背負う

ナナシマイ

帰りは尾に巻いた

 日暮れとともに息を引き取ったという老人が、私の背に括りつけられていく。

 人間の顔を覚えるのは不得意なので見ていない。骨と皮だけのかすかな重さと、鱗に擦れる死装束の感触だけが、私にとってこの者の表徴だ――が、その曖昧な記号すら、いま始まろうとしている数百年の旅路には儚いものであると言えよう。

 空の向こう、遥かなる宇宙みちの先にある弔い場。夢の終着点とも呼ばれる、世界の果てまで。

 我ら星竜は、長い時を死者とともに過ごす。


「星竜さん、星竜さん」

 さて、そろそろ出発だというころ、見送りの群衆のなかから、高く澄んだ声が投げかけられた。作業の大人たちをかき分けるようにひょこりと顔を出したのは、人間のうちでも年端のいかない少年。

「僕が死んだときも、果てまで連れて行ってくれるの?」

「そのときは私ではないが……ああ、私の仲間の誰かが、そなたを運ぶことだろう」

 小さな人間はその答えに満足したのか、きゅっと引き結んだ唇をむずむずさせながら勢いよく私の腹に飛び込んでくる。背に括りつけられた死者とは違い、生きた温度を持つ者だ。そのやわらかな身体が鱗で傷ついてしまわぬよう爪先でそっと背中を撫でてやりながら、私は、彼の旅の始まりが少しでも未来にあることを願った。

「別れはもう済んだか」

「ええ」

「では、ゆくぞ」

『繝倥ず繝・繧イ繝ォの夢は永遠に』

 竜には聞き取れない言葉を混じえて、人間たちはいっせいに唱えた。研究好きの同族いわく、その言葉には「人間」や「願い」、はたまた「果てへと旅立つ者」――つまり死者の意も含まれているらしい。彼らの死にしか相対しない私には、人間の思考は少々複雑に感じる。

 とにかく、旅立ちのときはやってきた。

「この者の生きた証は、必ず果てまで届けよう」

 腹に溜めた息を吐きながら、私はできる限り厳かに地を蹴った。


       *


 とうぜんのことだが、宇宙みちを往くあいだ、背中の死者が生前の思い出を語ってくれるわけではない。死者は喋らない。同行者はないも同然、星竜の旅はしばしば孤独であると評される。

 担当の星が系から外れていれば、竜にとってもそれなりの時を、誰にも遭遇することなく過ごすことになる。またそうでなくても、この広がり続ける宇宙みちで旅路を重ねあわせるほどに気の合う同族と出会う確率は限りなく無に近い。

 それでも私は、私たちは、死者の運搬をやめない。


 星を発ってどれほど経っただろう。

 系はとうに抜け、私はより古い星々の並ぶ系に飛び込んでいた。

 何度か復路をゆく星竜とすれ違ったが、果てへ向かう者は見かけなかった。竜の軌道などそれこそ星の数ほどあるので珍しいことではない。

 背中におぼろな他者を感じながら、ただ進み続ける。

 吹きさらしに、死者の身体はところどころが剥がれているに違いない。あるいは削れている箇所もあるやもしれない。人間は脆いものだ。鱗を連ねた網で包んでやっても、やがて骨の髄まで崩れてしまう。

 そうしてかたちがなくなっても、星竜は果てまで死者を背負い続ける。生命の循環が途絶えぬように。終わりから始まりへと巡るように。

 果ては始まりだ。すべての宇宙みちの中心にある。近づけば近づくほど、過去も語らぬ死者の代わりに景色が赤く古びてゆく。

 思い出は風化するものだと聞いたことがある。

 もう、この死者の故郷の星に、彼を知る者は生きていないだろう。顔も、温度すら知らぬ私だけが、ただ存在を憶えている。こうしてたしかな記憶も褪せてゆくというならば、いま私が運んでいるものは虚ろなのか。果てへ向かって編まれた時は、ただ過去へと還ると?


 ばちばちと時の割れそうな気配がして、次の瞬間、数多の星竜たちがものすごい勢いで私を追い越していった。

 竜葬群だ。

 光すら置いていく速さで飛ぶと、宇宙みちは重さを歪められて波うつ。眺めるぶんにはなかなか美しい、残像の揺らぐ不思議な光景だ。ただ私も何度か経験があるが、あの飛びかたは翼が痛むので好かない。

 まあ彼らとて好きでしているわけではないだろう。近くに紛争星域があったのか、はたまた星の終焉があったのか……いくら人間が少ないとはいえ、一度に大勢が死んでしまえば星竜は足りなくなる。いっしゅんだけ見えた彼らの背には、死者が隙間なく括りつけられていた。

 ――私たちは、のんびりゆくか。

 このようなとき、私は背負った死者に話しかけたくなる。

 返される言葉やその声を、知っているように錯覚するのだ。


 塵や、音楽や、何者かの記憶たちが、静かに渦巻いている。

 夢の終着点だ。黒い穴にも見えるそこは、すべてを受け入れるようにただ在る。

 背から、もはやチョッキのようになっていた網を外した。こぼれるものはなにもない。あるのは私があの死者をここまで運んできたという時だけだ。運命ですらない。

 それでも私は告げる。

「そなたの生きた証は果てへ辿りついた。やがて新たな時を得るまで、安心して眠れ」

 黒い穴の変化には期待せず、すぐに振り返れば、星々は淡く灯っていた。果てに佇みながら、ああ、またあの星へ帰ろうと思う。おかしな文化が栄えていなければよいが。


 青い景色へ、ひたすらに向かう。

 帰路を長く感じるのは、決して宇宙みちの広がり続けているのだけが理由ではない。

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