第17話 毛蟹の話



 インターハイは毎年、各都道府県持ち回りで大会が開かれる。幸か不幸か今年の大会は、俺たちの県で行われた。アンチャンは開催が北海道や沖縄で行われれば、観光もできるのにと唇を尖らせている。

 でも俺にとってはラッキーだった。流石にそんな遠くまで、見物に行けないもんな。俺はセコンド席の特等席で、試合を見ることができた。

 トオルの階級は、四十八名が参加する激戦区だった。そんな中でも順調に勝ち進んで行くトオル。リングサイドの歯欠けたちから、野太い声援が湧き起こる。


 でもあと三回勝ったら、優勝という所(ベストエイトというらしい)で、強敵と対戦することになった。相手は北海道から出場している、毛だらけのカニみたいな体型の選手だ。身長はトオルより低い三年生だが、腕周りと肩がガッチリしている。


 一ラウンド目から様子を見ることも無く、至近距離で殴り合う二人。茶髪の時とは違い、見ている方も初めから終わりまで息つく暇も無い。毛蟹が重たいパンチを一発入れれば、トオルもすぐに殴り返す。

 今まで練習していた避ける技術なんか、一つも使っていないみたいだ。でもアンチャンが言うには、パンチの威力を逃す体捌きを二人とも行っていて、見た目よりダメージは少ないらしい。


 息することも忘れる二分が、嵐のように過ぎ去った。しっかりとした足取りで、トオルはコーナーに戻ってくる。俺は、うがい用のペットボトルを渡した。なぜだろう? あんなに激しい殴り合いをしているのに、トオルは楽しそうに笑っている。

「彼、いいねぇ」

「うっす」

「相手の呼吸を読むのはトオルの得意技だけど、彼も良く分かっているみたい。足を止めて撃ち合うのはいいけど、決定打を貰わないようにね」

「うっす」


 トオルはうがい水を吐き出すと、マウスピースを噛み締めて二ラウンド目に向かった。

「アンチャン。あの毛蟹、強いのか?」

「毛蟹? あははは。本当だねぇ。そう言われたら彼、そういう風にしか見えなくなっちゃうよ」

 ヘラヘラ笑いながら、アンチャンは返事をする。それから見たこともないような真面目な顔をした。


「彼のスタイルはトオルとほぼ同じ、インファイター接近戦が得意なんだ。しかもパンチの手数も重さも桁違いなんだよね。でも……」

 何でもボクサーには、近・中・長距離型の三種類がいるらしい。トオルは近距離で、アンチャンは長距離型だ。説明しながら小さく首を振って、話し続ける。

「高校二年間の経験値の差は大きい。それに彼、ジュニアの頃から目立っていた選手なんだよね。見た目より技術が凄いんだ」


 俺から見るとただノーガードで、殴り合っているようにしか見えない、いつの間にか二人のパンチが当たる度に、大歓声が湧き上がるようになった。体勢を低くして、パンチを出し合う二人。同時にもう一歩、足を前に出した。


 ゴツン!


 川の中で大きな岩が、ぶつかり合ったような音が響く。二人の頭がヘッドガートごと衝突したのだ。思わず仰け反る二人。でも一瞬早く、トオルが立ち直る。火の出るような左フックが、毛蟹の腹にめり込んだ。


「ダウン!」


 レフリーがカウントを始める。六まで数えた所で、毛蟹は立ち上がり両手を構えた。試合を続けようとして、レフリーは手を振る。見ればトオルも毛蟹も顔中、血だらけになっていたのだ。

 あれだけ激しく頭突きしあったのだから、どこかが切れてもおかしくない。ヘッドガードが無かったら、どうなっていたんだろう?


 覚束ない足取りで、トオルがコーナーに戻って来た。ヘッドガードを外すと、いつの間にか歯欠けが、タオルとワセリンの入った容器を抱えている。アンチャンが歯欠けに場所を譲った。

「彼は優秀な止血係カットマンなんだ。彼に止められなければ、ウチでは誰も止められないよ」

 トオルの頭をタオルごと抱え込む歯欠け。傷口にワセリンを塗り込むと、タオルをアンチャンに抑えさせて、自分はトオルの首筋を両指で押さえた。後で聞いたら、頭に回る血の量を調整していたらしい。


「トオル! 血は止めた。けど傷口にパンチを喰らうなよ! これ以上深くなると、俺でも止められねぇ」

「うっす」

 歯欠けに背中を叩かれて、トオルはコーナーから離れた。毛蟹も戻って来て、また殴り合いが始まる。二人とも顔中血だらけだった事を忘れているみたいだった。

「馬鹿野郎! 顔! 顔には喰らうんじゃねーよ」

 歯欠けの野太い低音の悲鳴。そこで第二ラウンド終了のゴングが鳴った。


 フラフラとした足取りで、コーナーに戻ってくるトオル。その傷口を真っ青な顔色で手当する歯欠け。騒然とする雰囲気の中で、アンチャンはノンビリとした声をかけた。

「ダウンを取ったから、ポイントは優勢だよ。最終ラウンドは逃げ切る?」

「逃げ切れればいいっすけど、下手に一発喰らえば俺も持ちません」

 うがい水を吐き出すと、苦し気な声で返事をする。アンチャンはフニャリと微笑んだ。

「じゃあ、真っ向勝負だね。いい? 技術で負けても気合いで負けないで!」

「うっす」


 トオルは最終ラウンドに向かって、足を踏み出した。


 最後のラウンドは、お祭り騒ぎだった。どちらかのパンチが当たる度に、観客席からヨイショとかオイ! と声援が上がる。何回目かの掛け声の時、トオルの身体が垂直に持ち上がった。


「アッパーカット! 畜生、今まで隠してたのか!」


 歯欠けの悲鳴。ゾッとするような下からのパンチが、トオルの顎を捉えた。あまりに重い衝撃で、トオルの身体が浮き上がったのだ。着地するなり膝から崩れ落ちた。

 カウントを始めようとしたレフリーは、屈み込んでトオルの様子を確認した。それから片手を大きく振り回す。


 トオルは失神して身動き一つできなかった。アンチャンたちが何か叫びながら、リングに殺到する。



 三ラウンド一分三十秒。トオルは派手なKO負けをした。

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