二話 荒井家のこと
「い゛っっ、はあ!?」
泣き所を強打され、謎の人物は悲鳴と怒声を上げる。
ポーカーフェイスはものの見事に破壊され、端正な顔は突然攻撃された怒りと驚きで紅潮していた。
「貴様っ、突然何をするのだ! 私を誰だと思っている!」
「知りません。私は荒井カコと言います」
「この流れで名乗るのか!?」
信じられない、と言わんばかりの彼を横目に、カコは光と分離され地面に放り出されていた過去帳を拾い上げる。
軽く中身を確認するが、そこに変化は無いようだった。
ひとまず箱の上に乗せて一緒に持ち、彼女は謎の人物の方へと視線を戻す。
そしてにこやかな笑みを浮かべ、問うた。
「あなたは誰ですか?」
「貴様のような野蛮人に名乗る義理は無い!」
当然の怒りである。
言葉より先に手を出して来た人間相手に喜んで名乗る者は、そうそういないだろう。
「私はあなたの要求通り名乗ったのに? それは不義理というものではありませんか?」
カコは笑みを崩さぬまま問いかけた。
凄まじい棚上げっぷりだ。
暴力が罪であることを完全に無視している。
「ぐっ……」
だがどうしたことか、謎の人物は「不義理」という単語にぴくりと反応し、返す言葉に詰まった。
裁判であれば確実に勝てるだろうに、彼は白旗を上げるがごとく口を開く。
「……私は
「妖怪ですか」
「言っておくが、これは本来の姿ではない。貴様を驚かせぬようにと、敢えて人間を模したのだ」
「そうだったんですね。ありがとうございます」
「…………」
謎の人物、改め侃螺は溜め息を吐いた。
人間とはこうも扱いづらいものだったか? と。
初対面の相手に突然暴力を振るう、かと思えば普通に名乗る。
こちらにも名乗るよう圧をかけてくる、かと思えば素直に礼を言う。
しかもこの間、ほぼずっと笑顔。
まるで何を考えているのかわからない。
番人をしている内に人間はこんな奇妙な種族になってしまったのだろうか。
否、恐らくこいつがおかしいだけだ。
侃螺は既にカコと対面したことを後悔していた。
過去帳から出なければ良かったと、猛烈に悔やんでいたし、何なら今すぐこの場とカコから離れて、二度と会いたくなかった。
しかし悲しいことに、侃螺はどうすることもできない。
彼には何があっても放棄できない使命があった。
世のためにも、さる人物との義理のためにも、その使命は果たされなければならないのだ。
侃螺は進まない気を押し、腹を決める。
「荒井カコ」
「何ですか」
肩に乗って来た小さな虫をつまんで放り、カコは返事をした。
「疑問は多々あるだろう。不安や心配も。だが光栄に思え、私が直々に全てを説明してやる」
「ありがとうございます」
やはりこういうところは素直だ。
却ってそれが不気味だが。
「まずその過去帳。そこに名の書かれた人間たちは、皆妖怪に――」
「殺されているんですよね。それで、故人の情報の後にある妖怪がそれぞれ犯人であると」
「…………」
台詞を奪われ、侃螺は顔をしかめた。
当たり前である。
また怒りが込み上げて来る彼だったが、そこをぐっと堪えて続きを説明することにした。
年長者の余裕とかそういうことではなく、純粋にこれ以上カコに振り回されるのが耐えられないのである。
意地だ。
「……わかっているなら話は早い。貴様はこれから――」
「カコちゃーん」
気を取り直したところで、またもや言葉を遮られた。
呼ばれたカコはごく普通に、対して侃螺は青筋を立てながら、それぞれ声のした方を見る。
やって来たのはカコの叔父と叔母だった。
「どうだいカコちゃん。おお、ずいぶん頑張ってくれたねえ」
「疲れたでしょう、休憩がてらおやつにしましょ……あら?」
にこやかに話す2人だったが、ふとその目がカコの持つ木箱と過去帳にとまる。
「それは……」
「過去帳のようです。うちの物ではないみたいですが、どうしましょう」
妖怪の名前云々の話はひとまず省き、カコは説明した。
曰くありげな過去帳も、彼女にとっては依然として「ゴミ」か「要るもの」かのどちらかでしかないのである。
だがカコの話を聞くや否や、途端に叔父と叔母の顔がサッと青ざめた。
「ち、ちょっと貸しておくれ」
「はい」
叔父に言われるまま、カコは過去帳を手渡す。
後ろでは侃螺が冷ややかな目で彼らを見ていた。
叔母と共に、叔父は過去帳のページをゆっくりとめくり、中身を確認する。
「……カコちゃん」
「はい」
「そこに、誰かいるのかね?」
指差したのはカコの横、何も無い空間。
だがその意図は明らかだ。
「こっちに居ます。妖怪ですが、無害ですよ」
カコは侃螺の居る方を指差した。
「ひとを指さすでない無礼者め」
「妖怪にもそれ適用されるんですね」
何の気なしに、カコは侃螺と会話をする。
叔父と叔母は彼女が「見える」者であることを知り、受け入れているただ2人の人間だ。
故にカコはいつも通りに受け答えをしたし、そのまま侃螺とも言葉を交わした、のだが。
「ああ、何てことだ……!」
「どうして……隠しておいたはずなのに……!」
彼らは嘆くように、顔を手で覆った。
狼狽するその様にカコは笑みを引っ込め、目を丸くする。
と、2人は揃って、侃螺の居る方向へと頭を下げた。
「番人様、どうかお許しを! カコはまだ16なんです!」
「お願いします、今回は見送ってください……!」
必死に嘆願する叔父と叔母。
カコはまるで事情が見えなかったが、やや鋭い視線を侃螺に突き付けた。
「ならぬ。そういう取り決めだ。……と伝えよ、荒井カコ」
「…………『そういう取り決めだから駄目だ』と、無駄に髪が長く分不相応に偉そうな偏屈妖怪が言っています」
「おい」
侮辱的な物言いに、侃螺は不満げな声を出す。
「叔父さん、叔母さん。どうしてあなたたちがそんなに悲しんでいるのか、説明をしてもらえますか?」
ガン無視である。
「そう……そうだね。まずはそこからだ」
カコが「番人様」を無視して話を続けようとしているとは露知らず、叔父は悲しげな顔で頷いた。
「カコちゃん、よく聞いておくれ。その過去帳はね、選ばれた者にしか読めないんだ」
「正確に言うと、一定以上の妖力を持った者、だな」
侃螺がわざわざ横から補足する。
案外、律儀だ。
叔父は続ける。
「そして選ばれた者は、過去帳の番人である妖怪と共に……妖怪退治をしなくちゃならないんだよ」
「妖怪、退治……」
カコは侃螺の方をちらと見、また視線を戻した。
「大昔、今よりずっと沢山の妖怪がいた時代。妖怪に殺される人間もまた大勢いた」
少しうつむき、叔父は言う。
「妖怪の手にかかった人間は、その妖怪に魂を囚われてしまう。彼岸に渡れなくなってしまうんだ。ある時、それを哀れに思った1人の妖術師がいてね。魂を解放するための道具としてこの過去帳を作った。しかし本人では使用するための妖力が足りなかったようで、彼はいつか扱える者が現れることを願い、番人様を付けて荒井家に託したというわけだ」
これが荒井家に残る言い伝えだよ、と話は締めくくられた。
「要するに……私が過去帳を使って妖怪退治をして、死んだ人の魂を解放すれば良いんですね」
カコが要約すれば、叔父は黙って頷く。
それから入れ替わるように叔母が言った。
「でも、でもねカコちゃん。嫌ならいいのよ。危ないことだし、貴重な学生時代を何もそんな、犠牲にしなくたっていいのよ」
「そうだよカコちゃん。おじさんたちがなんとか……なんとかするから。番人様も、きっと話せばわかってくれるさ」
彼らはカコの破滅的な素行の悪さと退学寸前の現状を知っている。
それを叱ったこともあるし、彼女にとって直すべき点だとも思っている。
しかしだからと言って、彼女がこのような命懸けの使命に身をやつし、よりにもよって花盛りをふいにさせられることは看過できなかった。
誰だってそうだ。
本人の責無きところで若い年頃を失うことなど、あってはならない。
だからこそ懸命に、努めてカコを安心させようと語りかける二人だが、侃螺は呆れたように鼻を鳴らす。
「ふん、勝手なことを言う。荒井カコ、貴様に選ぶ権利は無い。無論、私にもな。恨むなら使命を引き受けた先祖を恨め」
カコはまた侃螺の方を見た。
今度はじっくりと、数秒かけて。
「叔父さん、叔母さん」
視線をそのままに、2人に話しかける。
その左手が、優しく侃螺の肩に触れた。
右手の方はというと、一瞬間を置いたのち、握りこぶしをつくって彼の頬をぶん殴った。
「ッッ!?」
斜め下方からの強烈な一撃を食らった侃螺は、衝撃に負けてよろめき、その場に膝から崩れ落ちる。
カコは叔父と叔母に向き直り、握りこぶしを見せた。
「今、私は番人の妖怪を殴りました」
「えっ」
「妖怪は、殴られた頬を押さえて無様に膝を付いています」
また無礼な表現をされたが、侃螺は何も言わなかった。
言えなかった。
本当に、言葉を失っていた。
カコはにっこりと笑う。
「私、できますよ。妖怪退治。やります」
叔父と叔母は眉をひそめた。
本人から了承があったとて、心配する心が変わることは無い。
「カコちゃん……でも……無理しなくていいのよ? これは荒井家の問題なんだし……」
「私は荒井カコです」
カコは2人の手を取り、握った。
さっき侃螺を殴った手とは思えないほど、とても優しく。
――カコは4歳の時、事故で両親を亡くしている。
兄弟姉妹もおらず突然ひとりぼっちになった彼女を引き取ったのが、母親の妹にあたる叔母とその夫である叔父だった。
カコの記憶に、実の両親を喪ったことによる孤独や悲哀はほとんど無い。
当時はまだ幼く、死別をあまり理解できていなかったというものあるだろう。
だがそれ以上に、彼女は確信している。
自分が深刻な傷を抱えずに生きて来られたのは、有り余る愛情を惜しみなく注ぎ、育ててくれた叔父と叔母のおかげであると。
今、カコの脳裏にはそんな義両親との日々が思い出されていた。
「荒井カコは、あなたたちの娘ですよ」
彼女は少しゆっくりと言う。
その迷い無き声に、瞳に、叔父と叔母はもう何も反論することができなかった。
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