第4話 カーチャンの前職の話
「相変わらず、しけた校舎だな」
カーチャンに乗せて貰った車から降りる。五月の連休明けにある、工業学校の公開日だった。公開する物の中の一つに、ボクシング部のスパーリングがあるのだろう。
「何だ、カーチャン。ここに来たことがあるのか? ひょっとして卒業生なのか」
俺の質問に物凄く嫌そうな顔をして、カーチャンは答える。
「そんな訳あるか! 私が働いていた時、ここのバカ学生たちに散々、手を焼かされたんだよ」
「あれ? カーチャンの仕事って……」
「オラ! ババーとガキが、こんな所に突っ立てんじゃねぇーよ! 轢き殺されてーのか」
振り向くと極端に車高の低い、元の車種が分からない程、魔改造されたセダンが後ろを走っていた。中からヤクザみたいな大男が、二人降りて来る。
改造車のフロントバンパーは不自然な程、前に飛び出していた。後ろの排気マフラーからは金属パイプが二本、にょっきりと突き立っている。こんな車、この辺で見た事が無い。後で聞いたら『竹やり出っ歯』という、昭和という時代の造形形式なんだそうだ。
ピキッ!
カーチャンの下あごに、梅干しの種が浮かび上がる。不機嫌そうに眇めた半目からは、レーザービームでも出てきそうだ。
「……お前らこそ、こんな所で何をしているんだ。ヤクザにもなれない半端者が」
「ん? どっかで聞いた事ある声だな」
デブでパンチパーマの男が俺たちの前に回り込んで来た。その肩を変に角度の付いた、ヤンキーメガネを掛けた男が押さえる。
「おい! ちょっと待て。ひょっとしてこのお方は……」
メガネの声を聞いたパンチは、カーチャンの顔を覗き込んで凍り付いた。
「あ、赤鬼の姉御じゃないですか! こんな所で何をなさっているんで?」
二人は直立不動で、ピンと背を伸ばす。その様子を見て、カーチャンは鼻を鳴らした。
「で? お前らは此処のOBだったな。母校の学校公開日に何の用だ。まさか現役に変な粉を、掛けに来たんじゃないだろうな」
人影の無い校舎裏。腕を組むカーチャンの前で、二人の大男は地ベタに正座していた。
「と、飛んでも無いです。機械科の後輩から招待されて、展示物を持って来ました」
カーチャンは嫌そうな顔を更に捻じ曲げた。それを見たパンチとメガネは震え上がる。
「あの下品な車か。あんなの何処に売っているんだ?」
「いやいや。ほとんどのパーツは自作でして。エアロパーツは金型から、自分で削り出してるんですよ」
パンチは嬉しそうに、車の説明を始めようとする。笑うと強面の顔がフワリと柔らかくなった。しかしカーチャンは容赦なく、その説明を断ち切る。
「技術の無駄遣いだ。全く興味が湧かん。それよりお前ら、ボクシング部の部室を知っているな。案内しろ」
「がってん承知!」
まるで回転寿司屋のような威勢良い返事で、二人は立ち上がった。
「あれー? 先輩たち、何しているの」
その時、校舎の影からアンチャンがフラリと現れた。メガネがホッとしたように口を開く。
「おぉ! シンヤか。いい所に来た。姉御をボクシング部まで、お連れしてくれ」
「いいよ、ちょうど部室に行く所だったから」
アンチャンはフニャリと笑う。二人の大男は、そそくさとその場を離れようとした
「ちょっと待て。お前ら本当に学校から招待されたんだろうな。どうにも噓臭いんだが」
「ななな、何を仰いますやら。本当です。本当です」
カーチャンの質問に、パンチはブルブルと首を振った。俺から見ても、相当に胡散臭い。舌打ちをしながらカーチャンは言った。
「ケンタ、先にボクシング部へ行っておけ。私はコイツ等が本当に、招待客なのか確認して来る」
パンチの耳を引っ張りながら、カーチャンは校舎の中に入って行った。
「今の人、ケンタ君のお姉さん?」
「カーチャンだ」
「あの先輩たち在学中は、結構な武闘派だったんだけどなぁ。何であんなにビビっていたんだろう?」
アンチャンは小首を傾げる。
「カーチャンは俺が生まれる前、交通課の警察官だったんだって。その時の知り合いかな?」
「ふーん、後で先輩たちに聞いてみよう。あ、そうだ。ケンタ君、ボクシング部へようこそ」
俺たちは小さな体育館のような建物に入って行った。
汗と革の匂い。キュキュッと足音が鳴る。四本のロープに囲まれたリングの中に、トオルが立っていた。トオルはヘッドガードと呼ばれるヘルメットと、頑丈そうな腹巻みたいな防具を付け、亀の様に両手で頭を護っている。
そのままの姿勢で、何度も足踏みをしながらウォームアップしていた。
リングの下ではトオルの先輩である、不良たちが何か揉めている。男達は髪の毛の色が、金や赤だったり、眉毛が半分くらいしかない。昔ながらの煮染めたような、ヤンキーが多かった。
「お前が行けよ」
「俺、今日体調が悪いんだよなぁ」
「嘘付け。トオルが怖いんだろ」
みんな何やらゴニョゴニョと、決まり悪そうにしていた。その真ん中にアンチャン入り込んで、パンパンと手を叩く。それから不良の一人を指差した。
「じゃあ君、一番手ね」
「おい、何で俺なんだよ!」
前歯が一本折れて、ゴツイ身体付きをした不良が不満げな顔を向ける。身長も体重もトオルより一回りは大きい。
「いいからいいから。ほらヘッドガードと防具。トオルに先輩らしい所、見せて上げなよ」
ぶーたれていた歯欠けはマウスピースを噛み締めると、両手のグローブを打ち付けた。どうやら覚悟が決まったらしい。
「良し、トオル! 一丁揉んでやるぜ」
トオルが小さく頭を下げた所で、カーンとゴングが鳴った。揉んでやると偉そうに言っていた割に、歯欠けはトオルと距離を取っていた。二人の距離が少し縮まると、リングを時計回りに回って、距離を取る。
ズッとこのままなのかな? と俺が思った時、低い体勢だったトオルの姿勢がもう一段階、沈み込んだ。
グンッ!
ビックリする程の勢いで、トオルが前進する。まるで先輩に体当たりしたみたいだ。驚いた歯欠けは手打ちのパンチを出したが、勢いは止まらない。トオルは相手の懐に飛び込むと、イヤイヤするように身体を揺さぶった。
ドスドスドス!
横に鉤状に曲げた両腕が、何発も腹に突き刺さる。その度にプロテクターから、重たい音が響き渡った。
「エグッ。デンプシーロールじゃん」
不良の一人が呟く。デンプシー何とかって、なんだ? 必殺技なのか?
ズウン……
歯欠けはマウスピースを吐き出して、リングに沈んだ。トオルはペコリと頭を下げる。審判をしていたアンチャンは倒れた歯欠けの側に屈み込むと、片手を頭の上でクルクルと回した。
「はい、トオルの勝ちぃー。大丈夫そうだけど彼、そっと降ろしてあげてね」
リング下の不良達の騒めきが、一層大きくなる。坊主頭に雷型の剃り込みを入れた大柄の不良が、さり気なく部室から逃げ出そうとしていた。
「あれ、何処に行くの? 二番手は君だよ」
いつの間にかリングから降りていたアンチャンが、坊主頭の退路に回り込んでいる。
「いや、あれだ。俺、今日バイトなの忘れててさ。シフトがガラ空きで、店がピンチなんだよ」
「へぇー、ボクシング部の他に、バイトも始めたんだ。何やっているの?」
「お、おう。喫茶店でボーイを……」
アンチャンは笑いを噛み殺しながら、坊主頭をリングの方へ押しやった。
「おい、俺の話を聞いていたのか? 顔を腫らすと不味いんだって!」
「こんな稲妻カットのフランケンシュタインが出てきたら、お客さん逃げ出しちゃうって。まぁ、これで顔が腫れたら、本当のお化けになっちゃうもんねぇ。トオル、顔面はナシね」
「うっす」
「馬鹿野郎、トオル! 『うっす』じゃねぇよ。もがぁ!」
無理やりマウスピースを捩じ込まれた坊主頭は、不良達にリングへ押し上げられてしまう。
そして坊主頭も、歯欠けと同じ運命を辿るのだった……
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