第21話 御百度参りの話
俺はテッシュペーパーで作った紙縒りを握り締め、近所にある神社の境内を一人で歩いていた。初めに鳥居前で一礼する。右手にある手水舎で手を洗って、賽銭箱の前に立つ。二回礼をして、二回手を叩き、最後に一礼して願い事を唱える。
それから紙縒りを一本、賽銭箱の横に置いた空き缶の中に入れた。一礼して鳥居の前に戻る。これで一回分だ。
俺は鳥居まで戻って、同じことを何回も繰り返す。今は夜の十時で月も出ていない、真っ暗闇だ。境内には通いの宮司さんも、帰ってしまっていない。お化けでも出てきそうな雰囲気だが、そんな事は言っていられないし、急がなければいけない。
そんな時、道路の方から懐中電灯の灯が見えた。今、誰かに見つかると面倒だ。俺は神社の拝殿の窪みに、潜り込んで隠れた。参道に大きな影と小さな影の二人分の影が落ちる。良く見たらトオルと愛美だった。
「おい、ケンタ。いるんだろう?」
トオルが声を掛けて来たが、暫く黙っていた。できれば遣り過ごそうとしたのだけど、拝殿に回り込んで来た愛美に見つかった。
「ケンタ、見っけ」
仕方なく窪みから身体を出した。頭や肩に付いた蜘蛛の巣を払っていると、トオルが懐中電灯の灯で俺を照らす。
「親父さんの言った通り、ここに居たな。この寒いのに、どうして半袖短パンなんだよ。それにお前、裸足じゃないか」
トオルは慌てて、俺の足の裏を確認する。何度か小石を踏んだから、少し血が出ている様だった。舌打ちして俺の頭を軽く叩いた。
「痛ぇ! って、話しちゃったじゃないか」
俺は唇を尖らせて、文句を言った。御百度参りの最中に他の人と、口を利いてはいけないとトーチャンに教わったんだ。その事をトオルに説明する。
「本当は白い浴衣姿で、頭に火の付いた蝋燭を縛り付けなければ駄目なんだろう? 一人で火を使うと危ないから、それは止められた。後、五寸釘も危ないからって、取り上げられた」
何となく持っていたトンカチを、ブラブラさせている俺を見て、トオルは首を傾げた。
「何か他の儀式と混じっていないか?」
「そんなのどうでもいい! 明日はアンチャンの手術の日だろ! 口を利いちゃったから、一回目からやり直さなきゃいけないんだ。俺の事は放っておいてくれ」
俺は紙縒りをギュッと握り締める。何としても今日中に御参りを済ませなければならない。
明日はアンチャンの手術の日だ。三日前、病院に入院する前に俺の家に、それを言いにワザワザやって来た。
「それじゃあ、ケンタ君。東京の病院で、ちょっと手術してくるね」
いつも通り、金髪で星の形の耳飾りを付けている。フニャリと笑うと、俺の頭に手を置いた。
「……アンチャンは、それで良いのか?」
他に何を言って良いのか分からない。何とかそれだけ口にする。
「うん。どうせ治すなら、左足の関節に変な癖が付く前が良いしね。チャッチャと済ませて、すぐ戻ってくるから、今度はあの大豆でお味噌を作ろう!」
アンチャンはウィンクをして、俺の家を離れて行った。何か言いたいが、何を言えば良いか分からない。それでも俺は大声を上げた。
「頑張れ! アンチャン、頑張れよ!」
アンチャンは後ろ向きに歩きながら、大きく手を振る。姿が見えなくなるまで俺は、ずっと玄関に立っていた。
「シンヤが挨拶に来たのか? どうやら手術を受けるようだが」
「……」
カーチャンに声を掛けられるまで俺は、身動き一つせずにアンチャンが消えた道を睨みつける。カーチャンは俺に声を掛けようとしたが、肩を竦めて家の中に入って行った。
真っ暗闇の神社境内で、俺は御百度参りをする理由を説明する。やり方はトーチャンに教わった。でもやり方よりは、気持ちの方が大切だとも言っていたな。俺は溜息をついた。
「俺が枝豆のお祭りの時、余計な事を言ったからアンチャンは、手術を受けることになったんだ」
喉に小石が詰まって、上手く言葉が出なかった。我慢していたけど、もう駄目だ。
「アンチャンがジーサンみたいに、居なくなったらどうしよう……」
俺は下を向いて、顔を擦った。
バチン!
愛美が俺の頭を平手で叩いた。
「馬鹿言ってんじゃないわよ! ケンタの旦那が死ぬ訳ないでしょ! ほら、私も手伝ってあげるから、やり直すよ!」
愛美は俺の手から紙縒りを引っ手繰ると、御参りを始めた。トオルはボリボリと頭を掻いてから口を開く。
「この神社、昔からあるけど俺、良く知らないんだ。八坂さんって、御利益がある神社なのか?」
「神社の中にいるのは、スサノオって神様らしい。格闘技のお願い事は百パーセント適うって、トーチャンが言ってた」
肩を竦めたトオルも紙縒りを掴んで、歩き始める。クルリと振り返って苦笑いを浮かべた。
「俺も入れたら三百パーセント、願いが適うってことだろう? それなら先輩、絶対大丈夫だって。授業で習ったけど、建物や自動車より安全係数が高いんじゃないか?」
安全係数ってなんだ? 数字が多い方が偉いのか?
新月の暗い神社の境内。いつもは人気の無いその場所。今夜は夜虫の鳴き声と三人分の足音が、何時までも聞こえていた。
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