第5話 アンチャンの実力の話



「トオル凄いな。自分より身体の大きい相手に、三連続で勝っているぞ」


 トオルは結局、三連勝してリングを降りる。一人に係る時間は、一ラウンドかかっていなかった。汗をかいているが、息は上がっていない。相手をしてくれた先輩達に、頭を下げて回っていた。

「先輩達が鍛えてくれてるからな。俺だけで強くなっている訳じゃない」

 それを聞いた歯欠けは、死ぬ思いでプロテクターを外し苦笑いする。

「コイツは懐に入ってくるのが、異様に上手いんだよな。気が付いたらインファイトの距離に詰められちまう」

 トオルに負けた先輩達は、ウンウンと頷いている。


「きっとジーサンに、合気道を習っていたからだな。足の動きが良く似ていた」

 俺が呟くと、トオルが驚いたような顔をした。

「ケンタ。お前、気が付いていたのか」

「驚くような事じゃないぞ。ジーサンとの練習を見ていれば、誰でも分かる」

 リングの上でトオルの足捌きは普通、つま先立ちで動いている。でも体当たりする時は踵までベッタリと足を付け、摺足で身体を移動していた。


「やっぱり、他の格闘技のスタイルだったんだねぇ」

 いつの間にかアンチャンがリングに上がっていた。トオルに向かって手招きをしている。リングサイドの不良たちが固唾を呑んで、騒めき始めた。

「さぁ、公開スパーリングも大詰めだよ。最後は僕が参加するね」

「え、でもシンヤ先輩!」

「大丈夫大丈夫。トオルの活躍を見てたら、僕も熱くなっちゃった。かかって来てね。遠慮なんかしたら怒っちゃうんだから」


 トオルはしばらく下を向いて、何か考えている。でも顔を上げたら、見たこともないような表情を浮かべていた。憧れている物を見つめるような、手に入れたら壊れてしまう物の前にいるような。

「うっす」

 小さく気合を入れて、リングに上がった。



 アンチャンはグローブを付けた両手をダラリとぶら下げている。ヘッドガードや防具は付けていない。アンチャンの合図で俺は木槌でゴングを叩いた。


 ゴングと同時にアンチャンは左の拳を顎に付け、かぎ状にした右腕を振り子の様に動かし始めた。トオルはお辞儀するように上半身を倒して、アンチャンに飛び掛かる。全体重を前にかけた物凄いスピードだ。


 シュビ!


 アンチャンの右腕が鞭のようにしなる。トオルの右腕が外側に弾かれた。


 シュビ! シュビ! ぺチン


 もう2回アンチャンの右腕がしなると、トオルの両手のブロックが外れた。そしてアンチャンの左腕がトオルの顎を擦った。


 ガクン!


 トオルは膝から崩れ落ちるように倒れる。まるで丸太が地面に倒れるみたいだった。


 フワリ


 トオルの頭がリングの床に激突する前に、アンチャンが抱きかかえる。そして優しくトオルをリングに寝かせた。

「いやぁー、トオルも強くなったねぇ」

 ほとんど居ない観客と、不良達に向かってフニャリと微笑む。

「それじゃあ今日の、公開スパーリングは終わりにするね。みんな、お疲れ様」

 リングサイドの不良達は、いつまでも興奮気味に騒めき続けていた。


「おい、トオル! 大丈夫か」

 リングに駆け上がった俺は、ヘッドガード越しにペシペシとトオルの頬を叩いた。その手をアンチャンは、そっと押し留める。

「脳震盪を起しているだけだから、しばらくしたら目が覚めるよ。それまでは寝かせておいてあげてね」

 見れば歯欠けがトオルのマウスピースを外し、口の中を覗いていた。何でも失神している間に舌を巻きこんで、気道を塞がないようにする為らしい。


「どう、ボクシングって面白いでしょう?」


「ボクシングが面白いかどうか、俺は分からん。でもアンチャンたちが夢中になって、練習しているのは良く分かった。でもなぁ……」

 俺は暫く何を言えば良いのか考えた。普通の人なら喋らなくなった俺を置いて、何処かへ行ってしまう。アンチャンは俺が口を開くまで、ずっと静かに待っていてくれた。


拳骨げんこつ一つで人を殴り倒すのって、どんな気持ちなんだ? 楽しいのか? 殴られた方も痛いだろうけど、殴った奴の拳骨だって痛そうだ。俺は痛いのは嫌だな」


 キョトンとするアンチャン。それからお腹を抱えて爆笑した。

「あははは! 本当だよねぇ。殴った人の拳骨だって痛いよねぇ。忘れていたよ。ケンタ君は、本当に凄いな」

 見ればリングサイドの不良達も皆、苦笑いをしている。俺、何か余計な事を言ったかな?

「オラ、シンヤ。馬鹿みたいに笑ってないで、そこを退け」

 歯欠けに押し出されるように、俺たちはリングを降りた。



「何だ。公開スパーリングとやらは、もう終わったのか」

 リングを降りたのと同時に、カーチャンが部室に入って来る。後ろには大きな身体を限界まで小さくした、パンチとメガネが付き添っていた。


「おぉ、カーチャン! 終わったぞ。その二人は有罪だったのか?」

 俺の声を聞いて、カーチャンは顔を顰めた。

「半分有罪で、半分無罪だ」

「何だ? 良く分かんないぞ」

「学校から招待されたのは本当だった。しかし展示物は、あの下品な車では無い。中に積んでいたロボットだった」


 パンチとメガネはロボット工学の専門家だそうだ。パンチは造形を、メガネはロボットの行動制御を得意としているらしい。何でも五年制の高等専門学校にも、一目置かれるほどの技術を持っているとの事だった。

「あの、姉御…… 俺たちは車が展示物だとは、一言も言ってないんですが」

「喧しい。あんな物を公道で走らせる事自体が罪だ」


 パンチは強目に後ろ頭を叩かれる。どうやら二人は本当に学校に招待されていたらしく、嘘も言っていない様だった。でも叩かれている。言いがかりを付けているのは、何だかカーチャンの方みたいだった。その様子をリングサイドの不良達が驚愕の目で眺めている。


「あの、先輩方。お久しぶりです」


 不良たちの代表格なのか、歯欠けがペコペコしながら二人の前に出て行った。それを見て何とか威厳を取り繕うとするメガネ。

「おう! お前ら元気にやっているか」

「何を偉そうにしている」

 メガネの後頭部も強目に叩かれる。衝撃でヤンキーメガネが、カラカラと床に転がった。


「あの……  こちらの大層強気な女性は、どちらさんで?」

 メガネを拾い上げながら、歯欠けは尋ねる。パンチは慌てて両手を振った。

「お前らは知らない方がいい。目も合わせるな!」

 パンチは自分の身体を盾にして、カーチャンを隠そうとする。


「人の事を何だと思っている。私は、その子供の母親だ。そこに倒れているトオルの知り合いでもあるが」


 カーチャンは腕を組んで、鼻を鳴らした。



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