十三夜

 丹波は九曜のリクエスト通りに、食事を大広間に持ってきてくれた。

「ありがとうございます」

 雪上は礼を言い、食事を受け取る。

 九曜は小さく会釈をしただけで、物憂げな表情だったが、丹波が立ち去ろうとしたところ、ぐっと腕の裾を掴んで引き留めた。

「お忙しい中すみません。あの、この旅館の庭かどこかか、もしくは近くにナンテンの木はありますか?」

「ナンテンですか?」

 丹波はきょとんとした。

「ナンテンって、……正月飾りとかで赤い実がついている、あれ?」

 九曜はこくりと頷く。

「ナンテンの木は、ないと思いますね。ただ、正月飾りで飾っていたものを下げた分が、もしかしたら納屋にまだ置いてあったかもしれません。あと、実をつける木でしたら柘榴の木は庭にあります」

「柘榴ですか」

「はい。あと、旅館近くの、他のご家庭やお店の庭で栽培されているかどうか………………については、もしかしたらあるかもしれませんが、私も一軒、一軒それぞれのお庭の事情を知っている訳ではありませんので」

「そうですよね」

 雪上は苦笑いを浮かべ、九曜は質問を続ける。

「ちなみにその納屋はどちらに?」

「裏の納屋この建物の裏の方に。使わない物なんかを一緒くたにしておいてあります」

 九曜は表情を明るめて頷いた。

「お忙しい中、お引止めしてすみません。ありがとうございます」

 丹波は笑顔で軽く会釈をすると、まだ他にも色々とやることがあるのだろう、そそくさと足早に立ち去った。

「どうしてナンテンの木があるかなんて聞いたのですか?」

 雪上は九曜に訊ねる。

「若松さんの死体の周辺に、赤い実が落ちていただろう?」

「あれが、ナンテン」

 雪上は納得がいった。

「どこから用意したのかと。相当に用意周到だと思って」

「まあ、もしこの旅館の庭にあるとしたなら、ある意味僕らみたいな客でも用意できますからね」

 雪上の言葉にぎくりとしたのか隣の席で、食後のお茶にむせて、何度か咳払いをしていた。

「”誰でも”なんてことは軽々しく言わないでほしいね。俺は何度も言うけれど無関係だから――本当にお二人は命知らずと言うかなんというか、先ほどは冷や冷やしましたよ」

 麻生はぴしゃりと言い放ち残りのお茶を飲み干した。

「あはは。でも実際、下げた分の正月飾りが納屋にあるだなんて、従業員じゃないとわからないでしょう」

「いや、そのことじゃなくてさっきの大奥様の……」

 雪上は笑ってごまかしながら、両手を合わせてから用意されたお膳に手を付ける。

 お腹は全くすいていなかったが、せっかく用意してくれた食事なので、手を付けない訳にはいかない。

「私は部屋に戻る。姫子は一体、何をしているんだか」

 久恵が杢色の着物をひるがえし、立ち上がった所だった。何か悪いものを見てしまった様に雪上は目を反らす。もちろん、雪上自身に過失も汚点も何もないのだけれど。むしろ巻き込まれた側で、ある意味被害者とも言えよう。

「部屋に、主人の食事は運んでくれたかい? ん、やっていない? なんだい気が利かないねぇ。主人を飢え死にさせる気かい? 早く用意して持って行ってちょうだい」

 強い口調を浴びせられた若い女中は涙交じりの声で「はい、すみません」と言い、大広間を駆け足で出て行く。

 出入する女中は他にも何人かいるのだが、誰もが見てみぬふりを決め込んでいる様だった。

「トラブルが起こることなんて日常茶飯事なんだから。それくらい冷静に対応できなくてどうするんだか」

 ぶつくさと文句を言いながら、ゆくりとした足取りで久恵は大広間を出て行った。

 その後ろ姿を目で追いながら、内心、人が亡くなることは久恵の中で日常茶飯事で起こることなのだろうかとツッコミを入れたかったが、言葉にすることはもちろん控え、目の前の食事に集中する。

 隣の九曜は早々に食事を終えたようで、麻生がお茶を用意してくれている所だった。

「ありがとうございます。麻生さん、つかぬことを伺っても?」

 九曜はお茶を受け取りながらそう聞く。

「はい。俺が答えられることなら」

「あの、姫子さんの御祖父様はどういった方なのですか? 部屋に食事をと、指示していましたが。つまり、ご病気か体調があまりよくないのでしょうか?」

「十年ほど前に病に倒れて、体調と言うか病気の後遺症のようで。寝たきりの生活をしているとか」

「詳しいのですか?」

 特に深い意味はなかったが相槌程度の気軽さで、雪上はそう聞いた。

「大旦那様の加具盛道さんは、この旅館を一時期全国レベルの知名度まで押し上げてた立役者の人だから、この業界では知らない人はいないと思いますよ」

「なるほど」

 

 麻生は食事を終えると、居心地の悪そうな笑顔を見せて、部屋に引き上げて行った。

 その後で、九曜と雪上も各々、食事を終え、大広間を出た。ちょうど出た廊下の先で、お膳を持った女中を鉢合わせる。

「あ、すみません」

 女中が驚いてお膳を手からすべり落ちそうになるのをなんとか九曜がお膳を持ち、支えた。

「申し訳ありません。ありがとうございます」

 彼女の服につけた名札の【伊藤沙織】の文字が目に入る。

 ほんのり茶色がかった髪の毛を結い上げ、少々おぼつかない物言い。年齢こそは雪上より年上だが、もしかしたらここでの仕事はそう長くはないのかもしれない。

「いえ、大丈夫ですよ。あれ、貴女、先ほどの」

 九曜の問いかけに、もう一度、雪上は伊藤の顔を見て、思い出した。久恵から盛道に食事を持っていく様に言われていた女中だった。

「えっと」

 沙織は何を言えばいいのかと九曜と雪上の顔を交互に見る。

「これは、加具盛道さんのところに持っていくお膳ですか?」

 九曜の言葉に、一瞬驚いた表情をみせながらもきまりが悪そうに、

「はい。そうです。先ほどはお恥ずかしいところを」

 視線を下げる。

「いや、ちょうどタイミングがよかった。私達はその、今回の事件に巻き込まれてしまって、困っていたところ旅館の方のご厚意で泊まらせていただけることになったのですが、大旦那様の盛道さんにはお会いできる機会がなかったもので、お礼を言う機会を逸脱していたのです。ご一緒に付き添わせていただいても?」

「えっと、……あ、はい。ご案内いたします」

 沙織は足早に雪上達の先頭に踊り出るが、少し歩いた所で振り返り、

「すみません、持っていただいて」

 申し訳なさそうに体を縮こませた。

「いや、別に大したことではありませんから」

 転びそうになった所から、九曜はずっとお膳を持ったままだった。恐らく、盛道のところにいく口実を失いたくなくて、そのまま持っているのだろうと雪上には彼の魂胆が手に取る様にわかっていた。

「ありがとうございます。私、そそっかしくて。もっと急いで仕事をしなければならないのに」

 九曜は朗らかな笑顔を作り、

「気にしないでください。それよりも大奥様の久恵さんはいつもあんな様子なのですか?」

 九曜の容赦ない質問に沙織は視線を彷徨わせた。どう答えるべきかと困っているのだろう。

「えっと……仕事が順調に出来てる方には何も言われません。まだまだ私が未熟なだけなんです」

 九曜は珍しくすぐに言葉を返せず、一瞬、間があった。

「いや、すみません。えっと私の言葉が足りなかったようです。大奥様と姫子さんとの関係です。何と言うか、孫と祖母のご関係であると思うのですが、ずいぶんよそよそしく見えたので」

「それはやはり他の従業員もいる場だったからではありませんか? 公の場だからあえてそういう態度を取った可能性もあると思いますが?」

 沙織が返答する前に雪上は自分自身が思った見解を述べた。

「まあ、確かに」

 九曜がそう相槌を打った所で、沙織は廊下のつきあたりの部屋で立ち止まる。

「こちらです」

 小さくそう言って、ゆっくり扉をノックする。

「お食事をお持ち致しました。失礼いたします」

 部屋の中は一切の明りもなく真っ暗だった。

「えっと」

 雪上は思わず声をもらし、目を凝らす。

「すみません。お食事はどちらにお持ちいたしましょう? あの明りをつけても……」

「ならん」

 真っ暗な闇の中から、しゃがれた老人の声が鮮明に響いた。

 沙織はその声が持つ威圧感に気圧され、半歩後ろに下がる。

「申し訳ございません。では、このままで失礼いたしますが、大奥様から申し付かってお食事をお持ち致しました。あのこちらのお二方は」

 沙織の紹介を待つ間もなく九曜は高らかに声を上げる。

「私達は、石平さんが事件に巻き込まれたその現場にたまたま遭遇した者です。ご厚意でこちらの旅館のお世話になっております。私は九曜、隣の彼は雪上くん。私達は二人ともS大学の学生です。ご挨拶とお礼を兼ねて伺いました」

 いきいきと流暢に一気にそこまで述べた。

 暗闇の中の盛道は九曜の勢いにあっけにとられている様子だった。もちろん九曜はそんなことは気にも留めず、逆に返事がないのを良い事に、

「失礼します」

 と、部屋への入場宣言を言い放ち、部屋の畳に足を踏み入れる。

「失礼……いたします」

 雪上も九曜にならい、そろりと部屋の中に足を踏み入れる。最初は全く見えなかったが、ずっと真っ暗闇の部屋を見ていると少しずつ目が慣れ、真っ暗が薄闇ぐらいに見えるようになった。

 窓はカーテンがぴしっと閉まり、隙間風すらも一切感じない。畳の部屋の真ん中にカーペットが敷かれ、その上に病院などの入院施設でみる、電動ベッドが置かれている。ベッドの上に上半身だけ起こしたやせ細った老人の目だけが異様にぎょろぎょろと、こちらを向いている。

「食事はここでいいでしょうか?」

 ベッドの上にはカウンターのテーブルがあり、九曜は相手の返事を聞く前に、お膳をそこに乗せた。テーブルは可動式で、九曜は食事がのったテーブルを盛道が食べやすいように側に引き寄せてやる。

 着ているものは洗い立てのシャツらしく、清潔感があった。

「お二人は……学生さんと、言ったか?」

 盛道は毒気が抜かれた様に、先ほどとは打って変わりぽかんとした口調で、九曜と雪上を交互に見た。

「はい。実は、寒蝉寺に伝わる伝承を調べるためにフィールドワークでこちらへ来ました。ちょうどそのお寺で姫子さんにお会いしまして。話のながれで加具家の菩提寺でもある白鹿寺を案内してくれるとのことで、立ち寄らせていただいたのです。その時はほんの軽い気持ちだったのですが、まさかこんな事件が起こるとは思いもよらず。こちらに知り合いもおらず、困っていた所、滞在してもいいと声をかけていただき非常に助かりました。――ですが、石平さん。それに続いて、若松さんが相次いでお亡くなりになってしまったこと、お悔み申し上げます」

「いや。そんなかしこまらなくとも。そもそもうちの家の者ではないからな」

 盛道はなんでもない様に言った。

 その言葉には亡くなった二人にに対しての憐れみや悲しみの感情は一切感じられなかった。

「二人は姫子さんの婚約者候補の方だったと伺いましたが?」

 九曜も雪上が感じた違和感を同じように覚えたらしく、さらに盛道に対して言葉を重ねる。

 根気よく返答を待っていたが、盛道はただ深いため息をついただけで、九曜の質問には答える気はないらしい。

 しびれを切らしたのは後ろにいた沙織の方で、

「大旦那様、他になにか御用はありますか?」

「いや」

 覇気のない返事をすると、ようやくお膳にのっかったスプーンを取る。流石に九曜も諦めたらしい。

「お食事の所、すみませんでした。失礼いたします」

 軽く頭を下げると、すごすごと沙織がいる明るい廊下の方に向かっていくので、雪上も小さく会釈をしてそれに続いた。

 二人が部屋を出たところで、沙織がゆっくりと扉を閉める。扉を閉めると、また室内は真っ暗闇になるのだろう。そんな中でひとり食事を取っているのかと思うと、別の意味でもの悲しさを感じる。

「盛道さんはいつも一人であの部屋に?」

 九曜はすかさず沙織にそうたずねた。

「いつもは姫子さんがお食事の際など付き添っていらっしゃるのですが、今日は流石に…………それで私が代わりに」

「ちらりと、盛道はご病気だと伺いましたが、どんなご病気なのですか?」 

「私も詳しくは、存じ上げませんが、他の従業員から脳梗塞の後遺症があるのだと聞いたことがあります。他にも持病があって、その辺り、姫子さんがお世話をされているのだと」

「大奥様の久恵さんは手伝いはされないのですか?」

 九曜の疑問は至極当然だと思われたが、先ほどの大広間での久恵の体の状況から難しいとも思われた。

 沙織はもじもじとした様子で、周囲を確認すると、

「大きな声では言えないのですけれど、聞いた話です。ご病気になられてからご夫婦の間でぎくしゃくする部分が多々あるようです。あまり大きな声では言えませんが」

 九曜はその言葉を受け止めるようににっこりと笑う。

「お仕事の途中で引き留めてしまって申し訳ありません。私たちはそろそろお部屋の方に引き上げさせてもらおうと思っています。なにかあれば部屋の方に来ていただくようお伝え願えますか?」

「承知いたしました。お膳、持っていただいてありがとうございます。ごゆっくりお休みください」

 沙織は丁寧に頭を下げると、くるりと踵を返して、廊下を小走りに行ってしまった。その後ろ姿を目で追いかけていた雪上も、自分たちにあてがわれた客室に戻るべく歩き出したのだが、後ろから足音がしない。九曜が一向に立ち止まったままでいることに気が付き、

「九曜さん帰りましょう……?」

 声をかけ後ろを振り返ると、九曜は雪上が向かおうとしている方角とは反対の廊下の向こう側を見ている。

「悪い。ちょっと、見たいところがあるから、先に部屋に帰っていてくれ」

 そう言って歩き出されてしまうと、雪上だけ一人、部屋に帰られる様な雰囲気では全くないので、小さなため息を吐いて、九曜の後を追った。

 真直ぐに廊下を進んだ所にあったのは外に出れられる勝手口だった。

 九曜はゆっくりと扉を開ける。

 きんと冷たい夜風が吹き込み、雪上は思わず身震いした。

 大きく風が吹いて、がさがさと木々の葉擦れの音が響く。

「竹藪か」

 九曜は小さく呟いた。

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