第18話 分校の桜
トオルに勝った毛蟹は数日後の話になるが、その後も勝ち続けインターハイで優勝した。
そんな毛蟹はトオルが失神した後、意識を取り戻すまで、傍にいてズッと心配そうにしている。自分だって顔を切っているのに、トオルの傷口をズッとタオルで押さえていた。意識が戻ると壊れ物に触るように、トオルの手を取る。
「すまない。最後のラウンドは我を忘れて戦っていた。手加減なんて失礼な事は言わないが、少し俺はキレていたみたいだ。身体に異常は無いだろうか?」
今、気が付いたばかりなのだから、そんな事分かる訳が無い。でも毛蟹が本気で心配していることは、十分に伝わった。
「……ここ控室っすよね。ってことは俺、負けちゃったんだ」
トオルは苦笑しながら、上体を起こそうとして歯欠けに止められた。それでも言葉は続ける。
「こんなに楽しい試合は、生まれて初めてでした。手加減せずに戦ってくれて、嬉しかったっす。ありがとうございました」
簡易ベッドに横になったまま、トオルは目礼した。それを見た毛蟹は一礼して、控室を後にする。坊主頭も深々とお辞儀をして、毛蟹を送り出した。
「他校の選手は誰にでも、噛み付いて追い払う訳じゃないんだな」
俺の質問に坊主頭は肩を竦める。
「あんな強い奴に喧嘩を売っても、秒殺だよ。俺なんかじゃ敵わねぇ。本当に強い奴って、
アンチャンに後で聞いたけど、毛蟹は優勝後のインタビューに、今大会で最強の選手はトオルだと答えていたらしい。
インターハイ当日の試合が終わり、不良たちは部室へ戻る。トオルは大事を取って、カーチャンの車に乗せられていた。
優勝は出来なかったけど、インターハイベストエイトは凄い記録だったらしい。部室は、お祭り騒ぎだった。トオルは部員一人一人に頭を下げて、礼を言っている。その内、解散時間になった。
トオルはカーチャンの車で家まで送った。嬉しいのか悔しいのか分からないが、下を向いて一言も話さない。そんなトオルに俺もカーチャンも、話しかけることはしなかった。
その日の夜。
アンチャンがウチの玄関をホトホトとノックする。
「こんな夜に何の用だ?」
「トオルと連絡が付かないんだ。RINEも携帯も繋がらない。私大付属の奴らにでも、拐わわれちゃったのかも」
ワタワタと状況を説明する。それを聞いていたカーチャンは小首を傾げた。
「今更、アイツらが手を出しても、何の得にもならない。それともお礼参りか?」
急速に悪くなって行く雰囲気。でも俺は気が付いた。
「家にも居ないんだよな?」
「うん。自宅に電話をしたら、フラリと外に出たって」
それなら間違いない。きっとあそこだ。俺はカーチャンとアンチャンを連れて、分校へ歩き始める。
分校にある古い桜の樹。
足元に昔の戦勝祈願の小さな石碑がある位、昔から此処に立っている。今の時期は大きなガの幼虫が、大量発生して余り近くに長居はしたくない。その樹の足元に、トオルが一人で蹲っていた。
良く分からないけど、トオルはあの木の下でボンヤリしている時がある。特に大事な事が起きた時は、必ずと言って良いほど桜の足元にいた。
ホッとしたアンチャンが声を掛けようとするのを、俺は押し留める。静かにしていると、トオルの独り言が月夜に紛れて聞こえてきた。
「クソッ、負けちまった! 優勝してシンヤ先輩たちに、恩返しするつもりだったのに! インファイトしかできない俺が、インファイターに競り負けてどうすんだよ! なぁ俺、どうしたら良いと思う?」
ウワー!
大声で泣き叫びながら、地面を何度も平手で叩く。拳骨で殴らないのは、拳を痛めないために違いない。きっと桜の樹に、トオルは今日の報告をしていたのだろう。邪魔をしては悪い。俺たちはソッと分校を後にした。
何となく川が見たくなって、分校近くの河原に足を延ばした。カーチャンとアンチャンも黙って後に付いてくる。ピカピカの満月が川面に浮かび、コオロギやスズムシの鳴き声が響いていた。
「トオルはこれから、もっと強くなるよ。今日は残念だったけど」
アンチャンがフニャリと微笑んだ。彼、後二回挑戦できるもんねぇと言葉を続ける。それを聞いていたカーチャンが、小さく頷いた。
「お前たちの頑張りは、この目で見させて貰った。本当に今日は良くやった。それでトオルに全集中とやらは、今日を持って終わりで良いのだな?」
「うんそうだねぇ。三年生はもう引退だし、暫く大きな大会もないから」
いつの間にかカーチャンの下顎に、梅干しの種が浮き出ていた。何度か口を開いては閉じ、目を瞑って何かを考えている。しばらく間を空けてから、大きく息を吸って目を見開いた。
「シンヤ。お前の左脚は治る可能性がある。ただし頭部の大きな手術だから、絶対に成功するとは言えない。最悪の場合、死亡する可能性もあるとのことだ」
驚き過ぎて息が止まる。コオロギたちの鳴き声が、遠くに行ってしまったように感じた。暫くして、アンチャンが震える声をあげる。
「……お医者さんは、もう直らないって言っていたよ?」
「今回の件で警視庁へ出向く必要が有った。東京に医療に詳しい知り合いがいる。黙っていて悪かったが、調書の資料である君の診断書やMRIデータなどを見て貰った」
カーチャンはポツリポツリと説明を始める。
その結果、アメリカの大学病院に勤めている日本人医師で、『最後の切札』と呼ばれる天才脳外科医を紹介されたこと。治療を受けるには高額な費用が必要となるが、慰謝料と含めて巨額の資金を県警元幹部から巻き上げることになっていること。手術後、成功した場合でも数ヶ月入院しなければならないが、留年などせず卒業を確約させていることなどを説明した。
「……僕、どうしたらいいんだろう? 今すぐ決められないよ」
月明かりに照らされたアンチャンは、河原に呆然と立ち尽くす。耳朶に付けている星の形の耳飾りが、ボンヤリと光っていた。
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