第16話 カーチャンの謝罪



 今日はトオルが部室に行かない日だ。だから外出時は俺が、護衛に付かなければならない。トオルは別に良いと言っているが、アンチャンや歯欠けたちから頼まれているから仕方がない。

 朝のランニング。俺は自転車で着いて行く。最近の走るスピードは、始めた頃と比べ物にならないくらい早い。走り終わるとすぐ、トオルは庭で柔軟体操を始めた。

 これが終わると、暫く部屋で勉強をするらしい。もう俺の仕事は終わった様だ。トオルの家の後にした。


 言っては何だが、この辺りは大層な田舎だ。俺の通う小学校は分校だし、住んでいる人は全員顔見知りで、親戚みたいな感じである。だから余所者が歩いていると、ひどく目立つ。

 その田舎でガラの悪いチンピラが二人、トオルの家を覗き込むようにウロウロしている。

「おい、トオルに何か用か?」

 俺が声を掛けたら、二人ともその場で小さく飛び上がるほどに驚いた。


「な、何だ、このガキは」

「お前ら余所者だろう。こんな田舎に何しに来たんだ」

「ウルセェな、散歩だよ。散歩」

 サングラスをかけたチンピラが、周りをキョロキョロしながら面倒臭そうに答えた。泊る宿も無い場所で、こんな時間に散歩をしてるなんて不自然だ。そう言うとアロハシャツを着たチンピラが舌打ちする。

「面倒臭せーガキだな。どっか行っちまえ」

 アロハは片手を振って、俺を追い払おうとする。それでも周りをチョロチョロしていると、どうやら頭に来たらしい。俺の襟首に手を伸ばした。


 ビッー!


 俺はアロハに襟首を掴まれて、猫みたいに片手でぶら下げられる。その状態で、ポケットの防犯ブザーを押した。物凄い音量に驚いた、近所の玄関や窓がバタバタと開けられる。慌てたサングラスとアロハは、俺を放り出して逃げ出した。

 暫くすると車の排気音がする。どうやらどこかに留めておいた車に乗り込んで、移動したらしい。


「ケンタ、何やっているんだよ」

 防犯ブザーの止め方が分からなくて困っていると、トオルが飛び出してきた。防犯ブザーを取り上げると、音を消す。

「チンピラ二人組を追い払ったぞ。やっぱりお前、狙われているんだな」

「危ない事するなって、シンヤ先輩にも言われたろう!」

 トオルとギャーギャー言い争いをしていると、物凄いスピードでカーチャンの車がやって来た。


「ケンタ、トオル。無事か!」

 スマホを握りしめ車のドアを、ぶち破る勢いでカーチャンが近づいて来た。チンピラ二人組を追い払った話をすると、下顎に梅干しの種が浮かび上がる。

 カーチャンが言うには、工業高校の近くや部室周辺でも、何度か小競り合いがあったらしい。

「馬鹿どもが! 私の息子に手を出すとは良い度胸だ」



 その日を境に、嫌がらせはピタリと止まった。それから三日後。俺は今、カーチャンと工業高校ボクシング部の部室に居る。

 カーチャンは、この三日間物凄く忙しそうにしていた。家の電話は何度も鳴るし、夜も家を空けることがあった。お陰でトーチャンと夕飯に、ラーメン屋に行くことが出来たけど。いつもは身体に悪いからと食べることのできない、豚骨醤油ラーメンを食べた。ラーメン、美味いよな。

 工業高校でも大騒ぎがあったらしい。この前、怒鳴り込んで来た教頭が退職するみたいだ。


「忙しい中、集まってもらい済まない。これまでの経緯を説明させてもらう」

 パンチやメガネ、ボクシング部員が集まった所で、カーチャンは話を始める。カーチャンの表情は険しく、口の端から苦虫が何匹も、はみ出ていた。


 私立大学付属の茶髪は、県警本部の幹部職員の息子であったこと。父親である幹部は、息子を勝たせる為に職務上知り合いとなっていた、ヤクザにアンチャンを襲わせたこと。三人が倒れていたのを通報したのは、見張り役だった茶髪本人であること。などを説明する。

 警察への緊急連絡は電話番号と、連絡内容が必ず保存される。その情報の完全処分は、幹部職員でも相当難しいらしい。カーチャンの知り合いは、苦労して半分消されかけた情報を探し当てたのだ。


「それじゃ、シンヤ先輩が殴り倒した奴らは……」

「未成年ではあるが、だ。彼らの身元も幹部がもみ消した。そして……」


 出身大学後輩の教頭を使って邪魔者であるアンチャンが所属する、ボクシング部を公式試合出場停止に追い込んだのだという。これで茶髪がインターハイに連続出場することができたのだ。

 その事が露見して、慌てて教頭は退職届を出したらしい。しかし届は受理されず、懲戒免職として扱われるのだそうだ。

「どっちにしても辞めるんだろう? 懲戒免職って何だ?」

「ただ辞める訳ではない。懲罰的な免職だから、実名公表されて退職金が無くなる。教員免許も没収だな」

 良く分からないが、大変な事なんだろう。


「今回の件は警察の一大不祥事だ。暴力組織を利用しての一般人襲撃。事件そのものの揉み消し。そして未来ある君たちの活動を、大幅に阻害してしまった。本当に申し訳なかった。この通りだ」

 カーチャンは深々と頭を下げた。俺も含めて、全員がビックリして声も出せない。パンチがワタワタしながら、声を掛ける。

「いやいや、姉御が悪い訳じゃないでしょ。悪いのは警察のお偉いさんなんだから」


「その、は現在、必死に揉み消しと逃げ切りを図っている。だが私を含めて有志の人間が、絶対に逃がさない」

 カーチャンは薄っすらと微笑んだ。背中からドス黒いオーラが吹き出している。それを見た全員が、背筋をゾッと冷たくさせた。


「それじゃあ、もうトオルは安全なんだね。良かったなぁ」

 アンチャンはヘラヘラと笑っている。今回の事件の一方的な被害者である筈なのに、そんな気配が微塵も感じられない。毒気を抜かれたカーチャンが何か言おうとするのを、アンチャンは身振りで止めた。

「今は、トオルのインターハイに全集中する時だよ。障壁が一つ無くなったんだから、喜ばなくっちゃ!」

「……分かった。君の意思を尊重させてもらおう。トオルの護衛は念の為、これまで通り続ける。トオル、皆の気持ちを無駄にするなよ」


「うっす」


 歯を喰いしばったトオルは、見たこともない顔付きで短く返事をした。



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