第8話 焼トーキビの話
「金髪のチャラ男。片足を引き摺りながら、自由奔放な少年に手を伸ばす。少年は嫌がる素振りを示すが、チャラ男は気にも留めない……」
小麦も、何かをブツブツと呟いている。それを耳にした愛美が、風のように素早く傍に張り付いた。
「あの! この場合はケンタが受けで良いんですかね? そうじゃなくてもいいんですよね!」
「あら、愛美ちゃんでしたか? 話が分かる娘ね。そうなのよ! 無自覚な少年が青年を振り回すのも、醍醐味の一つよね」
さっきまでオドオドしていたのに、何だか堂々とした雰囲気だ。まるで小学校に特別講義で来た、大学の先生みたいに見える。
「トオルとケンタのカップリングは有りですか?」
愛美は喰い気味に、ネーチャンに問いかける。難問にぶち当たったように、ネーチャンは眉根を寄せた。
「うーん、トオル君かぁ。筋肉質なのはポイントが高いんだけどねぇ。ちょっと華やかさが足りないというか……」
「……それじゃあ! リュカさんとシンヤさんなら、どうですかね」
「!!! ちょっとこっちに来て!」
愛美はネーチャンに手を引かれて、母屋の影に消えて行った。
「……アンチャン、あれ何だ?」
「何だろうねぇ。まぁ、幸せそうだから良いんじゃないかな」
俺は二人を遠目に眺めながら、小首を傾げる。アンチャンは肩を竦めた。
「おーい。三時の休憩だぞー!」
母屋の方から声が聞こえて来た。作業していた人たちは、用水路に流れる水で長靴を洗う。母屋の方から醤油の焦げる、良い匂いが漂って来た。
庭に回り込むと焼き台の上で、トウモロコシが焙られていた。
「やった、焼トーキビだ!」
俺は炭火の焼き台に走り寄った。二本貰うと一本をアンチャンに渡す。
「うわぁ、ありがとう。でもトウモロコシって、少し苦手なんだよねぇ」
「何でだ? 美味いぞ」
アンチャンは、焼トーキビを持ちながら呟いた。ボクシング選手だった頃、減量の習慣で食べ物の好き嫌いが激しくなってしまった事。糖質とカロリーの高いトウモロコシを、ある時期からほとんど食べられなくなってしまった事。
「それにさ。一本食べると滓が歯に挟まって、格好悪いじゃない?」
フニャリと笑うアンチャン。俺は自分の焼トーキビを齧りながら言った。
「嫌いなら、無理に食べなくても良い。でも美味いぞ。一口だけ齧ってみろ」
「……そう言えば、お魚も美味しかったもんね。ちょっと試してみるよ」
恐々と焼トーキビに齧り付くアンチャン。しばらく口を動かして、大きく目を開いた。
「甘い! それに凄く良い匂いがする」
ガツガツと焼トーキビに齧り付く。すぐに無くなりそうだから、焼き台からもう一本貰ってきた。
「ありがとう。こんなに美味しいトウモロコシを食べた事がないよ! これって特別製なの?」
焼かれたトウモロコシの品種なんて分からない。焼き台にいるリュカに品種を訪ねると、聞いたこともない名前を教わった。新しい種類らしい。生のトウモロコシを渡されて、一口齧るように勧められた。
「生を食べると、腹を壊すって言われたぞ」
「コレハ消化ノ悪イ、デンプンガ含マレテイナイカラ大丈夫デス」
本当かな。目の前でリュカが齧って見せる。それで俺も一口だけ、齧って驚いた。
「甘いし、青臭くないぞ。それに水が凄く入っている!」
生で食べても美味しいんだから、醤油を塗って焼けば美味しくなるに決まっている。そうアンチャンに説明した。そのうち、母屋が騒がしくなった。研修生のアンチャンやネーチャンが楽器を持ち出して来たんだ。
リュカもギターを抱えて、調弦を始める。暫くすると、騒がしさが更に大きくなった。ネーチャンたちに引き摺られて、小麦が庭先に連れて来られたのだ。
「離して下さい。私は今、この娘と重要なデスカッションを……」
見れば小麦の近くで、薄い本を抱えた愛美が呆然と立っていた。小麦は外人に取り囲まれて、アーでも無い、コーでも無いと話し続けている。そのうち話がついた様だ。皆が楽器に取り付き始めた。
リュカがギターで前奏を弾き始める。スキップしたくなるような軽快なリズム。同じような旋律が何回か繰り返された後、全ての楽器が低音で同じ旋律を奏でた。
小麦が突然、歌声を上げる。小さい身体なのに、吃驚するくらい大きくて、良く通る歌声だった。その歌声は伸びやかで、生きる喜びに溢れていた。愛おしい子供。堪らない位、可愛いんだよ。神様ありがとう。
英語の歌だから、詳しい内容は分からない。でも後でトオルが教えてくれた。今から五十年位前に、アメリカで盲目の黒人が歌っていた曲なんだそうだ。
軽くて軽快なリズム。低いベース音が全体のバランスと、幸せな歌をガッシリと支えている。小麦の歌声は大豆畑の中を、どこまでも嬉しそうに広がってゆく。こんな曲を聞いた事がないだろう、美紀さんも楽しそうに鼻歌を歌っていた。
いつまでも続く、幸せな歌。終わって欲しくないくらい、楽しい時間。
小麦が歌い終わり、低音で同じ旋律を奏でると、唐突に演奏が終わった。爆発的な歓声。小麦は皆に囲まれ、揉みくちゃにされて目を回す。
気がつくと俺の側にいた、アンチャンの姿が消えていた。左足を引き摺りながら、外人と一緒になって小麦を揉みくちゃにしていたのだ。
「凄いねぇ。こんなに素敵な演奏と歌声を、聞いた事が無いよ!」
アンチャンは見た事もないほどニコニコしていた。それを見ていたトオルも、ホッとしたような表情を浮かべる。
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