四話 歩み寄りのち粉砕
スーパーマーケットの自動ドアが開くと、どこか無機質な空気の店内がカコたちを出迎えた。
商品を適切な状態に保つための空調がゴウゴウと唸り、電灯は屋内の隅々まで明るく照らし出し、軽快な音楽がどこからともなく流れている。
1から10まで、模範的な普通のスーパーと言えよう。
カコは慣れたふうにかごをひとつ手に取り、店内を真っ直ぐ進んで行く。
対して侃螺は、顔をしかめながら周囲を見回した。
「随分と品物が多いな。それに眩しいし、喧しい。そのくせ牢獄のような形をしている」
溢れんばかりの豊富な品揃えも、明朗な照明も、景気の良いBGMも、幾何学的に整った棚の配列も清潔な建物も。
彼からすれば、どれも馴染みなく不愉快なものらしい。
侃螺は荒井家で過ごしていたこの数日間、ずっとそうだった。
目新しいどころではない未知の物品に囲まれ、聞き慣れない言葉や読み慣れない文字が飛び交い、そこらじゅうに居たはずの妖怪も1日に数度しか見ない。
そんな環境に辟易していたのだ。
だが仕方がない。
これは侃螺の選んだ道の先であり、義理を果たすには避けられない事柄であり、受け入れねばならないことである。
そのことを侃螺自身もわかっているから、文句こそ言え、無い尻尾を巻いて逃げ出すような真似はしなかった。
「では本日の夕食はカレーとしましょう。今からその材料を買います」
「カレー……ふむ、現代の料理だな。良いだろう」
見知らぬものは大体現代のものだと認識している侃螺はひとり納得する。
カコは彼がしっかりと頷いたのを確認し、メモとかごを渡した。
「ここに必要な物が書いてあります。これらを探し、かごに入れてください」
メモにあったのは、にんじん1本、玉ねぎ1個、牛肉200グラム……等々、何のことは無い一般的な材料を示す文字列だ。
しかしそれらが縦書きではなく横書きで書かれているのを見て、侃螺はまた顔をしかめた。
「全く、読みにくい……。何故こうも奇妙な書き方をするのだ、現代の人間どもは」
「慣れてください」
カコは無情に言い放つ。
彼女の手心は品切れのようだった。
メモを苛立たしげに読みながら、侃螺は店内を巡り始めた。
商品に添えられた値札もまた押し並べて横書き、かつ数字も漢数字でないことに眉間の皺を深くしていく。
一方で、時おり文字を縦に並べたポスターや商品ラベルが目に入るたび、少しの安堵を感じた。
「数字、わかりませんか?」
「侮るな。既に覚えている」
上辺だけなのか本心なのかいまいちわからないカコの心配を跳ね除け、彼は目的の品々を着実にかごへ入れていく。
やがてメモにある材料を全て確保し、重くなったかごをずいとカコに突き出した。
「揃えたぞ、荒井カコ」
「上出来ですね。では次に、これを会計に持って行きます」
無味乾燥な称賛を挟み、カコは侃螺をレジへと連れて行く。
時間帯が良かったのか先に並んでいる人はおらず、2人はすぐに会計を始めることができた。
「1252円になります」
商品を通し終えた店員がにこやかな営業スマイルと共に金額を告げる。
侃螺が僅かに眉をひそめると、カコはすかさず彼に言った。
「現代のお金の単位は『円』です。紙幣が壱万、五千、千の3種類と、硬貨が五百、百、五十、十、五、壱の6種類あります。このお財布にそれぞれ入っていますから、適切に選んで出してみてください」
差し出されたのは浅縹色の長財布。
新しげなそれを受け取り、侃螺は紙幣と硬貨を見繕ってトレイに置いていく。
「1260円、お預かりします。……8円のお戻しになります」
やがて出された貨幣が十分な金額に達すると、店員はまた営業スマイルと共にそれらを素早くレジの機械に仕舞い、お釣りを返した。
侃螺の任務達成を見届け、カコはにっこりと笑う。
「よくできました」
「ふん、童のように扱うでない。このくらいできて当然だろう」
そう返す彼は、本当に、微塵も、嬉しくはなさそうだった。
***
「はい、どうぞ」
荒井家の台所にて。
カコは手製のカレーライスを侃螺の前に置いた。
ふっくらとした白米に、檜皮色のルウがとろりとかけられている。
ルウの中に転がるのは、ブロック状の肉、星型に抜かれたにんじん、大きなじゃがいも、弧を描く玉ねぎ。
それらの上に刻みチーズがいくらか、行儀よく鎮座している。
家庭的かつ一般的、しかし無二の――要するに、カコが叔母から教わった「荒井家のカレーライス」だ。
彼女が料理をするさまを横でずっと見ていた侃螺は、改めて完成品をまじまじと見つめる。
自分の買ったあの食材たちがこのように変貌するのは、過程を知ってなお興味深いところがあった。
用意されたスプーンとかいう銀色の食器を使って、侃螺はカレーを口にする。
色々なものが混ざり合った複雑な風味と、少しの辛みが口内を刺激した。
「ふむ。奇妙だが悪くない味だ。褒めてやろう」
「嬉しくないので結構です」
上から目線な称賛をさらりと流して、カコもまたカレーを食べる。
食卓にあるまじき険悪な空気だが彼女はさして気にする様子も無い。
涼しい顔でスプーンを動かし、いつも通りに料理を味わった。
大きな喧嘩を起こすこと無く2人が無事に食事を終えると、カコは食器を片付けたのち、風呂を沸かしに行った。
これもいつも通りだった。
明らかに暇そうな侃螺を横目に、しばし読みかけだった小説の続きを堪能するカコ。
やがて「お風呂が沸きました」という機械的な音声が聞えて来ると、彼女は本を机に置き、寝間着を持って立ち上がった。
「そういえば、侃螺さんはお風呂に入らないんですか?」
「必要ない。人間と違い、私の体は汚れを蓄積せぬ」
「そうですか」
確かに侃螺は頭のてっぺんからつま先まで、過去帳から出て来た時と全く同じ美しさを保っている。
ならばとカコは、後のことを気にせずゆっくり湯船に浸かってくることにした。
さて、居間に残された侃螺は、やはり何もすることがなく座して待機するのみだ。
しかしふと、とあることを思い付いた彼は脱衣所の方へと向かった。
「荒井カコ――」
声をかけながら、あろうことか侃螺は風呂場の戸を開ける。
16歳の少女である荒井カコが、今まさに使用している、風呂場の入り口の戸を。
すまし顔の侃螺と未だかつてない凄まじい表情をしたカコの目が合う。
刹那、侃螺の顔面に風呂桶が直撃した。
剛速球――球ではないが――をもろに受けた侃螺は顔を押さえて呻く。
カコはその隙に、素早く戸の外に置いてあったバスタオルを取って前を隠した。
「殺されたいんですか?」
「なぜそのような反応をする。『背中を流す』とやらをしに来てやったのだぞ」
「殺されたいんですか?」
途轍もない殺意である。
同時に、あまりにも順当な殺意である。
「人間はこうして親睦を深めると聞いたが」
「それ以前の問題です。全く親しくない者、それも異性に裸体を見られたくはありません」
「我ら一族には雄も雌も無い。そも、私は人間ではなく妖怪だ。何が気に食わぬ」
「いいから出て行ってください。早急に」
落雷にも劣らぬ迫力で勢いよく戸が閉められる。
最大火力に近い怒りを浴びせられた侃螺だったが、しかしその顔は不服そうにしかめられていた。
「……気遣いのわからぬ人間だ」
「恥じらい」のわからぬ彼は、すごすごと居間に戻る。
しばらくすると、風呂で温まった体を寝間着に包んだカコがやって来た。
不気味なほどの笑顔を浮かべた彼女は手招きをして、侃螺について来るよう促す。
案内した先は、2階の狭い一室だった。
カコはこれを示してにこやかに言う。
「侃螺さん、寝床が無かったでしょう。今日からは是非ここで寝泊まりしてください」
「……物置に見えるが」
「物置ですが?」
ぶち、と侃螺の血管が切れる。
「貴様、無礼が過ぎるぞ!」
「先に礼を欠いたのはあなたです」
「私のどこが無礼だというのだ!」
「鏡とか見ないタイプですか?」
「この小娘が、私を侮っているのか!」
「まさか。正当に低評価をしています」
「貴様ッ……!」
両者、完全にスイッチが入ったようだ。
お互いそれなりに抑えていた分も上乗せされ、空前絶後の険悪爆発具合である。
「あなたの性格に関してはもう諦めますから、せめて役に立ってくださいね」
「その言葉は貴様にこそ必要だろう。底意地の悪い人間め!」
2人はそっぽを向き合う。
絶望的に噛み合わない性格と行動が、弾かれ合ってついに大破したようだった。
けれどもただひとつ。
一刻も早く使命を果たしてこいつと縁を切りたい、というその心だけは、奇しくも完全に一致していた。
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