三話 使命と日常生活と

 荒井家の住宅は2階建ての古い日本家屋だ。

 一般的なそれよりやや大きく、ささやかながら中庭もある。


 縁側からは2本の松の木が見え、その手前に洗濯物が干されているのが常だ。

 また敷地と外との境界には生垣が植えられているが、猫が通り道にするせいで一部に穴が空いている。


 過去帳を手にしてから数日後の朝、カコはそんな荒井家の玄関に立ち、トラックと共に車で去って行く叔父と叔母を見送った。


 彼らの行く先は3つほど離れた町のアパート――つまり2人はカコを家に置いて、引っ越しをして行ったのである。


「ごめんなさいね、カコちゃん……」


「どうか無事で……!」


 出立の際、彼らはそう言って名残惜しそうにカコを抱きしめた。

 カコはそれを、ただ黙って受け入れた。


「――ひとつ、その者が15歳に満たない場合を除き、ただちに使命を開始すること」


 2人分の荷物が消え、以前より広くなった居間で侃螺は言う。


「ひとつ、妖怪・侃螺は必ずその者に助力すること」


 カコは畳の上で仰向けになり、眠れる姫よろしく手を組んで、目を閉じていた。


「ひとつ、使命の遂行は危険なものとなるため、その者は親族縁者と離れて暮らすこと。また友人や知人、ほか一般人との接触も、最低限に収めること」


 棚の上に飾られた日本人形が、奇妙なふたりの様子をじっと見ている。


「以上、使命の遂行者にして過去帳の所有者である貴様が受ける制約の内容だ。これをよくよく頭に入れた上で行動せよ」


「わかりました」


 カコはむくりと起き上がった。

 その表情は既に笑顔だ。


「ではまず家事の分担ですね」


「なぜそうなる」


 先ほどまでの話を聞いていたのか疑わしくなる発言に、侃螺は顔をひきつらせた。


「これから当分の間、私とあなたで暮らすのですから当たり前でしょう。それとも何ですか。衣食住を放って『使命』に没頭しろと?」


「む……」


 淡々と言われ、侃螺は押し黙る。

 確かに、カコが人間である以上、人間としての生活をおろそかにさせては使命の遂行にも支障が出るだろう。


「というわけで。侃螺さんは料理、できますか」


「やったことが無い」


「できますか」


「……まあ、やれば、できぬことは無いだろう」


 少々ムッとしながら侃螺は答える。

 こいつは私に「できない」と言わせたいのか? と、「できない」と言いたくない彼は眉間に皺を寄せた。


「では料理は当番制にしましょう。慣れるまでは私が週5、あなたが週2ということで」


「ふん、気を遣ったつもりか。私が4、貴様が3で良い」


「いえ。普通に不慣れな料理を週4で食べさせられるのは嫌なので」


 侃螺は何も言い返せなかったが、とりあえず早く料理の腕を上達させねばという気にはなった。


 かくして侃螺は、まずは買い物を覚えるところから、ということでさっそくカコと共に近場のスーパーマーケットへと向かうことに。


 外に出ると、空こそよく晴れていたが、辺りには冷たい風が吹きすさんでいた。

 すっかりムキになっている侃螺は、目的地の場所も知らないというのにカコより1歩前を歩く。


 ところで根本的な部分を言えば、侃螺――空鈿という妖怪は食事を必要としないため当番に組み込まれなくとも良いのだが、そこは完全にカコのペースに呑まれていた。


「侃螺さん。その髪色、どうにかなりませんか。物凄く派手なのですが」


「目立って何が悪い。大体、買い物に行くから妖力の無い人間にも見えるように成れと、先ほど言ったのは貴様だろう。文句があるなら、貴様を虚空に向かって話し続ける人間にしてやっても良いのだぞ」


「言い方を変えますね。目がチカチカしますからもっと目に優しい色にしてください」


「断る」


 真冬の気温にも劣らぬ冷えた空気が充満する。

 カコと侃螺の周囲には、爆発させるまでもない不満が漂う、無駄にストレスの溜まる空間が出来上がっていた。


 絶妙な間合いに、沈黙が下りる。


 そこへ、文字通り一石が投じられた。


「痛」


 こつん、と後頭部に響いた軽い衝撃にカコが呟く。

 振り向くと、ずんぐりむっくりとした妖怪が曲がり角から彼女らを見ていた。


 手には小石をいくつか持ち、それらをちゃっちゃっと弄んでいる。

 大きな口はにんまりと挑発的な笑みを浮かべており、カコに石を投げたことを隠そうともしていなかった。


 悪意はあれど小物であろう妖怪を見、侃螺はふと思い付く。


「丁度良い。荒井カコ、あの妖怪をひとつ過去帳で――」


 言いながら横を向くが、既にそこにカコの姿は無かった。


 もう一度、件の妖怪の方に視線を移すと、居た。


 アイアンクローの要領で妖怪の頭部を鷲掴み、己の目線の高さまで持ち上げている荒井カコが。


「ギャーーーーーーッ!!」


 彼女の五指が脳天に食い込み、妖怪は悲鳴を上げる。

 そいつは体高が1m少々であるため、足が完全に地面から離れて宙吊りの状態だ。


 やや離れた場所にいる侃螺にもカコの指が「埋まっている」のが見えるあたり、容赦の無さが窺い知れる。


 しばらくそうしてから、カコは妖怪を脇に放り投げた。

 解放された妖怪は、ぐえ、と潰れた蛙のような声と共に路上に倒れ込む。


「侃螺さん」


「な……なんだ」


 侃螺は思わずびくりと肩をはねさせる。

 カコの暴虐にというより、それがあまりにも滑らかに行われたことに引いていた。


「過去帳を使う、とはどのように」


 買い物鞄から過去帳を取り出してカコは問う。

 物の重要性と持ち運びやすさから、一応持って来ていたのだ。


「知らぬ。貴様の思うようにやってみよ」


「…………」


 カコは明らかに物言いたげな様子で数秒黙ると、過去帳を振りかぶり、頭を抱えて倒れ伏している妖怪を強めにはたいた。


 すると妖怪からふわりと淡い光がいくらか出て来て、吸い込まれるように過去帳へと移って行った。

 光に出て行かれた妖怪の方は、先ほどよりもぐったりと脱力した様子だ。


 カコは妖怪と過去帳を幾度か見比べ、頷く。


「なるほど、こうすることで妖力を奪うんですね」


「『こうすること』が正規の手段かは怪しいがな」


 嫌味たっぷりに侃螺は返した。

 無知をかさに着てカコに判断を丸投げした人物の言い草にしては偉そうである。


「……あなたは?」


「何がだ」


「あなたは私の手助けをするのでしょう。何ができますか。と言うかそもそも、どういう妖怪なんですか」


 侃螺は過去帳から出てこの方、ずっと人間っぽい姿のままでいる。

 この荒井カコ、実は侃螺の真の姿なるものが気になり続けてもいた。


「貴様などに見せるのは勿体無い気もするが、良いだろう。情報共有も助力の一環だ」


 そう言うと、侃螺は目を閉じた。

 途端にただでさえ長い髪が更に伸び、煌めきを伴って彼の体全体を包み込む。


 見る見るうちに輪郭が、形が変わり、気が付けばカコの目の前には黄金の角と蹄を持った四足歩行の獣が佇んでいた。


 当然ながら人間の姿とは似ても似つかないが、螺鈿細工のように不思議な柄をした皮膚から、侃螺本人であることは一目でわかる。


「なるほど、牛ですか」


「違う!!」


 侃螺は即座に否定した。

 目は神秘的に閉ざされているものの、眉間に寄る皺には既視感が満載だ。


「よく見よ愚か者! 私の姿の、どこが牛だ! 無礼にもほどがあるぞ!」


「すみません」


「全く……二度とそのような間違いをするでないぞ」


 大袈裟に溜め息を吐き、侃螺はかぶりを振る。

 牛呼ばわりはかなり嫌だったらしい。


「それで、何ができるか、だったな。ふむ……まず私は移動に地面を必要とせぬ。故に空でも水上でも、どこでも走れる。あとは妖力の少ない相手にならば、幻覚を見せることもできるぞ」


「戦闘は? どうやって戦うんです?」


「…………」


「わかりました。そこは頼りにしないでおきます」


 侃螺は思った。

 早急にこの小娘の生意気さをどうにかしなくてはならない。

 さもなくば自分は憤死してしまう。


 彼は波立つ心を一度落ち着け、冷静になって考えた。


 荒井カコは全体的にまともな人間ではない。

 しかしながら、然るべき時に感謝や謝罪をできるなど、部分的にはまともなところもある。


 そう、良い面もあるのだ。

 であればこちらがそこに目を向けてやり、根気よく付き合って信頼を獲得すれば、彼女の横暴や無礼も多少はマシになるかもしれない。


 自分は誇り高き妖怪として、余裕のある態度で接し、彼女の心を解してやる必要があるのではないか?

 そしてそうすることは、使命遂行の円滑化――彼の人間との義理を確実に果たすことにも繋がるのではないだろうか?


 そう思い至り、彼は自ら首肯する。


 他者を理解するなど面倒極まりないが、心の平穏と義理のためだ。

 少しくらい譲歩してやろうではないか!


 咳ばらいをひとつ挟み、彼はさっそくカコに話しかけた。

 まずは些細な疑問から解消して行こう。


「荒井カコ。ひとつ訊くが、なぜ最初……私が過去帳から現れた時、私を蹴った?」


「何者か判断しかねたので、痛覚の有無だけでも確認しておこうかと」


 悪びれもせず、にこりとカコは笑う。


 やはり無理かもしれない。

 侃螺はそう思った。

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