二日月

 住職を見送った後、雪上は姫子が手を合わせていた石碑にもう一度、よく目をやった。

 文字が彫られているのだが、長い年月を雨風にさらされていたため、なんと書かれているのか読み取れない。

 隣には灯籠があり、目を奪われたのはその灯籠に三日月の紋様が彫られていること。

 なぜ、三日月なのだろうかと思っていたところ、

「菱紋か」

 後ろから九曜がそう言った。いや、三日月だと言う前に、九曜が灯篭ではなく石碑を見ていることに気が付いた。

「菱紋?」

「ほら、そこ」

 言われて気が付いた。

「お墓には、家紋が彫られているものだ」

「つまりこれは」

 石碑ではなく、墓なのだと気が付く。

「恐らくこれが件の、寒蝉和尚のお墓なのだろう。菱紋は武田家の家紋として有名だ。もしかして、なにか繋がりがあるのだろうか? まあ、一概には言えないけれど」

「武田家?」

「ほら、戦国武将の」

「ああ、そうなんですね」

 雪上はその辺りの知識は持ち合わせていないので、興味深く頷く。言われてみると、本堂の屋根の部分にも同じ家紋が刻まれている。

 じゃあ、灯篭に刻まれた月は一体なんなのかと思い、もう一度見る。九曜に聞いてみようかと思ったが、聞けず仕舞いに終わる。

 まさか、これから起こる事件のヒントになるなんて思いもよらずに。

「じゃあ、竹取翁だったか? その旅館に行ってみよう」

 車に乗り込むと、意気揚々とスマホを取り出す九曜を見て、旅館がどこにあるのか調べるつもりなのだろうと思った。

 実を言うと雪上はあまり気が進まない。しかし、こうなった九曜を止める術もないので、雪上も自身のスマホを取り出して、竹取翁旅館の場所を検索する。

「この辺りって、竹取物語と関連がありましたっけ?」

 雪上はなんとなしに口にした。

「いや、竹取物語のモデルは確か――奈良県の方、じゃなかったかな」

 九曜はスマホから目を離して天を仰ぎ見た。

「じゃあ、違いますね」

 今、雪上達がいるのは奈良県でも、隣接県でもない。もっと離れた場所である。

「なんで竹取物語?」

「いや、旅館の名前が」

 雪上が口走ったのは安直な理由だ。

「ふむ。もしかしたら竹林に囲まれた場所だったから、そう名付けたとか」

 九曜の理屈にそうかもしれないと雪上は頷く。

 旅館の名前を検索するとすぐに見つかった。

 WEBの画面上でみる竹取翁旅館は古くからずっと守られて来たかの様な純日本家屋の造りと、その門構えに、加具家はこの辺りの城主だったと、姫子から聞いた話に納得する。

「ここから一時間ぐらいだと言っていましたね」

 雪上はため息まじりに、今度は自分が運転するとアクセルを踏み込み、車を発進させる。


 かつての城下町は海に面しており、坂道に沿うように住宅が立ち並ぶ。

 トイレ休憩で寄った道の駅に、町全体の観光案内の地図があった。その地図によると、町の真ん中に城址公園があり、その辺りには神社仏閣、また昔ながらの姿を残した家屋は、現在では土産物店やカフェへと姿を変えているのだと書かれていた。

 実際に、町の中を車で走ってみて、いくら姿を変えたと言っても当時の空気感はうっすらと感じられるような気がして、雪上は左右に広がる街並みを見ると、気分が高揚する。

 九曜とフィールドワークに行くのは、ほとんど忘れ去れてしまったような場所や言い伝えをめぐるのがほとんどであったから、一般的に観光地と呼ばれる場所に来るのは久しぶりだった。しかし、そんな消えてしまいそうな民話や伝承を集めるのが二人の本分であるのだから文句はない。

 WEBの画像と同じ建物のたたずまいを見つけ、車の速度を落とすが、車を停められる場所は近くに見当たらない。

「どこか、駐車場があればいいのだけど」

 オフシーズンだからか、観光客の姿はそれほど多くはなかったが、道の両脇には建物が立ち並び、駐車場のスペースは見当たらない。路上に停める訳にもいかない。

「城址公園の方にありそうな気がするが」

 九曜の提案に、雪上は二つ返事で、看板が示す城址公園の方面に向けて、ハンドルを切った。

 辛うじてアスファルトで舗装された坂道をさらにのぼったところに、【駐車場 一日、五百円】と書かれた看板が見え左折するが、誰もいない。駐車場といっても、何もない砂利と原っぱが広がっているような所で、二台ほど駐車している車があるのは見えた。

「駐車料金をとるのは観光のハイシーズンのみかもしれない。ともかく、ここ以外に駐車場も見当たらないし、停めさせてもらおう」

 他の車から離れて停める。坂道を下って歩いて戻ること十分、竹取翁の旅館に到着する。

「ごめんください」

 重厚なガラス張りの引き戸を開けながら、九曜は大きめの声で呼びかける。

 中はがらんとしており、お客で賑わっているような気配はなかった。まだ客を迎えるチェックインの時間にはずいぶん早いのかもしれない。九曜がきょろきょろと辺りを見回して、もう一度声を上げようとしていた時に、

「はい」

 遠くの方から男性のよく通る声と、ぱたぱたと走って来る足音が聞こえ、

「お待たせをいたしました」

 旅館の従業員と思われる制服を着た、五十代ぐらいの男性は、雪上と九曜の二人の姿を見て明らかに顔色を悪くした。

「すみません。加具姫子さんはいらっしゃいますか?」

 九曜の言葉を聞いて、従業員の男性の表情に暗雲がたちこめる。

「お嬢様は外出しております。――皆さん、揃いも揃ってこちらにいらっしゃるのは迷惑です」

 言い放たれたその言葉には、不快感が含まれている。

「あの僕らは、先ほど寒蝉寺で姫子さんにお会いして、加具家の菩提寺である、白鹿寺を案内していただけるとのことでこちらに立ち寄らせてもらったのですが……」

「丹波」

 聞き覚えのある涼やかな声。

 廊下の向こうから現れたのは姫子だった。

 いつからそこに居たのだろう。足音が感じられず、やはり猫みたいだと雪上は思った。

「お嬢様、申し訳ございません。お手を煩わせる様なことは」

 毅然とした表情で、丹波と呼ばれた男は雪上達に向きなおるのだが、その対応はもちろん納得いかない。恐らく、彼は雪上達に対して、盛大な認識間違いをしているのだと思うのだが、それをどう説明するべきなのか、雪上には言葉がみつからない。

「丹波、いいの。お二人は、私から白鹿寺のご案内をすると申し上げたのですから」

「え?」

 毒気を抜かれ、間抜けな表情で丹波は三人の顔を順番に見て、固まってしまっている丹波には目もくれず、姫子は雪上と九曜の前に進み出ると頭を下げる。

「すいません。こちらから申し上げたことにも関わらず、ご不快な思いをさせてしまって。もしよろしければお寺に行く前にお飲み物でも?」

「いえ、こちらも突然に押しかけてしまったようなものですから、お忙しい中すいません。お気遣いは不要です。ご都合がよろしければこれからでも……」

 九曜がそう言い終わる前に、軽快な足音と共に、

「姫子さん」

 明るい髪色をした男が現れ、雪上たちを見ると、丹波と同様に険しい表情を見せた。しかし、すぐに姫子の方を振り返り、うっとりした様子で、

「お時間があれば、城址公園に行きましょう? このあたりは初めてなものですから、よろしければ、姫子さんに案内をお願いしたいと思って」

 線の細いナヨナヨとした男なのだが、見た目だけではなく内面も、その話し方から同じような感じなのだろうと思った。

 妙な言い回しが鼻につく。

 しかし、それをあえて指摘したところで、どうしようもないことは重々承知しているので、何も言わずに押し黙る。

「石平さん、ごめんなさい。せっかくのお誘いありがたいのですけど、私、お二人をご案内しなければならなくって」

 石平は、雪上と九曜をみるとわかりやすくムッとした表情をみせた。

 雪上がもし石平の立場なら、意気消沈し『そうですか』と言って、すごすご引き下がると思うのだが、石平の場合はなかなかにメンタルが強いらしく、

「じゃあ、私もご一緒させていただいてよろしいですか? 今、部屋からコートを取ってきますので」

 ばたばたと有無を言わさない様子で、今、来た廊下を大きな足音をさせて戻っていく。

 姫子は呆れ顔で、九曜と雪上の方に向き直ると、

「すみません。少しだけ待っていただけますか」

 と、軽く頭を下げた。

「大丈夫ですよ。僕たちだって、勝手に押しかけてきた様なものですから。それに同行者が増えても特に問題ありませんから」

「僕も同じです」

 九曜の言葉に引き続いて雪上も声を上げる。

 あの石平と言う人は、なんとなく雪上達に対して良いイメージを抱いていなさそうだが――とは付け加えず、雪上は笑顔を作った。

「むしろお忙しい中、おしかけるように来てしまってすみません。他にも対応しなければならないお客様がいらっしゃるとは思いませんでしたので」

 九曜は改めてそう言った。

 姫子に気を遣わせない様に配慮してそう言ったのだと思うが、姫子の表情は更に曇っていくばかりだった。

「お客様――そうね。私もコートを持ってきますので、少しだけ待っていただけますか?」

 九曜が頷くと、姫子はスタスタと、石平とは反対方向に続く廊下へ歩いて行く。

 雪上と九曜は旅館の中をきょろきょろとしながらも、だんまりとしてそこに立ちつくす。

 そして、そこにはもう一人、今のやり取りを見守りながら、一言も言葉を発しなかった丹波が残されていた。

「あのー」

 案の定、キョロキョロ彷徨させていた視線を丹波に移した九曜は、興味津々に間延びした声をかける。

「あ、はい。先ほどは大変申し訳ござませんでした」

 一瞬丹波は、ひどく鋭い視線を何処かに向けていた様だったが、我に返った様に九曜と雪上を見た。

 先ほどまで、雪上達に向けていた、嫌悪感はもうなかった。

「なにかこの旅館で起きているのですか? 妙に石平さんや皆さんからぎすぎすした雰囲気が放たれているように見えるのですけど……」

 九曜の長所とも短所ともいうべき、オブラートに包まず、はっきりと物を言うクセはここでも発揮され、丹波はまさかそこまでストレートな質問をされると思っていなかったのだろう。ぎょっと目を見開いた後、言おうか言わずにいるか、思案している素振りだったが、九曜がさらに追い打ちをかけるように、言葉を投げかけると、丹波はようやく口をひらく。

「加具家のお嬢様はニ十歳を超えると結婚しなければならないしきたりがありまして」

「え?」

 九曜のその返答には、驚きと不快さと、二つの感情が入り混じり、表情にも感情をあらわにしていた。

 雪上もあまりにも時代錯誤なその話に、眉をひそめたのは言うまでもない。この令和の時代に、そんなしきたりが残っているなんて。

「もちろん、このしきたりについてお二人がどう感じられているかなど、聞かなくとも承知しております。今の時代には、かなりそぐわないものですから。それで、現在では結婚とまではいかなくとも、婚約をすると言うことが定められまして」

「姫子さんは今年で二十歳になられるのですか?」

 九曜の質問は雪上も思ったことだった。

 二十代であろうと思ったが、もっと落ち着いてみえた。

「その……二十歳と言うのは目安でして、はい」

 丹波は視線を彷徨わせる。

「はあ」

 雪上は気のない返事を返しながらも、丹波が何を言わんとしているのか、なんとなくわかってきた。

「すると、石平さんと言う方は加具姫子さんの婚約者の方なのですか?」

 九曜はそう言葉にするも、先ほど見た石平の姫子の二人の間から、甘い雰囲気は感じられなかった。石平は、姫子に近づこうと必死になっている様だったが、姫子の方はむしろ距離をあけているように感じられた。

「いえ。お嬢様に現在、婚約者の方はいらっしゃいません。石平さんは婚約者の候補でして。あの方を含めて、三名の方がこの旅館にいらっしゃっています、それで……」

「そんなにですか。ああ、私達も婚約者候補として現れたのだと先ほど思われたのですね?」

「申し訳ございません」

「いえ、ただ、ちょっと驚きました」

 怒りは全くない。雪上の正直な心からの感想だった。

「はい。皆さんがこの旅館に滞在されている目的は、その人のお人柄をみるのと、お嬢様との相性を判断するためとでもいいましょうか。一応、念のため伺いますが、お二人はお嬢様の……?」

「全く違います。そもそも加具さんには今日、寒蝉寺でお会いしたのが初めてですから」

 九曜は丹波の疑念を一刀両断する。

 その回答に丹波はされにほっとした表情を見せた。従業員としては、色々とまどろっこしいことがあるのかもしれないと察する。

「それにしても、婚約者候補の方が、三名も。つまり、求婚者の方が三名も同じ旅館に滞在していると言うのは、なんだか物語の世界のようですね」

 雪上は冗談まじりにそう言ったのだが、丹波はそう思えなかったようで、大きなため息を吐いた後、口を開いた。

「当のお嬢様は全く乗り気ではないんです……」

 ぼやきは空気となって消える。

 廊下からお寺で来ていた黒のツイードのコートを羽織り、小さなバッグを持った姫子と、息を切らせた石平は、どこぞのブランドのロゴをつけた如何にも高そうなコートを羽織って戻って来た。

 姫子は丹波を見た。

「祖父にも、私が皆さんと出かけることを伝えましたので、もし何かあればお願いします」

「承知しました」

 一瞬、石平を冷めた目で見た後、

「では、行きましょうか」

 姫子は先頭を切って、靴箱へ向かう。

 旅館の中は土足厳禁の立て札があり、姫子は靴箱の端の方からすぐに自分の靴を取り出した。石平の方は、靴箱から自分の靴を探すところから始まる。

 丹波は、手伝ってあげないのだろうかと雪上は振り返った時、もう姿はない。

 あわあわと取り乱す石平の姿が不憫に思われたが、姫子が外に出たので、九曜がそれに続く。気づかぬふりをして雪上もそのまま続いた。

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