居待月

 九曜の言葉に姫子は真直ぐに視線をこちらに向けた。その瞳に、もう涙はなかった。

 驚いたのは雪上の方だ。

 さっきの九曜の言葉は加具姫子は石平と若松と丹波の三人の死には直接的に関わってはないと、そう確信しているからこそ言える言葉なのだと思ったから。でも、九曜がどうしてそこまで確信を持っているのかは、わからないまま。

「でも、皆さんが私のことをどう噂しているか存じています。私がいるから祟りが起きるのだ、そうやって……」

 そう言うとまた、泣き出しそうになる。

「姫子さんがいるから祟りになるとは、一体?」

 雪上は思わずそう聞いた。寒蝉和尚の話だと、祟りは姫子本人ではなく、加具家にふりかかるものではないのかと思い、口に出したのだが、姫子は視線を揺らめかせるばかりで、口をつぐんだ。

「逆に伺いたいのですが、姫子さん自身は、そう噂をされる理由をもうご自身でわかっていらっしゃるのではなのでしょうか?」

 九曜の言葉に、明らかに虚をつかれた。姫子はそんな表情を見せる。

「わかりません。私は何もわかりません」

 姫子はそう言ってだまりこくってしまった。

 九曜は何か言葉を探していたようだったが、見つからなかったのか同じようにだまりこくってしまう。

「あの……ここは寒いですし、住職さんも多分待っていらっしゃるでしょうから、一旦、本堂の方に戻りませんか?」

 雪上はそう提案した。もしかしたら、姫子は頑なにここにいると言い張るのかもしれないと思ったが、雪上自身の手先もかじかんできた。

「そうですね」

 雪上の思惑とは裏腹に、姫子は素直に応じる。ぴょんと川を飛び越え、

「大丈夫です?」

 こちら側に着地するも勢いでよろめく姫子の手を取る。氷のように冷たく、まるで死人の手でも触れてしまったかの様で、ぎょっとした。

「ありがとうございます」

 姫子の言葉とともに、自然な形で手を離し、本堂の方に戻る。姫子は慣れた足取りで駆け上がる、それに九曜と雪上も続いた。

「住職さん、すみません」

 姫子の声は少しだけ明るさを取り戻していた。

 本堂の中に顔を覗き込ませて、きょろきょろとしているが、住職の声は聞こえない。

「お家の方にいるのかしら。変ね。いつもならここから声をかけて返事が返って来るのだけど」

 姫子は先ほどよりも少しふっきれた様子で首を傾げ、本堂の引き戸を閉めて、外から事務所の方、つまり住居の方に向かった。

 扉のノックをしても、インターフォンを押しても一向に反応は見られない。姫子は何か不味いと思ったのか、住宅の扉を開けた。鍵はかかっていなかった。

「住職さーーん…………!?」

 大きな声をかけたのだが、目の前の光景を見て、声が裏返る。

 住職は前のめりに、目と口を開いたまま倒れ込み動かない。

「あっ……まさか、そんな……」

 姫子はへなへなと腰から崩れ落ちる。

 九曜は住職に駆け寄り、声をかけて体をゆすぶったが返事はなかった。

 唇が、暗紫色をしており、もう絶命しているのだとわかった。

「雪上くん。至急、救急車を。俺は警察に連絡をする」

 雪上は昨日から何度か繰り返しているこの場面なのだが、どうしても慣れることはない。

 番号をタップし、耳に当てる。すぐにコールは繋がった。

「火事ですか? 救急ですか?」

「えっと……」

 おどおどしながら、雪上は、今の前で起きていることを、なるべく冷静につとめて、言葉にしていく。



 救急車とほぼ同時に到着した警察車両から、降りてきた和田刑事は三人の顔を見てわかりやすく大きくため息を吐いた。

「それで、なにがどうしたかのか順に伺っても?」

 姫子は魂が抜け落ちた様に俯いていたため、説明を始めたのは、九曜だ。和田刑事はメモを取りながら、頷く。

「じゃあ、お二人がここに到着した時、まだ住職さんはお元気なご様子だった、で、間違いないですね?」

「はい。会話も交わしました。ほんの数十分前のことだったのです。まさか、こんな……」

 雪上の声のトーンが下がる。

「住職さんを最後に見てから、倒れているのを再度発見するまでの、正確な時間はわかりますか?」

「スマホを随時チェックしていた訳ではないので、難しいです。でも三十分もかかっていないと思います」

 九曜の言葉に同意するように、雪上も頷く。

「その間に、別の第三者が訪れていた可能性はありますか?」

 雪上と九曜は顔を見合わせ、お互いに首を傾げる。

「歩いて来た人がいたなら、わかりませんが、少なくとも車のエンジン音は聞こえませんでした」

 雪上の説明に付け足すように九曜が口を開いた。

「実は、本堂の隣を流れる川沿いを歩いていたので、川のせせらぎの音がありました。ですから、昨今の車はとても静音なものが多いので絶対かと聞かれると……」

「なるほど」

 和田刑事は、そこまで書きとめると、今度は姫子の方に視線を向けた。

「加具姫子さんですね?」

 姫子はふっと、和田刑事を見上げ、すぐに視線を落とし、

「はい」

 小さく返事をした。

「今朝から、貴女の行方を探していました。どうして誰にも何も告げずにこちらに?」

「すみません。ただ、一人になりたくて、一人になりたい時はこのお寺に来るので。それで」

 和田刑事は、何か言いたげに眉をひそめたが、咳払いをした。

「従業員の丹波さんが亡くなったのはご存知ですか?」

 はじかれたように上げた顔は、驚きと悲しみと様々な感情が入り混じっていた。

「騒ぎがあったので知りました。それで、現実に向き合うのが、心が、もう無理だったんです。それで一人車を走らせて……」

 姫子の声は切実だった。嘘をついている様には思えない。そう感じたのは、雪上だけではなかったと思う。

「こちらのお寺に来た時に、住職さんには会われましたか?」

「はい。住職さん声をかけて、本堂でお参りをしました。その時はいつもとお変わりないご様子でしたのに」

「このお寺に来てからの行動を教えてください」

「お参りをした後、一人になりたくて、周辺を散策していました。小さいころからよく来ているお寺なので、土地勘も勝手もわかっていましたしそれで、ふらっと。特に川の付近を歩くのが好きで、浅瀬の川なので対岸に渡ることも容易でした。そこで一人ぼうっとしていると、お二人がいらして」

「九曜さんと雪上さんの二人が来て驚きましたか?」

「私には、川の音で聞こえにくいところもありましたが、お寺の駐車場に入ってきた車のエンジン音は聞こえました。ですから、どなたかがいらっしゃったのだな、くらいにはわかっていたので、それほどには」

 姫子はそう言った。

「まあ、このお寺に来る人で、よっぽど地元の人でない限りは歩いて来る方はほとんどいらっしゃらないでしょうね」

 九曜が姫子の言葉を後押しするようにそう言った。

「お三方は、玄関を開けてすぐに住職さんが倒れているのを発見し、すぐに警察と救急に連絡をされたと言うことでしたが、家の中には入りましたか?」

「いいえ」

 三人は一様に首を振った。

「家の中に何かあったのですか?」

 九曜は和田刑事に訊ねる

「家の中の和室で、住職さんはコーヒーを飲んでいた形跡があるんです。他にカップ三個の用意があって来客の用意をされているような」

「それは僕らの分だと思います。このお寺に到着して、僕らは姫子さんの行方を追っていました。住職さんはその時、僕らの分の飲み物を用意して中で待っていると言ってくれましたから。サービス精神のある方だったようです。昨日来た時も、快く案内してくれましたし。そのカップは使われた形跡はあったのですか?」

「いいえ、ありませんでした」

 和田刑事は、はっきりとそう言った。

「じゃあ、やっぱり僕らのために用意してくれたのだと思います」

 九曜の言葉に、和田刑事は頷く。

「なるほど、あと、お茶請けのお菓子を用意されていた。一部、住職自身で食べた分があるようだ」

「お菓子というのはどんな?」

「和菓子です。花見団子とでもいいますか。みどりと桃色の御団子がふたつ連なっているもので――まだ聞き込みを行っている最中ですが、檀家さんがいらっしゃった様子はなさそうなので――と、そちらのお二人さんは昨日もここに来たって?」

 和田刑事は鋭い視線を向けた。

「刑事さん。昨日からずっと話しているじゃないですか。僕たちはS大の学生で、民族学を専攻し、各地に伝わる民話や伝承の研究をしていると。そして、僕らが今回ここに来た目的も、このお寺に伝わる寒蝉和尚の伝承を調べるために来たと。昨日も言いましたよね?」

「ああ」

 和田刑事は負けじと九曜を見る。

「寒蝉和尚が非業の死を遂げた時に、本堂の横を流れる川が赤く染まったと言う話です。僕らはある仮設立てました。竹取翁旅館で温泉に入ったことがきっかけで思いついたんです。地図を確認して、この川辿って行くと間欠泉がありますよね? ご存知です? 現代では管理されているでしょうから、そんなことは起こらないでしょうが、その当時、なんらか事情で、あふれた間欠泉が大量に川に流れ込んだと考えました。この辺りのお湯は赤湯と言われているそうですね? ですから、それで大量の赤湯の温泉が紛れ込んだ川が一時的に赤く染まった。そんな可能性はないかと」

 一度話し出すと止まらない九曜に和田刑事は目を白黒とさせながらも、

「確かに、その可能性は否定できませんね。この辺りの温泉は湯量が豊富だと聞いていますし、あり得ない話ではないかな」

 九曜の勢いに押され、和田刑事は真面目に返事をした。

「しかし、この話はあくまでも仮定の話です。それを聞いてもらおうと思って住職さんをたずねたのですが、こちらに来てみたところ、姫子さんの車が停車していたの見かけて、姫子さんのことも心配でしたから、まず姫子さんを探しました。それから、三人で住職さんの所に向かったのですが……こんな事になっていて……」

 雪上はここに来る前、九曜に『加具姫子がどこに行ったのかわかる』などと話していたのを思い出していた。あの時の九曜の様子を思い出して、姫子がここにいることに並々ならぬ核心を抱いているたのはなぜかと考えてみたが、ただ単純に、九曜の第六感がそう囁いたのだろうという結論しか浮かばなかった。それに今更、蒸し返すようにそんな話をしても、ただややこしくなるだけだと思い、何も言わず九曜の意見に同意を示し、頷いた。

「加具さんはいつから、このお寺に?」

「時間は、はっきりとは思い出せません。ぼうっと車を走らせていたんですけど、思い立ってこちらのお寺に……午前中にはいたと思います」

「話から加具さんは川の淵にいらっしゃったそうですが、どうしたってそんなところに? 今日は冷え込みもひどいですし。――なにか、人には言えない秘密を抱え込んでしまって、まさか、自殺を考えていた訳ではありませんよね?」

 姫子はまた泣き出しそうな表情を見せる。

 刑事の言葉はもっともなことだとも思われた。これだけ、人が立て続けに亡くなり、気持ちが滅入ってしまうのは仕方ないとしても、その行きつく先がどうしてあの川の淵だったのか、確かにそれは不思議だと思っていた。

「幼いころから、このお寺にはよく来ていました。両親がこのお寺にお参りに来る時はついてまわって、住職さんは昔からよくおしゃべりをされる方なんです。両親と話し出すと長かったので、そんな時は川の辺りでよく遊んでいたものですから」

「それは、大奥様と旦那様ではなく、姫子さんの本当のご両親のことで?」

 九曜の問いかけに姫子はゆっくりと頷く。

「住職さんと両親の話はとても難しくて、話が終わるといつも母が呼びに来てくれました。そろそろ帰るよと、優しい声で。でも、あの日がずっと待っていても帰って来なくって……」

「ずっと待っていても来なかったというのは……?」

「両親です。その日は、ちょっと急遽所用が出来てしまったと言って、私は眠ってしまっていたので、お寺で待っていました。冬の寒い日で、両親がお寺を出たあと、急に天気が悪くなり、雪がひどくなって視界が見えなくなるほどでした。それで、両親はホワイトアウトの中、進路を誤ってそのまま……」

「あ」

 思わず小さな声を漏らしてしまった雪上は、すぐに口をつぐんだ。

 なんと言葉をつづけたらいいのかわからなかった。

 お寺によく来るのは、もしかしたらまた大切な人が姫子を呼びに来てくれるかもしれない。そんな淡い期待と救いを求めて、ここに来たのだと、そんな風に思えてしまったから。

「なるほど。亡くなった住職さんは姫子さんのことを幼い頃からご存知でいらっしゃったのですね」

「はい。ですから、このお寺が――ちょっと言い過ぎかもしれませんが、第二の故郷みたいな感じがして。寒蝉和尚の命日以外にもよくこちらに」

 和田刑事が首を傾げたので、加具家の人達が代々、寒蝉和尚の命日にお参りをしているのだと、簡単に説明した。

「大奥様と旦那様はあまり、迷信を信じない方なんですかね? 姫子さんの話ぶりからすると、亡くなったご両親はわりとこちらのお寺に来ていらしたのかなと思ったのですが――勘繰る訳ではありませんが、大奥様と旦那様は住職さんとあまり仲がよくなかったとか?」

 九曜の問いに姫子は首を傾げる。

「そんなことはなかったと思いますけれど。住職さんが祖父母に対して特に態度を変えて接している様にも見えませんでした。祖父母は、お客様以外の人に対しては少々癖のある態度を見せる場合もあって、第三者から見ればそう思われたこともあったかもしれませんが、礼儀はつくしていました。特に季節の折々には、お菓子を送ったりもしていましたし」

 姫子の今の話で九曜は何か納得をしたようだったが、雪上にはその魂胆は全くもってわからない。

 姫子の祖父母が関与している可能性があると考えたのだろうか。

 しかし、この寒蝉寺まで来るには距離的に車でなければ難しいだろう。

 それに、祖父の盛道の体の具合から見ても、長い距離の移動は体に負担がかかりそうだと思われた。

 姫子も訝し気な視線を向けたが、気にする様子もなく、和田刑事の方を見て、

「コーヒーとその花見団子以外になにか食べていたりですとかそんな様子はありませんでしたか? 住職さんの死は、刺されたり、首を絞められたりと様子はなかったので、心臓発作や、もともとの持病かなにかが関わったものか、もしくは毒を盛られた。そんな可能性があるのではと、素人判断ですが、思ったものですから」

 九曜は笑顔で頭をさする。

「貴方も妙なところで鋭いですね。確かに、見る限り、外傷はなさそうです。あるとすれば、倒れた時に膝と手をついて打ったようなことくらいですかね。なにか異物を摂取した可能性があるかどうかは、司法解剖の結果を待たないとなんとも言えないですね。――ちなみに、住職さんのご家族の方と連絡をとりたいのですが、どなかた親族の方の連絡先はご存知ではないでしょうか?」

 和田刑事の問いかけに姫子は首を横に振る。

「住職さんのご家族を私は存知あげません。祖父母は知っていたかもしれませんが。――と、言いますのもかなり昔に亡くなられてしまったと。そう聞いていますので」

 和田刑事は声にならない小さな悲鳴を漏らした。姫子は言葉を続ける。

「だから多分、それもあっていつもこのお寺に来た時は家族の様に接して下さったのだと」

 姫子の言葉に和田刑事の鋭さが消える。

 今の言葉には、姫子と住職の温かな繋がりが垣間見えたからだと雪上は思ったのだが、それとは反対に九曜の表情は曇り空で、姫子の言葉が紡がれる度に、顔を顰めていた。

「若松さんがこのお寺に来て、何を探っていたのかもわからなくなってしまったな」

 九曜が他の人には聞こえない声でぽつりとつぶやく。

 

 

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