第19話 枝豆の話
十月に入り、篤農家である桑原さん宅の庭先に皆が集まった。七月に種蒔きした大豆が実を付け、枝豆の収穫祭を行う為だ。外にある大型の竈には、大きな鍋が設置されている。薪がガンガンに焚べられ、グラグラとお湯が煮え立っていた。
枝豆は収穫してから茹でるまでの時間が、短ければ短いほど美味しくなるらしい。そういう意味では畑の前で湯を沸かしているのだから、これ以上美味しくなり様がないのかもしれない。
今回の収穫祭にも大勢の人が集まった。外人も多いが、地元の人間も多い。それだけ桑原さんの枝豆が美味しいという事が知れ渡っているのだろう。当然、参加者にはアンチャンも居た。
アンチャンは満月の夜から、少し塞ぎ込んでいる様だった。一人で河原に座り込んでいたり、空を見上げてボーッと立っていたりしている。その様子を見て愛美は、小麦に囁く。
「ケンタのボンヤリ癖が、旦那に感染したみたいです。これは粘膜感染なのでしょうか?」
「アラアラ、愛美ちゃん。穏やかでないわね。本当にそんな事があったのかしら」
「現場は目撃していませんが、二人の親密度合いは普通じゃないです」
「え! どんな具合に普通じゃないの。ちょっとあちらで意見交換を……」
二人はグツグツと笑いながら、また母屋の影に消えて行った。
……まぁ別にいいけどな。
俺はボンヤリしている、アンチャンの手を取ると畑に入った。この時期の枝豆は実が入っている鞘と、まだ入っていない鞘が混在している。だから手鋏で丁度良く、熟している鞘を収穫する。
枝豆として売る時には、こんな手間をかけない。株ごと引き抜いて根と葉を毟り取って、ビニール袋に入れるだけだ。熟した枝豆の鞘を選ぶのは、ちょっとコツがいる。鞘ごと指で豆を押して見て、ちょっと硬くなっている物が食べ頃だ。
アンチャンに枝豆の説明をする。ウンウンと頷いているが、別の事を考えている顔付きだった。手に鋏も持っていない。何だかボンヤリと株の葉っぱを、毟っているだけだった。
俺は役に立たないアンチャンを畑から追い出し、枝豆の収穫を始めた。十分も作業すると、籠一杯の枝豆が収穫できる。みんなの分を集めて、一気に大鍋にぶち込んだ。
今の時期の枝豆は、軽く茹でるだけで十分美味しい。網柄杓で大鍋から取り上げると、少し多目の塩を振りかけた。
ボンヤリしているアンチャンの口に、鞘ごと枝豆を押し込んだ。目を白黒させて驚いたアンチャンは、モグモグと口を動かした。そして大きく目を見開く。
「何これ! 甘くて凄く美味しい!」
火傷することも気にせず、茹で立ての枝豆の山に手を突っ込み、モリモリと食べ始めた。
「やっと正気に戻ったか。余り食べ過ぎると下痢をするから、気を付けろよ」
口いっぱいに枝豆を放り込んだアンチャンは、ガクガクと首を動かす。でも食べる手は止めなかった。よっぽど気に入ったんだろう。
「毎年、この集まりが楽しみでね」
トーチャンがニコニコしながら、缶ビールをプシュッと開けた。もう吞むのかと思ったら、缶を縁側において小皿に乗せた枝豆を脇に置く。それから長い時間、目を瞑っていた。
そうか。
ジーサンも旨い旨いと食べていたっけ。きっと今年の収穫も楽しみにしていたろうな。俺も小さく頭を下げた。何となくションボリした気持ちになるが、母屋が賑やかになる。見れば小麦がまた、外人たちに引きずられて、庭の真ん中に連れて来られていた。
「本当に今、大切なデスカッションの最中で…… 別に私が歌わなくても問題無いでしょう。それよりかけ算の先を誰にするのかや、『ウス異本』の発行について検討しなければ……」
小麦にとって大切なことなのだろうが、半分くらい何を言っているのか分からない。それでもギターを押し付けられ、歌って欲しい曲を言い渡された。肩を竦めてため息を付く小麦。それでも小さな音で調弦をして、前奏を始める。
TVのCMで聞いたことがある旋律。何だか散歩したくなるような、ゆっくりとした三拍子。トーチャンが、ホウとため息をついた。何でもサウンドオブミュージックという有名なミュージカルの曲らしい。
自分の周りにある、バラの花やリンゴのお菓子など、好きな物の名前を挙げて行く。どうしてそうするのかといえば、戦争で酷い目にあった気持ちを、少しでも慰めるためなのだそうだ。
そうだよな。幾ら酷い目にあっても、いつまでもそのままでいられないよな。英語の次に日本語で歌ってくれたから、歌の内容が良く分かった。でも犬に噛まれた時は、そんな事を考えるより走って逃げた方が良いと思うぞ。
枝豆に夢中だったアンチャンの手が、いつの間にか止まる。全身を耳にして、小麦の歌声に集中していた。いつの間にか日本語の歌も終わり、ギター伴奏の音も小さくなって行く。全ての音が消えても、誰も動く事ができなかった。
小麦は立ち上がり一礼すると、ギターをリュカに押し付ける。そしてゴキブリ並みの素早さでカサコソと、その場を後にした。きっと愛美とデスカッションとやらを続けるのだろう。
「本当だよね。好きな事だけを考えていれば、イヤな事があっても忘れられるのかな」
小麦の歌の余韻が消え動き出した、アンチャンはボンヤリと呟いた。
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