そういった油断が死を招くのですよ」

「油断ではないわい!ただ、試合の法度に合わせただけじゃ!」

「それで負けては様が無い、と。小生が来なければ、どうなっていたでしょうね?」

 そう言われては、久秀としては返す言葉が無い。しばしの沈黙の後、

「・・・・・・すまんかったの」

 そうポツリと、肩の上の果心にのみ聞こえるくらいの小さな声で囁いた。

「おや?随分と素直ですね。何か、悪いものでも食べましたか?」

「貴様、言うにこと欠いて・・・」

「はは、冗談です。それに、お礼は小生へより、ミルシ嬢へとお願いします」

「あ奴にか?」

 予想外と口にする久秀に、果心は「是」と短く答える。

「ええ。小生もこの事態に頭を抱えるだけでしたが、彼女が小生を援兵に送ることを思いついたのです。なので、小生がここにいることは即ち、彼女の成果と言えるでしょう」

「そうか・・・あ奴め」

 嬉しそうに、久秀はクスリと笑う。こんな殺伐とした場で見るには勿体ないほど、慈愛に溢れた和やかな笑顔だ。

 勿論、こんな会話を繰り広げている間も敵からの攻撃は続いている。しかし、目で見て分かる位置から繰り出される散発的な攻撃程度なら、こうしてお喋りしながらでも躱すことなぞ彼女には、造作も無いことだった。

「おう、驚いておる、驚いておる」

「ですね。向こうにこちらの状態がどう見えているかは分かりませんが、急に身のこなしが良くなった訳ですから。さぞや、驚いていることでしょう」

「良い気味じゃ」

 ハン、と鼻で笑い、嘯く。

 若し対戦相手の彼らが正々堂々、実力勝負を申し出てきたのなら。久秀も統治者である前に武士である。実力伯仲の結果が敗北なら、受け入れてやる心算だった。

「さて・・・では」

「ええ。仕掛けましょう。こちらの英気は十分です」

 だが、しかし。彼らは奇策に出て、謀りに出て、そして法度を破った。ならば、そんな連中に武士の情け、御仏の慈悲は不要だろう。

 左腕の具合を確かめながら、ギラリと殺気走った目で睨めつけて、久秀は告げる。

「ならば・・・殺るとするかの」


(・・・何だ?)

 クラウは、訝しんだ。どう考えても、相対するレディ・ダンと名乗る少女の動きは今までのそれと丸っきり違う、と。

 勿論、このクラウ、というのは偽名だ。しかしその名、そしてその双子剣闘士という身の上は、この試合に出るにあたって彼らに着せ込まれた表皮テクスチャであるから、彼の自意識の中では自分は『クラウ』であり相方は『ソラス』なのである。

「・・・チィ」

 疑問を解くため、クラウはトントンと自身の首筋を叩いて、右斜め前に位置するソラスへと念話と飛ばした。この距離で、且つ自分たちくらい手練れの魔術師なら、魔道具を使わずともそれくらいの芸当は可能だ。

「・・・ソラス」

「どうした?」

「敵の動き、見違えるようじゃないか?」

 その問いに、ソラスはコクンと頭を動かした。つまりは同意、若しくは肯定の意だ。

 では、間違いはあるまい。

「破られたか?」

「恐らく。では・・・」

「いいや。それはまだ早い」

 敵がこちらの策を破ったとあれば、彼らにはとるべき事後の策が存在した。即ち、予め備えておいた大規模魔術によって、領主フェデレーコ=セモベーツェごとこの闘技場全体を焼き尽くすというセカンドプランだ。彼かソラスのどちらかが合図を送れば、それは忽ちに実行されるだろう。

 しかし、その策を実行に移すことを、クラウは首を大きく振って否定した。

 それをすれば、確かに目的であり依頼であるフェデレーコの抹殺は果たされるだろう。しかし、それと同時に彼らもまた、命を失うことは必定であった。そのくらいの威力でなければ、万が一にもフェデレーコが生存してしまっては意味がないからだ。

 が、そうそう魔術師である彼らが、軽々に自分の命を差し出す覚悟を持てはしない。そんな手を使わなくても、このまま対戦相手のレディ・ダンを打ち破れれば。そうして優勝の栄を手に入れて、その証を彼らの胸にかける領主と対面できれば。

 労せず、命を失うことなく、彼らは依頼を達成することが出来るのだから。

「このままだ。敵も弱っているから、このまま続けていれば勝てる」

「そうか?」

「そうだよ。見なよ、奴の動きを」

 確かに、避ける動きは見違えるように良くなった。

 しかし、それだけだ。回避に専念しているのは相変わらず。そして先までとは異なり、唯一の武器である木剣を構えることも止めて腰のベルトへ差し込んでしまっている。

「剣を構えることも出来ず、腰に直して逃げ回るばかりじゃないか」

「そうだな」

「左腕に喰らって、まともに持ってもいられないんだろう。あと、もう一息だろうし・・・」

 このまま、と言いかけて、クラウは考えを改める。こちらの術が破られて、戦いの潮目が変わった可能性がある以上、呑気に持久戦を続けるのはリスクが大きい。それならば、いっそ。

「いや・・・仕掛けよう」

「何だと、やる気か?」

「そうだ、僕が行く」

「・・・じゃあ、そうするか」

「けど・・・ちょっと待て」

 クラウは、右腕に繋がれたままだった鎖を外す。ドシャリと落ちた音を聞けば、どれだけの重しを抱えていたのか分かろうものだ。初めはここまで苦戦する心算が無かったから、戦いの後に縛り直すのが面倒だからそのままとしていたが、こんなことならもっと早く外しておけば良かった。

「これで良し」

「では」

「ああ。行くよ」

 タッと、フィールドを蹴りクラウは一気に距離を詰めるよう動く。そして、それと同時に左腕に握っていた剣をも手放し、両腕に魔力を溜める。

 更に、敵へと近づこうとする彼の動きをサポートするように。ソラスが光弾を彼女へと撃ちまくってその足を止めさせる、ナイス判断だ。

「むお!?」

(・・・やはりか)

 驚きの声を上げて立ち止まる彼女の動きに、心の奥底でクラウは笑みを浮かべる。迫る自分の動きが見えているとすれば、普通ならたとえどれだけ光弾が降り注ごうと動きを止めるはずがない。

 ならば、相手は普通の状態では無い。彼の想像通り、咄嗟に足を止めてしまうくらいには弱っているのだ。

 「だが!」

 それを衝くことは、卑怯ではない。弱らせたのがここまで彼らが行った攻撃の結果なら、それに乗じることはむしろ、当然の帰結だ。

 そう断じつつ、クラウは限界まで魔力を溜めた両腕をレディ・ダンへと差し向ける。彼女の両目は驚きでか大きく見開かれ、防御の姿勢をとるが、

(間に合うものか!)

 内心で、クラウは彼女の無知を嘲笑う。彼が丹精込めて注ぎ込んだ魔力の奔流が、そんな細腕2本程度で防げるものか。

 が、しかし。

「な!?」

 そんな余裕も嘲りも、次の瞬間。彼の中から消え失せた。

 健気に身を固くしていたはずのレディ・ダンの姿が、それこそ魔術のように視界からパッと消えたのだ。

「ど、どこへ!?」

「下だ、クラウ!」

「下ぁ!?」

 ガバッと下へと目を落とすと、前に差し出した両腕の隙間からクラウの股座を潜り抜ける黒髪の残像が見えた。慌てて股を閉じるも、既に彼女の体躯は通り過ぎており、その滑らかな髪を挟んで止めることすら叶わなかった。

 だが、気が付いた時には既に遅し。既に発射体勢にあった彼の両腕の魔力は奔出し、何も無いフィールドの地面へと叩き付けられた。

「うお!?」

 いや、何も無い訳はない、母なる大地がある。強大な魔力の一撃を受けた地面へは大きなクレーターが出来上がり、押し出された砂や土がクラウを包み込むように巻き上がった。

「ど、どこだ!?」

「こっちへ来い、クラウ!兎に角合流だ!」

「わ、分かった!」

 半ばパニックになったクラウは耳朶を打った聞き覚えのある声に従って、遮二無二足を動かした。

「クラウか!?」

「ソラス!」

 ようやく濃い土煙を抜けて巡り合った相棒の顔に、クラウはホッと一息を吐く。吐いてしまった。

 敵がどこにいるのかすら分からないのに、安堵でつい気を抜いてしまったのだ。

「!?」

 そんな油断を咎めるかのように。ヒュンと風を切り、土煙の幕を切り裂いて飛来した物体が、彼の右腕へと巻き付いた。その衝撃と痛みに顔を顰めつつその物体を見遣れば何ということだろう、それは彼がさっき外した鎖ではないか。

「これは!?」

「ぬお!」

 更に、その鎖はまるで意志を持つかのようにうねるように動くと、同じく驚きで立ち竦むソラスの左腕へと絡みついた。丁度、彼らがフィールドへと入場してきた時と同じように。

「何だこれは!?」

「何とは面妖な。そうしているからこそ、貴方がたは二人一組で小生の愛しき人と相対することが出来るのでしょう?」

「「はあ!?」」

 2人の脳内へ直接、念話の要領で聞き覚えの無い声が響く。

 しかし、そんなはずが無い。予め魔術的な繋がりを持たせていない相手へ念話を届けるなぞ、彼らの師匠にも出来ないことだ。

「このまま小生の手で始末してもいいのですが・・・」

 だが、ならば。この声は何だ?彼らの脳裏を貫くような、彼らへ宣告するようなこの声は、いったいなんだ!?

「それでは気が収まらぬと言うので・・・お任せしますよ、弾正殿?」

「応さ」

 今度は直接耳から聞こえてきた短い言葉に、2人して首を廻らせてその方を見る。すると、又しても何としたことか。そこにはこれまた彼が放り捨てた剣を上段に振り被って、レディ・ダンが肉薄しているではないか。

「いつの間に!?」

「呆けておるからじゃ、たわけ!」

 ひっ、と思わず首を竦めるクラウを文字通り踏み台にして、レディ・ダンは飛んだ。

「他人を踏み台に―」

「よく喋る!」

 そうして漫然とそれを眺めるソラスへと矛先を変えた剣筋は、勢いよく彼の脳天へと叩き込まれた。

「ぷあ!?」

 刃は潰してあるから、唐竹割りのように切り裂かれはしない。だが、その重さと振り下ろされた勢いは、彼の頭骨を打ち砕くには十分過ぎた。押しつぶされて破裂した眼球から鼻から滂沱のように血を流してソラスは仰ぎ倒れ、そして。

「ああ!?」

 繋がれた鎖に引き摺られるように、クラウもまたズシャリと地面へと倒される。そうして仰ぎ見た視線の先には、腰から抜いた木剣を構えるレディ・ダンの姿が逆光で影となって照らし出されていた。

「あ、ああ・・・」

「ようも、謀ってくれたのう」

 その姿は彼の眼にはシルエットと化して映し出されており、そう言う彼女の表情を伺うことは出来ない。ただ、言葉を紡ぐ口だけが、ポカリと洞のように開いて見えた。

「・・・こ、降参する。た、助けて」

「とのことじゃが?」

「ご冗談を。それに、貴女もその気は無いでしょうに」

「まあの」

「や、止め―」

 しかし、懇願するように差し出されたクラウの右腕も、怯えて揺れる視線をも無視するかのように。木剣は躊躇なく彼のその指を掠めて振り下ろされ、

「―て!」

 鼻先に微かに熱感を感じたところで、クラウの意識はプツンと途切れた。

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