十六夜

 警察と救急車が到着すると丹波の死が確認され、厨房の中は殺伐とした空気が流れる。

「えっと、雪上理来さん?」

「はい」

 刑事からの問いかけに雪上はぴりっと返事をした。

「深夜に目が覚めて、客室から出てトイレに行かれたと言うことですが、わざわざどうしてそんなことを?」

 上から重圧をかけられるような刑事の物言いに息苦しさを感じがらも、

「昨夜はあまりにも疲れていたのか、ちょっと布団に横になっただけで、意識を失う様に眠ってしまって。起きたら体が重だるかったので、少し体をほぐそうと思って、ラウンジの方にあるトイレまで歩いて行こうと。ただそれだけです」

 雪上は素直に、そのままを伝えた。

「トイレから部屋に戻ろうとした時に中庭で、声が聞こえたと話されましたが、それが誰の声だったのかはわからないのですね?」

「わかりません。姿は一切見えませんでしたし、でも声の感じから、男性と女性かなと思いましたが、絶対かと言われると確信は持てません。最初はそのまま通り過ぎたんですけど、なんとなく気になって……こんな事件が続いていますし、部屋に戻って眠っていた九曜さんを起こすと、一緒に中庭に行きました」

「探してみて誰かいましたか? 何かを見つけましたか?」

「いえ、結局何も。聞き間違いかと思った所で、今度は厨房から声がして……」

「行ってみると丹波さんが倒れていたと言うことですね?」

「はい」

 刑事は雪上の供述を一通り書き留めた所で、

「中庭で話していた人物と、叫び声を上げた人物は同一人物だと思われますか?」

「……」

 雪上は言葉につまった。

 状況から考えて、あの時は同一人物だろうと思っていた。しかし、改めて聞かれると、核心が持てなかった。

「わかりません。さっきも言いましたが、中庭で誰と誰が話していたのか、確認をした訳ではなかったので」

「聞き覚えのある声でしたか?」

「わかりません。かなりひそひそと話していたので、ほとんど聞き取れませんでした。だけど、丹波さんを発見した厨房の男性スタッフの方とは違いました。あの人の声はなんとなく特徴がありますから、それとは違うかなと思います」

 取り調べが終わったらしく、九曜は雪上の隣に来て、ちょうどその話を聞いていたのか、

「あの厨房の方――賀田さんの声は少し高めの声ですよね? よく通る声ですし。確かに聞き間違えることはないかなと思いますね」

 九曜の言葉は説得力があり、刑事も納得の意を示すように何度か頷いた。

 それに賀田の驚き方は演技には見えなかった。彼は不運なだけで、むしろ雪上達と一緒で巻き込まれた側の人間なのだろうと思った。これは雪上の直感でしかないが。

 刑事の一人は、雪上より年齢が少し上くらいの若い男性だった。昨日も現場に来ていたので、見覚えがある。確か、取り調べの時に和田と名乗っていた。

「そう言えば、加具姫子さんはいらっしゃらないのですか?」

 九曜が周囲を見回しながらそう聞いた。

 これだけの騒ぎ、しかも亡くなった丹波は、この旅館の授業員でもあると言うのに。

 刑事の和田はこくりと頷く。

「旅館の従業員の方にも順にお話をうかがっているのですが、加具姫子さんの姿が見当たらない状況でして。逆にご存知ではないかと思ったのですが」

 九曜と雪上は顔を見合わせる

「いいえ、わかりません」

「加具姫子さんを最後に見たのは?」

「昨夜、若松さんが亡くなっていたのを発見した時です」

「私もそうです」

 九曜の言葉に続いて雪上もそう答えたが、あの時の、気が狂った様に若松の名前を呼ぶ姫子の姿を思い出すと気が滅入りそうになる。

「そうですか」

 和田刑事は表情こそ変えなかったが、肩を落とした様にも見えた。

「……もしもですよ」

「はい?」

 和田刑事は九曜の言葉に顔を上げる。

「もし、あの中庭で雪上くんが聞いた声の主が、姫子さんだったとした場合は大きく状況は変わってきますでしょうか?」

 九曜の言葉に雪上は思わずどきりとした。

 自分の発言一つで、他の誰かの人生を大きく左右するかもしれないと、そう思った時に怖いと思ってしまった。

「それについては、なんとも。ですが、若松さんが亡くなった時、昨夜は自分も現場に来て、憔悴しきっている加具さんから必要最低限の事情聴取をした後に、あまりも体調が良く無さそうだったので、そのまま自室に戻られたのは見ました。それ以降、加具姫子さんに会った人物はなく、今も他の警官が確認に行きましたが、部屋にもいないみたいです。ですから、彼女自身が事件に何らかの形で関係があるのか、逆に巻き込まれてないのか。ともかく、行方を追っている状況です」

「と、言うことは、まだ加具姫子さんは今回の事件の犯人とは断定していない。でも、事件について、なんらかの情報を知っているのではないかと、事件の重要参考人であるとは思っている。そんな認識で間違いないですか?」

 和田刑事は渋々と言った具合にこくりと頷くと、周囲をきょろきょろと見回して、

「それから……、昨日部屋ので聞いた話のあの噂、囁かれてますよ」

 二人に聞こえるくらいの小声でそう言った。

「噂って……」

「寒蝉和尚の祟りの話です。昨日、ここに来たのもその伝承を調べにこちらに来たと話されていたので、一応お話した方がいいと思いまして。学業の参考になればと」

「ご親切にありがとうございます」

 九曜は意外だったのか、少し戸惑っていた。

「お二人が、煽るような真似はしないと信じてお話しましたので」

「もちろんです。わざわざありがとうございます」

 和田刑事は一礼し、きびきびと仕事に戻る。

 残された二人はそれ以上そこに居ても仕方なかったので、どちらともなく歩き出して部屋に戻る途中、

「あ、あの」

 廊下の向こうから、女性の声に顔を上げると沙織だった。

「おはようございます。刑事さんに呼ばれたのですか?」

 九曜は明るい声をしていた。

「おはようございます。はい、なんだか昨日の今日で、私も何がなんだか……お二人はもう終わったのですか?」

「はい。今しがた。これから部屋に戻る所です」

 雪上はあくびをかみ殺す。

 眠たいが、恐らく布団に入っても眠ることは出来ないだろうと思われた。

「申し訳ないのですが、この様子だと、今日はお食事の用意をするのが難しいと思います」

 確かに、あれだけの規制線が張りめぐされた厨房で、食事の準備をするのは無理だろう。

「気になさらないで下さい。適当に済ませますので」

「食事は……申し訳ないのですが、もし良ければ朝風呂の用意が出来ていますので、大浴場にいらしてみてください」

「温泉があるのですか?」

 九曜の声は心なしか嬉しそうだった。

「はい。昔からこの辺りの温泉は赤湯として有名だったんですよ。ちょっと山の方に行くと間欠泉の公園もあって」

「間欠泉?」

 聞きなれない言葉に雪上は首を傾げる。

「自然の力で、一定時間経つと温泉が地表に噴出するんです」

「へえ」

「大浴場はこの廊下を真直ぐ行った所、突き当りを右に曲がってください。タオルは浴場にあるので、手ぶらで大丈夫ですよ」

「ありがとうございます」

 九曜が深々と頭を下げ、沙織は通り過ぎて行った。

「温泉行きます?」

 雪上の言葉に、九曜は喜々として頷いた。

「温泉好きなんですか?」

 歩きながら、雪上はそう聞いてみたが、

「まあ、そうだな」

「意外です」

「そうか?」

「なんというか、九曜さんって、生活感がありそうでないから、本当に研究のことしか興味ないのかなって思ってましたけど、温泉好きな一面があるとか、普通で良かったです」

「雪上くんから見て普通だと言われる日がくるとは思っていなかったな」

 九曜は笑っていた。

「その言い方だと、俺が九曜さんのこと普通じゃない人だと言っていたかの様な言い方じゃないです?」

「俺はそうなんだろうなと思っていたよ。大学に入学して、最初のゼミで君は恐らく全く興味がないであろう、俺の研究を一緒にやったらどうかと教授から指名されて」

「まあ、最初は、思うことは色々ありましたけど」

 確かに、そうだった。

 なぜよくわからない研究に雪上自身が付き合わなければならないのかと思っていた。

「ありがとう」

「え?」

 九曜から礼の言葉を言われたのは初めてだったので、戸惑った。

「本当、一緒にやってくれたのが雪上くんで本当によかったと思う。俺一人だと突っ走って、変なところに辿りついてそうだったから、改めて、ありがとう」

「いえ……俺自身も、やってみたら意外と続けられたので」

 雪上がそう言ったところで、二人は大浴場の暖簾をくぐった。

 もちろん脱衣所には誰の姿も見当たらない。

 体を洗って湯につかると、ほっと体のこわばりが抜けていくような気がした。

 茶褐色の少し赤くも見える濁り湯は、程よく熱く、その熱さが今は心地よく感じられる。

 雪上は、先ほどの九曜とのやり取りを思い出して、次第に頬が緩んだ。

 そう言えば、その肝心の九曜はどこに行ったのかときょろきょろと見回すと、浴槽の目の前で膝をついて、お湯をまじまじと見ている。

「どうしたんですか? 寒くないですか?」

 久しぶりに九曜の奇行を目にして、驚きはするが、数年一緒に居れば慣れてくるものだ。今では、冷静な目で彼を見ることが出来る。

 こんな時の九曜は、恐らく何か自分の中での発見をした時だともわかってきた。

「これだ」

「はい?」

「やはり、これだ」

 なにがこれなのかはわからないが九曜がそう繰り返すので、何かがわかったのだろうと思う。

 これ以上質問を繰り返しても押し問答になるだけなので、雪上は、温泉に浸かり直した。

 今日は部屋に戻っても、寝ずにやっぱり、どこかに行くのだろうということだけは頭の中ではっきりとわかった。



 ◇



 フィールドワークの際中に、祟りに遭遇することなんてまずあり得ないと昨日、寒蝉寺に到着した時は思っていた。

 しかし、町のスーパーに出向いた二人は、和田刑事から聞いた話が現実に起こっているのだと、目の当たりにする。


『寒蝉和尚の祟りが起こった』

『しばらくないと、安心していたのに』

『やっぱり加具家か』

『加具家の仕業か』

『あの娘がいるからなあ』

『あの娘、姿を消したって』


 あの娘というのは姫子の事だろうか。

 スーパーの店内で、密やかに開催される井戸端会議。 

 開かれた会議会場へ、商品を見るのを装って、近づいてみるのだが、雪上と九曜がその場を通りかかる直前で、蜘蛛の子を散らしたように霧散してしまい、それ以上のことを聞くことは出来なかった。

「姫子さんはどこに姿を消してしまったのでしょう?」

 鮮魚コーナーを見ながら、九曜に問いかける。

 飲み物と軽く食べれるものを買うつもりでちょっと立ち寄っただけなのだが、思いのほか、観光客気分でどんなものが売っているのかと、店内を一回りしてみると、先ほどの井戸端会議に遭遇したと言う訳だ。

 店内に並ぶ品物は雪上が住む地域にあるスーパーとほぼ変わりない。特にお菓子や飲料品のコーナの棚に置いてある商品はよくみかけるものだった。ただ、鮮魚のコーナーは若干異なり、あまり見たことのない近海で獲れた新鮮な海産物が並んでいた。

 九曜はじっと目を凝らして、陳列した海産物を物珍しそう見てる。

 その九曜に耳打ちするように聞いてみたのだが、返事はない。

 加具姫子よりも鮮魚の方に心を奪われているようだった。確かに、雪上も目をやると何だろうと見たこともない新鮮な鮮魚に心惹かれそうになった。

 九曜はどうも夢中で、それ以上は話かけても色よい返事がないだろうと思い、一人でドリンクコーナーに向かう。

 今の気分にあった飲み物を選んで、お菓子のコーナーに向かった。

 特になにかが欲しいと言う訳ではないのだが、見慣れたパッケージをみるとどこかほっとした。

 せっかくだからと、普段からよく選ぶスナック菓子を選んだ。

 レジで会計をすると、いつ終わったのか、九曜はすでに袋詰めをコーナーの近くで、ガラス張りの窓の向こう側を見ている。

「すみません。お待たせしました」

 急いで、バックパックに買い物をつめて、九曜の元に向かう。

 九曜は流石に雪上に気が付くはずの距離であるのに何も言わずにガラスの向こうを見つめている。

 一体何があるのかと九曜が見つめている先に視線を向けると、麻生と見たことのない女性が肩を並べて歩いてるのが見えた。

「行ってみます?」

 ちょうど通りを曲がり二人の姿が見えなくなって、雪上はそう提案してみると、

「行ってみるか」

 九曜が小さく頷いた。

 二人は足早にスーパーを出る。

 雪上は正直なところ二人に追いつくのは距離的にも難しいだろうと思っていたのだが、角を曲がったところで、二人の姿がまだ見えたので、逆に驚いてしまうくらいだった。

 どこにいくのだろう。

 それとなく後ろをつけると、昨日二人を見掛けたあのハンバーガショップに入っていった。九曜と顔を見合わせて、少し時間を置いて、二人も店に入った。

『SNSで有名なハンバーガーを食べに来た』

 と、言えば、鉢合わせたとしてもそれ程不自然ではないだろう。

 この辺りの地域の観光情報で常に出てくる店の名前なので、有名なのは本当だろうし。

 時刻は十時を過ぎた所なのに、相変わらず店内は混雑している。

 注文の列に並ぶ。メニューはどうしようかと、レジの後ろの壁に貼られたメニュー表を見て、兎に角この店は食事の種類が様々あったのだと思い出す。

 雪上がメニュー表に夢中になっていると、目の端の方に麻生と女性が連れだって、席に着こうとしているのが見えた。不自然にならない程度にそちらにちらりと顔を向ける。隣にいた女性が誰かはわからなかったが、旅館では見ない顔だと言うことは確かだった。

「次だけど、決まった?」

 隣にいた九曜に不意に声をかけられ、

「ああ、ええっと……」

 ハンバーガショップなのになぜか、定食のメニューもあったので、それにした。パンよりも白米を食べたい気分だった。

 九曜もそうだったらしく、同じようなメニューを注文していた。

「ハンバーガーが有名な店で、定食を頼むのは不思議な気分ですね」

「確かに」

 九曜も笑っていた。

 ちょうど麻生達が座っている席の近くが空いたので、その席に滑り込む。

 ボックス席なので、立ち上がったり、見ようとしないと、麻生とは目が合わない。

「やはり、噂は早いな」

 店内の喧騒に紛れて、《祟り》の言葉があちらこちらから聞こえる。


 

『大丈夫? なんだか町の人もみんなしてひそひそと噂話をしているけれど、貴方、疑われていないの?」

『まさか……』

 

 麻生と連れの女性との会話が断片的に聞こえた。

 ちょうど、雪上と九曜の食事が届くと、近くに居た家族連れが席を立ち上がったので、さっきよりも麻生の声がよく聞こえる様になった。



『俺よりも旅館のお嬢さんの方が疑われているよ』

『なんで?』

『姿が見えなくなったんだ』

『え……まさか……』


 会話はそこで一旦途切れた。

 九曜と雪上は何も言葉を発することなく食事を続ける。


『でも、まさかあのお嬢さんが……だって、何回かは見かけたことがあるけれど、かなり箱入りそうなお嬢さんよね? その彼女が人殺しなんて……』

『ただ現状として、姿が見えない今、警察から疑惑の目が行くのは当然と言うか。だっていなくなってしまったんだよ? 姿を消した理由として考えられるのは、何か後ろ暗いことがあるから。そうじゃないか?』

『もしくは、逆にもうこの世にはいない。そう考えることもできないかしら』

『あ』


 麻生だけではない。雪上もその考えには至らなかったので、麻生と同じように小さく声を漏らした。


『それか本当に殺人鬼のどちらかね。――貴方は、お嬢さんがそんなことをする人には見えないと言うけれど、貴方だって押しつぶされそうなくらいの借金があって、帳消しにしてやるから、結婚を決めてこいと両親からせっつかれている次男坊だなんて、言われなければわからないじゃない』

『まあ……事実だが』

『お嬢さんに借金があることは話したの』

『いいや、別に聞かれていないし』

『悪い人』

 

 二人は他にいくつかたわいもない話をして、席を立ち上がると、出て行った。

「あの二人はどんな関係性なんですかね? 恋人でしょうか?」

「どうだろう」

 九曜はあまり興味のない口ぶりだ。

「でも、麻生さんに借金がある話は初耳でした」

「そうだな。まあ、本人は積極的に言いたい内容ではないだろうしね」

「……麻生さんが犯人かもしれない理由になりますかね?」

 雪上は麻生が犯人だとは全く思っていなかったのだが、一応確認の意味をこめてそう聞いた。

「まあ、そう思われる可能性はあるだろう」

 九曜は水を一口飲んで、話を続ける。

「ただ、現状では麻生さんがさっき話していた通り、なんだかんだ加具姫子さんが最重要人物として警察はみていると思う」

「そうですね……もしあの中庭で聞いた声の主が姫子さんだったなら、なおさらそうですよね」

 姫子は丹波は別としても、若松と石平の第一発見者でもある。もしあの時、中庭に居た人物だとすれば、なおさら。

「だが、雪上くん。中庭には二人の人物の声がしたと話していたね?」

「え、はい」

 九曜の声で、思考の淵から顔を上げた。

「一方の人物が姫子さんだったと仮定しても。じゃあ、もう一人の人物は誰だったのだろう」

「あ」

 もう一人の人物が、丹波と姫子の二人を殺害したとも考えられると気が付く。そして、雪上の中で、麻生ではないとなんとなく確信があった。

「一応聞くが、そのもう一人の人物については、全くわからないのだね?」

 雪上は唸り声を上げて、頭を抱え込む。

「はい……今となっては中庭に出てでも、しっかりと相手の顔を見るべきだったと思います」

 もしかしたら、丹波だったかもしれないと、軽々しくは言えなかった。

「いや、それはだめだ。雪上くんに危険が及ぶの事はあってはならない。君に何かあれば、ゼミの教授や君の親御さんに顔の向けられないもの。それに君のせいではない。むしろ、偶然に解決の糸口を君が握ってしまった。ただそれだけなんだ」

「ありがとうございます。姫子さんに話が聞ければ、それが一番いいのですが。一体どこに行ってしまったんでしょう?」

 雪上は残っていたご飯の最後の一口を食べて、水を飲んだ。

「なんとなく思い当たる場所はある」

「どこです?」

 ぼそぼそと言った九曜の一言に雪上は思わず声をあげた。

「行ってみようか」

「行ってみましょうよ」

 間髪入れずに返事をする。

 雪上達もこの事件の参考人として若干の疑いをかけられていることはうすうす肌で感じていた。だから、その疑いを晴らしたいと思ったのと、これは雪上自身の勘であるが、姫子が犯人だと言う話はにわかに信じがたいと思ったからだ。状況的にみてその可能性が高いことは重々わかってはいるけれども。

 もちろん、それは雪上が姫子に対して、並々ならぬ気持ちを抱いているからとかそんな理由ではなく、もっと深いなにかが今回の事件の根底に流れている。そんな気がした。

「行ってみるか」

 自分から提案した割には、九曜はあまり乗り気ではないらしい。なにか理由があるのかと聞くと、

「車を出さないといけないところでね。僕らまで変な疑いをかけられないだろうかと思うと」

 九曜はそう言うが、恐らく雪上自身のことを心配してくれているのだろうと思った。

「でも俺と九曜さんの本分は学生ですし、行先を宿の人に告げて行く分には問題ないのでは?」

 雪上にしては珍しく、大胆な提案だった。九曜は珍しく驚いたようで、目を白黒とさせた。

「確かにそうだな。そうと決まったら、行こう」

 席を立ち上がる。

「じゃあ、下げてきますね」

 雪上は自分の空いた食器とついでにと、九曜の分も重ねて一つにまとめる。

「昔とは……君も少しずつ変わっているんだな」

 不意に九曜がそう言った。

「変わりましたか?」

 急に言われた言葉に雪上は驚いた。何だか、褒められた様な気分になって急にこそばゆくなった。

「次の春で四回生になります。そろそろ就職のこともありますし、嫌でも変わりますよ」

 つっけんどんにそう言いながら、九曜とはフィールドワークの話はするが、それ以外の話はほとんどしたことが無いなと改めて思ってしまった。


――九曜さんは就職活動はどうするんですか?――


 そう聞いてみたい気持ちにかられるも今は聞く時ではないと思い、食器を持って席を立つ。

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る