第3話 ヤマメの話



「ケンタ君。何をしているの?」


 川で魚を突いている時、河原から声をかけられた。この辺りの川は、水が綺麗で人が少ない。だから子供の俺でも取れる位、魚も多い。でももう水が温くなって、魚の動きが早くなっている。

 だからあまり数は取れない。水中眼鏡を外すと、アンチャンが岸から手を振っていた。


 俺は道具をまとめて河原に戻った。魚の入ったビクを差し出す。アンチャンは受け取って恐々、中を覘いた。

「綺麗な魚だねぇ。何て言うの?」

「ヤマメだ。綺麗だし美味しいぞ」

「食べられる魚を捕まえられるんだね。凄いなぁ」

「この辺の子供なら、誰でもやっているぞ。アンチャンはどうしたんだ?」

「退屈だったから散歩していたんだ。河原に来たらケンタ君に会える気がしたし」

「俺が言うのもおかしいけど、学校はどうしたんだ? 高校だったら、まだ授業がある時間だろ」


 アンチャンはフニャリと微笑んだ。ビクを俺に返した後、両手を上げて伸びをする。

「いいのいいの。こんな天気のいい日に、薄暗い教室で勉強するなんて非人間的だよ。ケンタ君みたいに川遊びをしている方が、何倍も有意義さ」

「……まぁいいや。暇なら薪を拾うのを手伝ってくれ」


 俺は河原の石を積んで、松葉や小枝を集めた。松葉には油が入っているから、小さな火でもすぐに大きくなる。その火が小枝に移った頃、アンチャンが薪を集めて来てくれた。あっという間に焚火の完成だ。

 ヤマメの腹にナイフを突き立てて、内臓を抜く。湧き水で全体を洗ったら、口から細い枝を突き刺して尾っぽで止める。用意してあった塩を振って、焚火の近くに突き立てた。


「強火の遠火。強火の遠火っと」


 トーチャンに教わった呪文を唱えて、時々ヤマメの位置を変える。アンチャンは興味津々で、それを眺めていた。

「こんなのTVやSNSでしか、見たことないや。これ食べられるの?」

「気持ち悪かったら、無理しなくてもいいぞ」

 焼きあがったヤマメを一本、アンチャンに差し出した。恐々受け取るアンチャン。俺は串から外したヤマメに、頭から齧り付いた。それを見て、アンチャンも背中をチョッピリ齧る。暫くして、今度は大きく齧った。

「美味しい! 全然生臭くないねぇ」


「本当は冬の方が美味いんだ。でもこれも悪くないだろう?」

 悪くない、悪くないと言いながら、アンチャンはヤマメを完食した。いつの間にか夕方になっている。川下からトオルと愛美がやって来た。

「何かいい匂いがすると思ったら、ケンタか。俺にも一つくれ」

 焚火に近づいて来たトオルと愛美は、アンチャンを見て同時に固まった。


「ゲッ シンヤ先輩!!!」

「ゲッ ケンタの旦那!!!」

 アンチャンはヘラヘラ笑っている。愛美の叫んだ旦那って何のことだ? 暫くザワザワしていた二人だけど、ヤマメを食べ終わる頃には落ち着いた。


「トオルは何でアンチャンを知っているんだ?」

「アンチャンっていうな! ……ボクシング部の先輩だよ」

「アンチャンもボクシングをするのか。全然強そうに見えないな」

「おい! ケンタ!」

 トオルは慌てて、俺の話を遮る。

「いいか! 先輩は高校一年で県大会優勝しているんだ。本当だったら今頃、プロからスカウトが……」


「トオル、もういいよ」

 アンチャンが笑いながら話を遮る。トオルはビクッとして口を閉じた。きっと話したくない事なんだろう。俺は愛美が何か言いかけるのを止めて、焚火にビクの水をかけた。水煙が出て炎が途切れる。辺りが急速に暗くなった。

「もう暗くなる。今日は帰ろう」

「えー。遊び足りないなぁ」

 と手を振り回すアンチャンを見ながら、俺は道具をまとめて立ち上がった。これ以上遅くなったら、カーチャンにぶっ飛ばされてしまう。そういうとアンチャンも渋々立ち上がった。


「そう言えば、ケンタ君。君は、ボクシングに興味はある?」

「全然興味無い。殴り合いなんかして、何が楽しいんだ?」

 うんうん。そうだよねーと言いながらアンチャンは頷く。トオルはチラチラとアンチャンの様子を伺っている。そのトオルを見てアンチャンは意地悪そうに笑った。

「今度、ウチの部活で公開スパーリングがあるんだ。トオルに連れて来てもらいなよ」

「先輩!」

「ケンタ君に格好良い所を見てもらいなよ」

「興味無いって言ってるだろ」

 いいからいいからと、ヘラヘラ笑いながら片手を振る。アンチャンに逆らえないトオルは、ガックリと肩を落としていた。



「お兄さんは、どうして足を引きずっているのかしら?」

「さぁな。言いたくなったら話すだろう」

 アンチャンとトオルと別れた所で、愛美が話しかけてきた。俺は肩を竦める。愛美は下を向いてブツブツと何か呟いている。

「おい、愛美。どうした?」

 俺が声をかけると、ピョコンと垂直に飛び上がった。それから凄い勢いで俺の肩を両手で掴むと、ガクガクと揺さぶり始めた。


「お兄さんとは毎日会っているの!」

「そんなことないぞ」

「私に隠れて二人きりで……」

「そんなに揺さぶるな! 首が取れちゃうぞ」

 俺は愛美の手を払いのけた。正気に戻ったのか愛美は、サッサと家の中に入って行く。愛美を送り終わった俺は、ブラブラと家の方に向かって歩き出した。



 その日の晩御飯の時に、アンチャンの話をトーチャンとカーチャンにした。白猫の話、カゲロウの話、ヤマメの話。上手く話せたかな?

「何だ。そのアンチャンって奴は、あの工業高校の生徒か。入学試験の時、自分の名前を書ければ入れるような所だろう? そんなのと付き合うのは止めておけ。馬鹿が感染するぞ」

「そんな訳ないだろ。トオルの話だと、入試で落ちた奴もいたみたいだぞ」

 カーチャンは腕組みをして、舌打ちをした。


「きっとそいつは、自分の名前を漢字で書けなかったんだ」

「仮にも高校受験なんだから、それは無いと思うよ。トオル君だって受験前は相当頑張ってたよね」

 トーチャンはビールを吞みながら、苦笑いする。

「それに今は工業系で、情報処理の人材が求められているんだよ。コンピュータができると、進学も就職も有利なんじゃないかな」


「馬鹿でも入学できて、進学できるのか。それなら公開スパーリングを見に行っても良いぞ」


 急に掌を返したカーチャンは鼻息も荒く、そう言い切った。



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