手毬花は枯れない

有理

手毬花は枯れない

「手毬花(てまりか)は枯れない」


川口 千紗(かわぐち ちさ)

椎堂 壱果(しどう いちか)

河崎 啓太 (かわさき けいた)


兼役

千紗母→壱果役

千紗父・N→啓太役


※最後、千紗役の方に台詞を考えてもらうところがあります。思う言葉を入れてください。



千紗N「暗幕を下ろした視聴覚室と」

壱果「ちーちゃんの何もかもを私にくれますか」

千紗N「喉に当たる彼女の八重歯に胸の奥が切なくなる。」

壱果「私の1番を奪っていく、盗っていくのはいつも、」

千紗N「ねえ、壱果ちゃん。私達はあの日どうしようもない恋をしたね。」


啓太(たいとるこーる)「手毬花は枯れない」


___


千紗N「レースのカーテンが揺れる、日曜日。駅から少し離れたこのマンションは2LDKの新築。カウンターキッチンから聴き慣れた声が飛んでくる」


啓太「外、凄い雨だね。」


千紗N「大粒が跳ねる音がする。彼は今日も変わらず穏やかで。水溜まりを滑る車の音とキッチンから香るコーヒーの匂い。この時間が私は何より好きだった。」


啓太「今日、やめとく?」

千紗「ん?」

啓太「いや、だから。雨凄いからさ。」

千紗「ううん。今日行く。雨確かにすごいけど、替えの効かない日だから。」

啓太「…そっか。」

千紗「けいくんは家にいなよ。」

啓太「いやそういうわけにはいかないよ。」

千紗「…いいよ。ちゃんと帰ってくるから」

啓太「その心配はもうしてない。千紗のこと信じてるから。」

千紗「誇れる信頼、川口証券です」

啓太「なにそれ」

千紗「この間CMあってた。」

啓太「千紗関係なくない?」

千紗「はは。」


啓太「あ、コーヒー水出しにしちゃったけどホットが良かった?」

千紗「ううん。じめじめしてるから冷たいの嬉しい」

啓太「良かった。はい。」

千紗「ありがと。」

啓太「いえいえ。」


千紗N「テーブルに置かれたグラスは水滴まで丁寧に拭き取ってある。穏やかで暖かい彼は、今朝も私のリズムを決して乱さない。」


啓太「ん?」

千紗「ううん。何でもない」

啓太「あ、今日ミルク淹れたい日だった?」

千紗「ううん。ブラック飲みたい日だったよ」

啓太「そ?」

千紗「うん。そう。」


千紗N「刺された耐熱硝子のマドラーはカランと、手元で鳴く。この生活に誰が不満を告げようか。幸せ。そのものだろう。なのに、それでもまだ指先が痺れるのは、私の罰なのだろうか。」


啓太「うわ、大雨警報だって。」


千紗N「私も、同じ嘘つきだ。」


………


壱果「ちーちゃん!おはよ」

千紗「おはよう、壱果ちゃん」

啓太「椎堂おはよう」

壱果「ねえねえ、これ見て?」

啓太「当たり前に無視かよ!」

壱果「私はちーちゃんと話してるんです。遠慮してくれませんか河崎さん。」

千紗「まあまあ壱果ちゃん」

壱果「ふん!」

啓太「俺こんなに人に嫌われたの初めてだよ」

壱果「遠慮してくれませんか。」

千紗「…ごめんね、けいちゃん。」

啓太「はいはい、邪魔者は退散しますよー」

壱果「べーだっ」

啓太「じゃあまた夕方な。」

千紗「うん。またね」


千紗N「誇らしげに腕を振る、彼女は一つ下の後輩で。幼馴染のけいちゃんをいつも敵視する、少し子供じみた子だった。」


壱果「ねえ、ちーちゃん。私ね、吹奏楽部を辞めようと思うの。」

千紗「あら、どうして?あんなに熱心に練習してたのに。」

壱果「だって今年ちーちゃん卒業しちゃうから。」

千紗「吹奏楽部でもない私の卒業と壱果ちゃんの退部、どう関係があるの?」

壱果「西階段横の渡り廊下」

千紗「壱果ちゃんがいつも練習してるとこね」

壱果「あそこからちょうど見えるの。ちーちゃんが絵描いてるとこ。」

千紗「…なるほど」

壱果「本当は同じ美術部に入りたかったんだけど、私美術の成績2だからさ。たまたま楽譜が読めるからって吹奏楽部に入っただけだし。唯一の楽しみがあの渡り廊下から美術室見ることだった。」

千紗「フルートの音だけよく聞こえるはずだ」

壱果「ちーちゃんが卒部するなら、私にとっての唯一の楽しみがなくなっちゃうんだもん。それなら放課後ちーちゃんと過ごしたい」

千紗「それは、壱果ちゃんの好きにしたらいいけどさ」

壱果「本当?嬉しい。」


千紗N「私は所謂バイセクシャルで、異性だろうが同性だろうが惹かれるものがあれば性別など二の次だった。だから、少しつり目で色白でキン、と耳につく高い声の彼女にそういった感情を当たり前のように抱いていた」


壱果「あのね、今度の日曜に行こうっていってた写真展がね、1時間早くくるなら貸切にしてあげるって言われてね!」

千紗「そうなの?」

壱果「うん!従兄弟のお兄ちゃんが早めに開けてくれるって!2人っきりだよ、しない?貸切」

千紗「壱果ちゃんと2人っきりか。それは早起きしなきゃね。」

壱果「ね!ね!お兄ちゃんに言っとく!」


千紗N「彼女が返してくれる愛情は私のよりきっと重くて、それが心に溜まるたび何故だか安心した。」


壱果「…ちーちゃん。今日3限サボろ。」


千紗N「そして何より、この顔が好きだった。」


千紗「いいよ。」

壱果「私2限体育だから、鍵渡しとく。」

千紗「うん。」

壱果「…ん。」


千紗N「手渡されたラベリングのされてない鍵。真新しいこの鍵は彼女が作ってきた視聴覚室のスペアキーだ。」


千紗N「私と彼女は、恋人と呼べる程近しい距離で息をしているのに、その名前では呼んだことはなかった。曖昧で不確かで不透明な私達は、あの暗幕に囲われた教室でただ只管に溶け合っていた。」


____


啓太「あ、千紗の」

千紗母「もしかして啓太くん?」

啓太「はい、お久しぶりです。」

千紗母「本当ね。啓太くんのママにはよく会うのに、あ、この間もお家にお邪魔してたの。少し見ない間に背もグンと伸びちゃって。」

啓太「はは、成長期ですから。いつも母がお世話になってます。」

千紗母「いえいえ、こちらがお世話してもらってるのよ。ほら、私達って嫌厭されるでしょ?宗教が違うって言って。別に誰でも勧誘したりとかしないっていうのにね。啓太くんのママはそんなの関係なく仲良くしてくれてね、もう本当に助かってるのよ」

啓太「ああ、はい。」

千紗母「最近千紗とはどう?」

啓太「え?」

千紗母「反抗期みたいでね。最近集会にも行かないっていうし、子育て失敗したかしら」

啓太「…部活。最後の作品だからじゃ、ないですか?」

千紗母「…なるほど。そうかしら。」

啓太「結構大作だって、美術の尾野先生言ってたし。作品に没頭したいんじゃないですかね」

千紗母「そうね。そう思うことにするわ。」

啓太「…はい」

千紗母「ね、啓太くんは気になるなーとかある?うちの教団ね、来月バザーをやるからって今も準備して、」


啓太N「俺と千紗は世間一般で言う幼馴染だった。家も道路挟んだお向かいさんで、うちの母さんは千紗の母さんと高校時代からの親友だと言う。千紗の家には父さんがいない。もう何年も前に亡くなった。死因は定かではないがそれから千紗の母さんは変わってしまった。世間を揺るがす“神代教団”に入り今ではもう幹部補佐だという。千紗も二世信者として集会によく連れて行かれていた。」


啓太N「うちの母さんも、何度も勧誘されているが毎度やんわり断っているという。それ程までに熱狂的な信者の母親に対して千紗はいつも穏やかに接していた。ただ、断固として千紗はそれを信じていなかった。」


千紗母「啓太くん?」

啓太「俺も、最後の部活なんで。行けないっすね、集会には。」

千紗母「…そう、」

啓太「…そういえば、千紗この前おばさんのラザニアが絶品だったって自慢してました。今度ご馳走になってもいいですか。俺も食べてみたくて」

千紗母「ええ、もちろん。またうちにいらっしゃいね。あ、啓太くんのママにもよろしく伝えてね」

啓太「はい。」


啓太N「俺は、この人がずっと苦手だった」


____


千紗「ん、何?まだ足りなかった?」

壱果「ずーっと足りないよ?私ちーちゃんが可愛い声で応えてくれるのが大好きなの。」

千紗「壱果ちゃんったら、意地悪するものね」

壱果「だって、可愛い顔みたいんだもん。」

千紗「でもね、美味しいものはいっぺんに食べるんじゃなくて、少しずつ少しずつ味わって食べるのがいいのよ」

壱果「どうして?」

千紗「全部いっぺんに食べてしまったら、もうそれっきりなの。寂しくない?」

壱果「寂しい」

千紗「でしょ?だから少しずつ味わって」

壱果「…でも、そんなぬるい事してたら盗られちゃう」

千紗「誰に?」

壱果「ちーちゃんを狙ってる人なんて沢山いるんだから。」

千紗「壱果ちゃんだけのものよ。」

壱果「嘘つき。」

千紗「本当よ。信じてくれないの?」

壱果「んーーー!狡い!」

千紗「ね?ほら手離して」


壱果N「私にとって彼女は、唯一無二の宝石だった。口元のほくろも右手の中指だけ短い爪も淡いサボンの香水も、何もかもが輝いていて愛おしくて。できることなら匿って一生私のものにしておきたい程、私は彼女だけを愛していた。」


壱果N「苺のショートケーキ。私は1番に苺を食べる。1番好きだから。1番綺麗だから。だから1番がいい。誰にも盗られないように、1番早く手に入れる。私はそうやって生きてきた。」


壱果N「なのに」


啓太「千紗ー?」


千紗「あ、けいくんだ。」

壱果「っ、」

千紗「ちょっと待ってね。」


壱果N「あいつがいつも邪魔をする」


千紗「なあに?」

啓太「メール、見てないだろ。おばさん、学校に向かってるって。千紗と連絡取れないってさ」

千紗「…本当。ありがとう。」

啓太「俺正門で足止めしとくから早く着替えて来いよ」

千紗「そうね。わかった。」


千紗「ごめんね、壱果ちゃん。行かなきゃ」

壱果「ちーちゃん、」

千紗「多分今日は部活にも行けないだろうから、また明日ね」

壱果「あ、」


壱果N「私の1番を盗っていく」


壱果N「何もかもが嫌いだ」


____


千紗「ただいま。」


千紗母「千紗、今日集会だって言ってあったでしょう。どうして最近来ないの?みんな心配してるわ。」

千紗「お母さん、私もう行かないってこの前話したよね?」

千紗母「考え直しなさい。恩を仇で返すような事、許されると思ってるの?」

千紗「お母さんが行くのを止めてるんじゃないでしょ。あのね、お母さん。私にも自由ってものが」

千紗母「来なさい」

千紗「だから」

千紗母「こっちに来なさい。」

千紗「っ、」

千紗母「あなた、これ。何。」

千紗「い、たい」

千紗母「この首の痕は何って聞いてるの」

千紗「や、」

千紗母「聞いてるんだから答えなさい!」

千紗「、お母さん、痛い、から。」


千紗母「ねえ、ちーちゃん。どうして?どうしていい子になってくれないの?お母さん、お父さんがいなくなってから1人で頑張ってきたのに。ねえ。まだお布施が足りないかしら、まだ奉仕が足りないのかしら。ちーちゃん。あなたさえもっとちゃんとしてれば、お父さんだっていなくなったりしなかったのに」


千紗N「私の恋を、穢らわしいものと言う母」


千紗母「お願いよ、ちーちゃん。いい子に、いい子になって。一緒にお祈りに行きましょう」


千紗N「母が、可哀想で仕方なかった」


____


壱果「川口先輩、いらっしゃいますか。」


啓太「あ、椎堂。」

壱果「河崎さ、先輩。ちーちゃんは。」

啓太「今保健室」

壱果「え、何かあったんですか」

啓太「あー。なんか、朝から調子悪かったみたいでさ。さっき連れてったらちょっと熱あって寝てると思う」

壱果「…熱」

啓太「椎堂は?」

壱果「へ?」

啓太「体調、なんともない?」

壱果「…なんでそんな事聞くんですか。」

啓太「え、いや、だって」

壱果「…なんともないです。」

啓太「そっか。」

壱果「…失礼します。」

啓太「うん。あ、これ、あいつの鞄。持ってってやって。」

壱果「…はい。」



壱果「失礼します…」


壱果「あれ、先生いない。」


壱果「ちーちゃん?」

千紗「あら、壱果ちゃん。どうしたの?転んだ?」

壱果「大丈夫?具合悪いって、河崎さんが」

千紗「ああ、ちょっと風邪ひいたみたいで」

壱果「大丈夫?」

千紗「ぜーんぜん。大した事ない。」

壱果「でも熱」

千紗「ちょっとよ。微熱ー。ほら触ってみて」

壱果「ん、本当。ちょっと熱い」

千紗「ここで寝なくてもいいって言ったんだけど、過保護だから。」

壱果「河崎さん?」

千紗「そう。あれ、鞄とってきてくれたの?」

壱果「教室行ったら渡された。」

千紗「そう。帰れってことか。」

壱果「帰るの?」

千紗「そうねー。」

壱果「私送ってく!」

千紗「えー?」

壱果「心配だし、それくらいさせて。」

千紗「じゃあ、お願いしようかな。」


___


啓太「先生ー。千紗は?」

保険医「え?さっき帰ったわよ。」

啓太「え、1人で?」

保険医「ううん。椎堂さんと一緒に。」

啓太「…そっか。」

保険医「…役目取られちゃった?」

啓太「そういうわけじゃないけど、」

保険医「けど?」

啓太「…いや。じゃあいいです。失礼しました。」


____


壱果「大丈夫?辛くない?」

千紗「壱果ちゃん、それ何回目?大丈夫よ」

壱果「私いつでもおんぶする準備できてるからね」

千紗「大丈夫。もうすぐ着くし」

壱果「そ、うなんだ。」

千紗「家、来たことないもんね。」

壱果「うん。」

千紗「壱果ちゃんの家はまだ遠く?」

壱果「うん。いつもは車だから。」

千紗「そうなの。」

壱果「…」

千紗「けいくん以外に家教えるの初めてかも。」

壱果「そうなの?」

千紗「けいくんのお母さんとうちのお母さんが仲良いからさ、物心ついた頃から知り合いなんだけど他の子は連れてきたこともなかったな。」

壱果「嫌なの?」

千紗「うちの家庭結構訳ありで、見せたら友達いなくなっちゃうんじゃないかーって。」

壱果「嫌なら、私ここで帰るよ」

千紗「壱果ちゃんは、友達なの?」

壱果「え、」

千紗「私達、友達だっけ?」


千紗N「今思えばこの時、自分が思っているより熱に浮かされてたのかもしれない。冷静な判断ができなかったせいで、私は何もかもを失った。」


壱果「友達、じゃ、なくてもいいの?」

千紗「私は違うといいなって思ってたよ」

壱果「…ん、うん。じゃあ行く!」


壱果N「昨日つけた首の痕。カモフラージュには大きすぎる絆創膏。その訳を問いかけていたら、私は何も知らないまま、一生彼女の為に何もできなかったのかもしれない。」


____


啓太N「胸騒ぎのせいで、部活にも身が入らず仮病を掲げて早退した。咳の一つも出なかったが幼馴染の早退のおかげで難なく帰ることができた。」


啓太N「体調不良を理由にしたくせに全速力で帰路につくと彼女の家の前でアスファルトに座り込む見知った顔がそこにいた。」


啓太「椎堂?」

壱果「…」

啓太「お前、血」

壱果「…」


啓太N「彼女の口角には滲んだ血、晒された太腿には彼女の爪が深々と食い込んでいた。」


啓太「…立てるか?俺の家すぐ向かいだから、一旦来い、」

壱果「…んですか」

啓太「え?」

壱果「なんなんですか!あいつ!」

啓太「何、」

壱果「ちーちゃんを、ちーちゃんを打ちました!ちーちゃんを、平手で!私の!ちーちゃんを!」

啓太「いいから、落ち着け」

壱果「よくない!よくない!!先輩知ってたんですね?!こんな仕打ち受けてるって、知ってて見て見ぬふりしてたんですか!」

啓太「説明するから、落ち着け椎堂」

壱果「っ、ぅ、ぅわああん、」


啓太N「掴みかかったと思えば、急に泣き出す椎堂はまるで幼い子供のようだった。」


____


啓太「ほら、ココア。飲め」


壱果N「ちーちゃんの家のドアを開けると、すごい剣幕で怒鳴る女の人が飛び出してきた。あまりの勢いにふらつく彼女を支えようと私は腕を組んだ。それがいけなかったのか、女の人は勢いのまま平手で彼女の頬を打った。その瞬間は衝撃的で、私は感情に乗っ取られて女の人に暴言を吐いた。吐き散らかした。途端左頬が鳴った。八重歯で口の中を切ったのか鉄の味が広がる。女は私の腕から彼女を引き剥がして、ガチャンと、ドアを閉めた。」


壱果N「何もかもが咄嗟すぎて、私は何もできなかった。打たれた彼女の盾にもなれず、彼女を呆気なく渡してしまった。」


壱果N「自分の無力が、何よりもの屈辱だった。」


啓太「椎堂。あいつの母親は」

壱果「母、親?」

啓太「会ったんだろ?」

壱果「母親はあんなことしません。娘を訳も聞かず打ったりしません。母親はもっと」

啓太「残念だけど、千紗の母はそうなんだ。」

壱果「…」


壱果「なんで、知ってて何もしないんですか」

啓太「椎堂」

壱果「なんで誰もちーちゃんを助けないんですか」

啓太「…」

壱果「なんで放っておくんですか!」

啓太「警察にも、そういう施設にも役所にも全部言った!できる限りのことはしたんだ…でも」

壱果「…」

啓太「あいつが、千紗が、このままでいいって言うから。」

壱果「…許さない」

啓太「椎堂」

壱果「私は許しません。私の1番に、私のちーちゃんにこんな事するなんて。許しません。」

啓太「今回の件、理由聞いたか?」

壱果「何」

啓太「お前がつけた痕。それが原因で昨日からあいつ外で怒鳴られてて。」

壱果「え、」

啓太「夜中になっても家に入れてもらえなかったみたいだから、多分風邪ひいたんだろうし。」

壱果「…私の、せい」

啓太「いや、今回の件がってだけでいつも椎堂の事でこうなってるんじゃないんだ。ただ、」


壱果N「叩きつけられた現実に、酷く、絶望した」


____


千紗N「あの日から数日風邪を拗らせて学校を休んだ。テスト明けだったから授業のこと考えなくて良かったな、なんて呑気に考えていた。壱果ちゃんには何度連絡しても返事は一向に返ってこなかった。けいくんに聞いても知らないの一点張りで。」


千紗N「母は相変わらず集会や勧誘に忙しく、怒鳴られた次の日はケロッとしていて甲斐甲斐しくお粥を作ってくれた。感情で脳みそがいっぱいになる、母は可哀想な人だ。仕方がない。仕方がないのだと、ずっと思って生きてきた。」


千紗N「誰かのせいにしなければ、誰かに縋り続けていなければ、母は生きていけないのだと初めて思ったのは父が死んだ日だった。」


………


千紗「おとうさん。」

千紗父「千紗。お前は偉いね。母さんの言うことばかりきいて。」

千紗「おかあさん、よろこぶから」

千紗父「でもね、千紗。よく覚えておいて。母さんが嵌ってしまった神様はね、母さんの理想なだけだ。千紗が絶対同じでないといけないことなんてないんだよ。千紗だって普通の女の子と同じ、自由になっていいんだ。好きなことを見つけたら黙ってなさい。」

千紗「おとうさん?」

千紗父「父さんは、母さんの言う神様はどうにも好きになれなくてね。母さんとは分かり合えないみたいだ。」

千紗「そうなの?」

千紗父「だから千紗も、自由に生きなさい」


………


千紗N「父は自殺した。その日家に帰ると、警察やら救急隊やらがごった返していた。担架で運ばれていく布に包まれたそれが父だと思いもしなかった。縁側に括られたトラロープ。すでに輪のないそれは静かに揺れていた。」


千紗母「可哀想な人。」


千紗N「母は、神代教団の赤いリボンを握りしめてそう呟いた。母の手のひらには赤くなった擦り傷があったこと、親指の付け根が鬱血していたこと、母が嘘をついていたこと。私は哀れに流す嘘に塗れた母の涙に子供ながら初めて同情した。生き汚い自らの母を可哀想だと決別した。」


_____


啓太「千紗、おはよう。」

千紗「けいくん、おはよう。」

啓太「もう体はいいの?」

千紗「昨日が日曜じゃなかったら、もうとっくに学校行ってるよ」

啓太「なんだかんだ祝日も重なって1週間まるまる休んでたもんな。」

千紗「本当。お先に冬休み過ごしてる気分だった。」

啓太「…おばさんは?」

千紗「いつものことよ。次の日にはケロッとしてた」

啓太「そっか。」

千紗「あのね、壱果ちゃんとずっと連絡取れないの。何か知ってる?」

啓太「いや。千紗がいないから当たり前に教室には来なかったし、休んでるとかも学年違うと分かんないからな。」

千紗「今日来てるかな」

啓太「さあ。」

千紗「…私さ、早退した日のことなんだかあやふやで。うちの母、壱果ちゃんに何かしたとか、きいてる?」

啓太「…さあ、わかんない。」

千紗「…そう。」

啓太「来てるといいな、学校。」

千紗「そうね。」


………



壱果「河崎さん」

啓太「何」

壱果「私がちーちゃんを自由にしたら、譲ってくれますか。」

啓太「…どういう意味」

壱果「ちーちゃんの何もかもを私にくれますか」

啓太「千紗はものじゃないだろ。」

壱果「1番じゃないと意味がないんです。」

啓太「椎堂」

壱果「その代わり、彼女は自由になります。」

啓太「お前」

壱果「ね。約束、ですよ。」


………


千紗N「壱果ちゃんは私が休んでる間も学校には来てなかった。彼女の担任に聞いても何も知らずいつものサボりだろうとボヤかれただけだった。」


千紗N「いつもは聞こえるフルートの音色もなく淡々と描く絵が酷くつまらなかった。部活を終え帰路につく。」


千紗N「玄関のドアを開けると、そこは地獄だった」


………


啓太「千紗?」

千紗「ん」

啓太「ぼーっとしてたから。大丈夫?」

千紗「うん。やっぱり思い出しちゃうね。」

啓太「無理しないで」

千紗「無理してるわけじゃないから。」

啓太「そっか。」

千紗「…ねえ。怒ってるかな。」

啓太「…さあ。」


………


壱果N「殺してやろう。そう思った。幸い私は未成年だし、虐待するような大人を1人殺すくらい世間は許してくれるはずだ。だから、ちーちゃんを自由にするんだ。私が私の為に私の手で。そう決めた。」


N「チャイムを鳴らすとにこやかな顔で彼女は出迎えた。いつも開いてるはずのカーテンは閉め切って、照明は全て間接照明だけつけて。仄暗いリビングに女が二人。向かい合って座る。」


壱果N「お母様に最期の質問をした。崇めるものと実の娘、どちらが大切なんですか。と。」


N「良い行いをすれば、必ず神は叶えてくれる。だから信じているのです。娘は未熟で、良い子に躾けているところです。良い子になれば叶えてくれる。死んでしまったあの人もきっと帰ってきてくれる。女は赤いリボンを撫でながら陶酔した顔で続けた。信じることをやめてしまったから、神が怒ったんです。ちーちゃんを自由にするだなんて、馬鹿げたことを言うものだから締めてやりました。さも私が神にしがみついているような、そんなことを言うものだから。女はしくしく泣き始める」


壱果N「最低だ。何もかもが最低だ。洗脳され盲信したただの傀儡だ。ああ、殺してやろう私が正しい。私がこの女より間違っているはずがない。殺してやらなくては、早く、私のちーちゃんを、自由にしてあげなければ」


N「なのに、と女は目の色を変えた。お前が私のちーちゃんを穢した。お前は私から娘を奪った。ギラ、と二人の女は睨み合い、光る銀色が見えなくなる程互いを刺した」


壱果N「私が来ることを知っていたかのように、彼女もまたナイフを持っていた。何故、知っていたのだろうか。誰にも言っていないのに。いや、1人。1人、あいつだ。あいつが伝えたんだ。裏切った、あいつ、やっぱりあいつだ。私の1番を奪っていく、盗っていくのはいつも、」


N「鮮血。互いに何度も繰り返し刺した。血溜まりの上、意識を失ってもまだ女達は柄を手放さなかった。第一発見者は川口千紗、そして河崎啓太。事件当日の真相を知るものは誰もいない。」


N「彼女の自由は、彼女のものだ。」


………


千紗「ねえ、けいくん。」

啓太「ん?」

千紗「どんな気持ち?」

啓太「…何が」

千紗「だって、壱果ちゃんのこと嫌いだったでしょ」

啓太「俺が椎堂に嫌われてたんだよ」

千紗「それもそうだけど、けいくんも嫌いだったでしょ」

啓太「…そんなことないよ。」

千紗「はは。嘘つき」

啓太「…」

千紗「…」

啓太「千紗を、自由にしてくれてありがとう、って。思ってるよ」

千紗「…ふーん。」

啓太「…何」

千紗「別に。」


千紗N「白百合が揺れる。」


千紗N「ねえ、壱果ちゃん。あなたのいなくなった世界はなんだか少し生温くて、腐ってしまいそうよ。あの日何があったのかまだ彼は話してくれないけれど、私達が友達だったらこんな事にはならなかったのかもしれないね。」


千紗「“ ”」※演者のあなたがセリフを入れてください

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