第7話 大豆の話
小学校が夏休みに入る少し前、俺は近所の篤農家と呼ばれる
だから一つ一つの作業が勉強会であり、研修の場となる。俺とトオルと愛美は、その研修の手伝いに来ていた。
なぜ小学生や不良高校生が、有機農家の手伝いをしているか、説明すると長くなる。一言で言えば、近所付き合いだろうか?
今日の作業は大豆の豆撒きである。今日蒔く大豆の品種は、昔からこの辺りで栽培している在来固定種だ。固定種なんて言うと難しく思うかもしれないが、何の事は無い。植えた作物を、大きく育てて種取りをするだけの話だ。でもそれを何十年も続けているのは、確かに凄いことかもしれないけど。
それだけの事なのに、今日参加している大人の何人かは、大興奮していた。
「この地方の在来種なんでしょう? しかも、手伝えば種を分けて貰えるって! 桑原農園の本物だよ」
そんなもの手伝わなくても欲しいだけ、あげるのに何を大騒ぎしているんだろう? この人たちに言わせると美紀さんは、近所どころか日本でも有名人という話だ。
美紀さんは道で会ったら、ただの農家の年寄りにしか見えないけどな。きっとこの人たちは、農業オタクなんだろう。
「ソレデハ皆サン、集マッテ下サイ」
外での種蒔きの指導は黒人の大男である、研修生古株のリュカがやるみたいだ。篤農家の美紀さんは、隣でニコニコと笑っている。今回の参加者は外人が多いから、幾つかの言葉が話せるリュカが説明するのだろう。
そう言えば、いつの間にかリュカの日本語は上手くなっていた。自分の国の役人を辞めて、ここに居ついたからなのかもしれない。
「うわぁ、外人さんが多いねぇ。先生も黒人さんなんだ」
一緒に来ていたアンチャンが、驚いたような声を上げた。こんな田舎に外人が集まる事は少ないし、その集団の中に入る事は、もっと少ない。
こういう会に大分参加しているのに、愛美なんかは、まだ警戒心バリバリで溶け込めていない位だ。
でもアンチャンはニコニコ笑いながら、色んな人に話しかけている。
「凄いな、英語が話せるのか?」
「全然! ウチの高校の偏差値を舐めて貰ったら困るなぁ」
アンチャンは胸を張る。威張れる事なのか? でも外人とニコニコ笑い合っている。どうしてだ? と、聞くと
「知っている単語を、大きな声で! 後、此処は日本なんだから、気合で日本語を押し通すの」
どうやらそれで、言いたいことが伝わるらしい。気合って大切なんだな。
「でもトオルは凄いねぇ。ちゃんと英語を話しているよ」
アンチャンは感心したように頷いた。今日は農業オタクが多くて、質問が立て込んでいる。トオルは細かい質問を美紀さんから聞いて、英語で説明しているみたいだ。何でも語学教師をしているダイアナ先生に、個別で英語を習っているらしい。
学校以外で勉強するなんて、ゾッとするなぁ。
もう一人、背の小さな小麦という名前のネーチャンも、通訳をしていた。でも人見知りらしく、あまり会話は弾んでいない。
金髪のアンチャンが話しかけると、ギョッとしたような顔をして何処かへ行ってしまった。きっと不良が苦手なんだろう。
やっと大豆の種蒔きが始まった。今日蒔く大豆は黄色ではなく、少し緑色をしている。
種蒔きの仕方は、二種類だ。一つは畝立てをした畑に、十五センチ間隔で穴を掘る。掘った穴には、タップリと水を入れる。水が引いた穴には三粒の豆を入れて、二~三センチ位の厚さに土を被せる。
もうこれで水やりはしない。あんまり水をやると、豆が膨らんで腐ってしまうからだ。本当は「ごんべえ」という名前の、手動播種器を使って作業をする。でも今日はしない。「ごんべい」が無い国で大豆を育てる練習だからだ。
もう一つは、一メーター×五メーターの畑の、もみ殻を混ぜては良く耕した土に蒔く。幾つも筋を引いて、その中に沢山の豆を入れる。種の量が多すぎて蒔き過ぎだけど、これで良い。
これは普通に畑に蒔いた種が失敗した時の保険なんだ。一番怖いのが、種蒔き後の長雨。これに当たると悪ければ全滅だ。凄い広さの畑全部に雨除けをする事は出来ないけど、この位の大きさならシートを掛けることが出来る。
それに鳩なんかの鳥が大挙してやって来る時もある。発芽したばかりの柔らかい双葉は、奴らの大好物だ。人が居れば寄って来ないけど、広い畑で一日中見張りをしている訳にはいかない。
そんな感じで、駄目になった部分の捕植をするための作業だ。苗が大きくなったら、小さい畑から、大きい畑へ移し替える。
それから大豆は一つの穴で、二株の苗を育てる。これは根が浅く
「ごんべい」を使っても相当大変だが、今日は手蒔きだから人数が多くても時間がかかった。作業が終わる頃には皆、ヘトヘトになっている。アンチャンがフニャリと微笑んだ。
「今から種を蒔いて、枝豆がビールの時期に間に合うの?」
「何だ、アンチャン。ビール呑むのか?」
「えへへ、内緒」
この大豆は七月上旬に種蒔きをするから、枝豆ができるのは十月になってからだ。トーチャンが大好きなビールは暑くなる、八月頃が一番美味しいらしいから、全然間に合わない。
丹波の黒豆もそうだけど、早い時期に種を蒔くと植物の身体だけが大きくなって、花が咲かない。花が咲かなければ実が付かない。そう言うとアンチャンは、感心したように頷いた。
「ケンタ君は何でも良く知っているねぇ」
「この辺の人間は子供でも知ってるぞ。この大豆の枝豆は、無茶苦茶美味いんだ」
「えー、楽しみだなぁ」
アンチャンが抱き着いて来たので、両手で身体を突き放す。すると二つの変な視線を感じた。一つは愛美だ。また何かをブツブツと呟いている。もう一つはさっき姿を隠したはずの、小麦だった。
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