第4話 星火の意味
リュックサックに脱穀しただけの小麦を詰めたリーナは、所持金を持って家を出た。
時刻は正午を回り、既に軽く昼食を済ませてある。
もっとも、その昼食が林檎一つということもあり、碌に食事は取っていないのだが。
水筒から水を飲む。空腹が少し紛れた気がする。
午前中のみで勉強を終えたリーナは、こうして製粉所と服屋に行かなくてはならない理由がある。
明日は月末なので、全ての店は安息日になってしまうのだ。帝都にいた際も、しばしば同じ轍を踏んだ。期末試験が終わったのに喫茶店に行けないという苦汁を味わったことは一度や二度では済まされない。
麦と金貨の重さが肩に重くのしかかるなか、山を下り石畳の道まで辿り着いた。
西区にも製粉小屋がないわけではないが、服屋が中央区にあること、村長とも会う予定があることを加味して中央区にまで足を運んだのだ。
中央区を取り囲むように流れる川のそばに、水車が備え付けてある小屋を発見する。
「失礼します」
ノックしてから扉を開けると、そこには石臼と焼き窯があり、更には筋肉質な男が一人立っていた。体のあちこちに傷がついている。
「ああ、いらっしゃい。見ない顔だな」
「はい、初めて訪れるものですから。私、西区で魔法屋をしているアリス様の弟子、リーナです」
「アリス様の所の子か。それなら安心だな。魔法屋はどうするんだ?」
「もうすぐ始めるつもりです。完璧ではないので、何でも行使するわけにはいかないのですが」
「そうか」
リーナは小麦の入った袋を取り出し、カウンターに出してこう言った。
「この小麦を製粉して、ありったけのパンにしてください」
「承知した」
店主は袋の口から麦の状態を見て、リーナにいくつかの質問をした。どれくらい日持ちするものがいいのか、一個のパンはどれくらいか。
収穫祭まで、と口にすると、店主はいくつかの粉を混ぜる必要があるかもな、と言った。収穫祭までは一月ある。
「それって、どれくらいお金かかりますか」
「そうだな、ざっとこれくらいか」
そう言って提示された額は、リーナの所持金からすると払えない額ではなかった。しかし、それを受け入れてしまうと、防寒具が質素なものになってしまう。
「あの、今回はやっぱり普通のパンで結構です」
「そう言うと思ってな、今回は特別な依頼をしたいと思う」
あっさりと引き下がるリーナに、店主は一つ提案をする。
「依頼?」
「そうだ。この窯に火を入れてくれ。魔法でな。収穫祭までの一か月、毎日鶏が鳴く頃に火を入れに来てくれるってなら……今日の分は無料でいい」
「えっ」
破格だった。師匠は点火魔法一回に付き500ゴールドをとり、1月は30日で1万5000ゴールド。出張とはいえ回数割があったはずなので金額的には今回の値段と釣り合うはず。
だが、それはあくまでも魔法を使った場合の話。
マッチを使うとしたら、一回当たり300ゴールドもしない。どう見ても損するのは店主のほうだ。
「いいんですか、それで」
「いいよ、ありがたく受け取っときな。アリス様には恩があるんだ、代わりに返させとけ」
「ありがとうございます」
店主はカウンターの扉を開け、リーナを店の奥に通した。大きな石窯の傍には、マッチの箱と細い枝、そして薪がうずたかく積まれていた。
「あの、この木に火をつけるとして、どうやって他の木に移せばいいんですか」
「そこまでの準備はおれがやるよ」
店主は空気の通り道を空けながら、適切に薪を配置していく。やがて作業を終えると、細い枝を2、3本リーナに渡す。
「じゃあ、この枝につけてくれ。それでも火がつかなかったら、また別の木を渡す」
「はい」
リーナは昨晩そうしたように、右手の人差し指をぴんと立てる。枝は左手でしっかりと握りしめる。
「【この世を等しく見つめるものであれ】」
呼吸がわずかに早くなる。失敗は許されない。報酬を貰っているのだから、生半可な気持ちではいけない。もし爆発してしまったら。
「【星火よ闇を打ち祓え】」
視界に一面の闇が広がる。無理だ、自分になんて。どす黒い闇に体が吞まれそうになる。
『リーナ。魔法は想像によって成り立つのです』
突如、脳内で声が聞こえた気がした。
『詠唱式を言語として読み解きなさい。すべて意味を持っているのです』
魔法言語でも古代語でもなく、一つの共通語として。翻訳して自分の中に落とし込め。そう言われた気がした。
じゃあ考え直してみよう。このちっぽけな魔法の、本当の意味を。
闇を打ち祓う――暗闇に潜む何かを祓う? 神聖なイメージ? 何によって? 光?
じゃあ何を以て?
突如、心象風景の中に変化が訪れる。
リーナは平原の上に立っていた。見渡す限り、遮蔽物など一つもないように思える。暗闇のくせにはっきりとわかる。見上げれば、満天の星空が広がっていた。
突如、リーナの眼前に火が灯る。風が吹けば、一踏みすれば簡単に消えてしまいそうな。
なぜ急に? と思い、近づいて火を消そうとする。だが、その火は消えず、むしろ勢いを増して靴に、服に燃え広がる。周囲の草原も瞬く間に灰に変わっていく。
痛い、熱い。肌を焦がされていく感触を、リーナは覚えている。魔力が暴走している、このままだと確実に失敗する。酷い結末と共に。
この世を等しく見つめるものであれ。
詠唱安定の詠唱式が脳裏によぎる。
そうだ。ここは所詮、私が作り出して陥った、間抜けな精神空間以外の意味を持たない。乗り込んで嵌りこんだ、自業自得の結末。
魔女は技の発動に時間がかかる。だから、一番冷静に動ける存在でなければいけない。だから、『等しく見つめるもの』であれ。すべての価値を秤にかけ、時には味方だろうと切り捨てて勝利を掴まなければらない。魔獣に殺されてしまわぬように。
自分に纏わりついていた火が消え、宙に浮く。草原はまだ燃えている。火が作り出した光によって、昼間と見間違うかのような明るさが視界に広がる。
リーナは俯瞰して物事を見つめる。夜空の星に見えるほど小さな火だ。それが闇を打ち祓う。暗闇に包まれる恐怖を、人類自身が打ち破った歴史的な魔法。それが【点火魔法】。
妙な高揚感が体を包む。揺らいでいた不安はもうない。
この心象風景も、最早必要ない!
リーナは現実世界で目を開ける。どのくらいの時が経過したのだろうか。一瞬にも永遠にも感じる時間だった。
もう明確なイメージは完成している。詠唱式の最後の最後、魔法名を唱えるだけ。
「【詠唱安定:点火魔法】」
指先に現れる紅い魔法陣の上に、一回り大きな火が出現した。
「これを移すだけか」
その後は危なげもなく、木に火が移る。それを言われるがままに窯に突っ込むと、瞬く間に燃え広がっていく。
「成功しました」
はたから見れば何でもなく、ただ火をつけただけ。それだけのことがとても嬉しい。
「おお、よく燃えてら。よし、あとはこっちでやっとく。夜の時報までには出来上がってるから、忘れずに受け取りに来いよ。あと安息日が終わったら早朝に来い」
「はい」
リーナは製粉小屋を出ると、あたたかな日差しを感じた。こんな日には、つい上機嫌になってしまう。秋空に鼻歌が吸い込まれていく。
すぐ近くにある洋服屋を訪れ、予算と用途を伝える。リーナは店主と共に、店の奥にある更衣室に足を踏み出した。
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