第5話 魔法の原点
10月になった。すでに月の中旬を迎え、パン屋に火を付けに行く依頼を果たすための早起きにも慣れた。今では鶏が鳴く前に目が覚める。一杯の水を飲み、着替えをして身だしなみを整えた後にパンを持って家を出る。それがここ数日の日課だった。
ああ、飛行魔法でも使えれば、わざわざこんなに早く起きなくてもいいのに。せめて転移魔法が自分にかけられるくらいに上達すれば。
野山を歩きながらパンを
不安に飲み込まれないように足を速める。鶏が発声しようと息を吸い込んだ隙を縫って、リーナはパン屋のドアを開けた。
「おはようございます」
「おう、今日も頼む」
カウンターの柵を越え、窯の目の前に立つ。
「【この世を等しく見つめるものであれ――
リーナは慣れた手つきで火を点ける。既に自室とこの仕事だけで30回は行使しているのだ。今更手こずるような魔法でもない。
詠唱安定を唱えなくても魔力の流れは掴んだから、今夜は詠唱式だけで唱えてみようかな。
【詠唱安定】とは自分の魔力を安定させるために外部的な干渉を引き起こす術式であり、自分で正しく魔法を発動させるほどの力量を持っているものであれば必要がない。リーナは生活魔法が苦手なためにこの術式を使うが、攻撃魔法に対しては対して使わない。
着火した炎が無事に揺らめいているのを確認したところで、店主に窯を明け渡す。
「今日は用意できる商品が少ないから、あんまり窯を使わないんだけどな」
「そうなんですか?」
「ああ。行商人がもうすぐ来るから、それまでは余った材料でやりくりすることになる」
「市場にも商品が少ないですからね」
帝都からそれなりに離れているこの村には、小規模なこともあって月に二度しか馬車が来ない。帝都の問屋を仲介してからでないと品物が用意できないことが多々ある。可及的速やかに必要な場合には隣村まで買い付けに行くこともあるが、よほどの緊急事態にしか行われない。
「一応計画を立ててやってはいるが……月二回っていうのはな。どうしても不便だよな」
「まあまあ。こんな僻地まで来てくれるだけありがたいですよ」
もっと便が増えればいいのにともリーナは思うが、なにせ小規模な村であるため、増便による利益は見込めないだろう。
「万が一他国との戦争が起これば、ここもそれなりの被害を受けることになるんだから、もう少し充実させてほしいもんだがな」
「その時は私がいますから、問題ないですよ」
「言ってくれるな、まだひよっ子のくせに」
「そこを突かれると何も言えませんが……攻撃魔法は得意なので。相手が魔女でなければそれなりに時間を稼げますよ」
「それは助かる。アルバ村の自衛団にも限界があるからな。頼んだぞ」
「はい」
まあ、攻め込まれたとしても大した被害は受けまい。精々略奪の危機には瀕するだろうが、単なる通過地点にそこまでの意味を見出すかは謎だ。大切な故郷ではあるが、命がけで応戦するよりも王都の騎士団を呼んだ方が理に適っている。
リーナはパン屋を出て、家へと戻る。中央区で他にすることもないので、家に帰って二度寝するというルーティーンを取っている。無理して起きているよりも、心地いい疲れに包まれながらベッドに潜る方がよっぽど効率がいいのだ。
数十分ほど寝たリーナは、ベッドから降りると身だしなみを整え、すぐに机へと向かう。今日は気分転換がてら、攻撃魔法を学ぶことにした。
攻撃魔法もまた、既製品の模倣から始まったのだ。矢を射る魔法、【弓撃魔法】。火属性や雷属性など、属性を付与した魔法が次々に派生する。【投槍魔法】はより一撃の重さが増した魔法で、詠唱の長さと射程のバランスが丁度いい。魔獣程度ならここまでの威力でも問題ない。
やがて自然現象を模した【落雷魔法】や固有魔法などが生まれ、人類は魔法の意味を防衛から攻撃に、戦争へと移行していくことになる……というのが魔法史のあらましだ。
もっとも、理論立てて行われる制式魔法の段階としては正しいのだが、太古の昔に神様から魔力を授かった使徒様たちはその限りではないようだ。
リーナはドアを開け、杖を持って外に出た。外に生えている木を目掛けて、弓撃魔法を実践してみようと思ったのだ。
足を開いて立つ。左手は目標地点に掌を向ける。右手に杖を持ち、弓をイメージして引き絞る。
「【
杖の先に現れた魔法陣が弓を射出する。木の幹に突き刺さると、それは瞬く間に消え失せた。
成功した。
詠唱安定を使わずとも行使できた。
元々得意だから当たり前か、とすぐに自嘲する。
属性を付与した物も試してみるか。
矢を射るポーズをとり、
「【星火よ射貫け蒼穹の彼方――炎弓撃魔法】」
想像通り、今度も実体化した燃える矢が射出され、幹に命中して皮を焦がす。すぐに消えるように想像したので、そこまでの被害はない。
そのほかにもいくつかの属性を付与した【弓撃魔法】を放ったところで、休憩に入る。
家に入り、自室の椅子に座る。
生活魔法の教科書をぱらばらとめくる。
すぐに閉じ、思考を巡らせる。
なぜ自分は攻撃魔法のほうが得意なのだろうか? 魔法がイメージによって行使されるのなら、生活に根差した魔法のほうが絶対に親近感が湧きやすい。つまり想像の範囲内。なのに、生活魔法の使用時には、心の中に枷がかかっているように不自由だ。なぜ?
暫く思考の海に潜っていても解決策は浮かばなかったので、リーナは視点を変えてみることにした。
わたしは『魔法』に対してどんなイメージを持っている? わたしの原点は? わたしは何を思って魔女学校の門を叩いた? もっと言えば、何を思ってお師匠様の背中を追うことに決めた?
お師匠様が魔法を行使するのが格好良くて、自分もそうなりたいと思ったから。
格好いい? それはどういう意味?
大人として、魔女として、町の便利屋として、魔法を自在に操るお師匠様が、その姿と心の持ちように憧れた。
お師匠様は便利屋として、どんな魔法を?
生活魔法が基本だった気がするけど、でもわたしにとってはそうではなくて。攻撃魔法の印象が強い。魔獣を討伐するときの、あの真剣な眼差しに、焦がれてしまったんだ。
ああ、そうだ、そうだったんだ。自然と笑みがこぼれる。目頭が熱くなる。何で今までこんなことに気が付かなかったんだろう。
過度に憧れすぎるがあまり、自分で他の可能性を閉ざしたんだ。
なんだ、そんな簡単なことだったんだ。じゃあこれを捨てれば、わたしは最高の魔女になれる?
そんなわけがないだろう。
わたしを構成するもの全部、何一つとして余すことなくわたし自身なんだから。捨てたら最早、わたしはリーナ・エリザベートではいられなくなる。そうなったら、今までの人生に意味がなくなってしまう。
もうここまで来たから引き返せない、という諦念と焦燥感を孕んだ後悔ではなく、純粋に、魔術の道を歩き出したのは間違いではないと断言できる。どうしようもない高揚感と未来への希望が、わたしという人格を形成したのだと、胸を張って言える。
自分がどうあるべきかを再確認したリーナは、昼食を準備するために席を立った。
流石に今は慣れないながらも自炊をしている。毎日食べている味とはどうも違っていて、そのせいで食事という行為が嫌いになりかけているのだが。
今日は詠唱安定なしで火を使ってみることにしよう。
かまどの中に枝や薪を配置し、その上に水をたっぷりと入れた鍋を置く。
「【星火よ闇を打ち祓え:点火魔法】」
異常現象は何一つとして発生せず、煌々と燃える炎は鍋底を焦がし、水の温度を上昇させる。
「別になにも起こらないじゃんか」
おどおどしていた自分が馬鹿らしくなる。そのまま野菜などを投入し、スープを作ってパンと共に食べる。
片付けを終えると、リーナは家を出て村長の家に向かう。今日は早めに来てもいいと言われたのだ。
「こんにちは」
ノックをしてから入室すると、アルバは机に突っ伏していた。寝ているのかもしれないと思い、そっと室内を移動する。アルバの近くまで来た瞬間、彼の呼吸の感覚がおかしいように感じられた。
もしかして、体調が悪い?
額を触ってみると、確かに熱を帯びていた。熱い。
身に着けているハンカチを濡らして額に当てるも、効果がないように思われる。
なら、と生活魔法の教科書を開く。が、その試みも不発に終わった。
魔法という現象は主として、外傷に対してしか効果を発揮しない。一応病気を治す魔法も存在しないことはないのだが、難易度が高いうえに効果が見込めない。リスクが大きい、と言い換えればいいか。
自己免疫を活性化させる呪文は、アルバのような高齢者には効果が薄いどころか逆効果すらある。たとえアルバが酷い怪我を負っていようとも、リーナは治癒魔法や再生魔法の行使を
リーナは村長の家を飛び出した。病気に対抗できる職業、薬師の力を借りるために。
ひよっ子魔女リーナ 青木一人 @Aoki-Kazuhito
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