第21話

 彼女が家に帰ると、荒らされた家に母が倒れていて、そこら中に髪の毛が散らばっていたといいます。掴んで引きずられると、髪は束になって抜けるらしいことは、父のジョークで知っていました。


 父は活動的な時、裏切り者の髪を引っ張ってやるんだ、ダイコンみたいに抜けるんだと、笑うことがありました。


 かくして、誘拐された私と父は、そのまま行方知れずになったといいます。どれだけ手をつくして探しても、警察に頼んでも、犯罪が跋扈するこの世で特別に手をかけてもらえるのは、それなりの報酬が付いてくる人間だけだと、彼女は笑いました。


 皮肉のように、絶望のように笑いながら、自分の指を撫でていました。指輪をしたまま日焼けをしたのか、白い線があるところを、しきりに触っていました。


 取り返しがつかない事実が、遠くからこちらに向かって、どんどん近づいてくるのを感じていました。はじめは小さな点だったものが、ついには視界いっぱいに広がって、私を呑みこもうとしていました。


 しかし私の思考は、虚空に散らばって浮くばかりでした。欠片を集める勇気も、元気もなく、私はただ、目を開けて面接室に座っているだけでした。


 一回の面会でそこまで話した後、彼女は来ませんでした。


 私は相変わらず、面会室で私にふさわしい非難を受けながら、はじめの頃は想像だにしなかったことですが、だんだんと慣れてきていました。


 あまりに鈍したので、面会の最中にも彼女の話を考えました。面接室にいたけれども、私はどこか、自分の頭の隅の小部屋に自分自身を隠して、彼女が言ったことを、言われたままに記憶をなぞって、弄んでいました。彼女にまた、会いたくなりました。


 死刑房に帰って、ぼうっと眠る時でさえも、次の、そして明日の面会室に彼女の姿を望みました。それから、父はなぜ来られないのだろうかと思いました。


 父が私を母から奪ったのだとしたら、なぜ、父は私を生かしたのでしょうか。この、買い物袋を持つだけで精一杯の、細い腕の私を、どうして父はそばに置いたのでしょうか。


 あの面会者は、私を惑わすためだけに、私が見てきたものとは別の解釈を投げたのかもしれません。そんなことに耳を貸し、信じるべきものを信じない私の目の悪さを、もし父が来たら、きっと叱ってくれたでしょう。


 そして、私は死刑囚でした。私の都合は、私が人の命を奪った瞬間に、その人たちと一緒に死にました。ですから、死刑房に収監される人間が後を絶たないために、私の死刑期日が繰り上げになったところで、嘆く権利もありませんでした。


 いつもと同じに、面会室へ行くのだと思っていました。それが、通ったことのない通路を歩き、くぐったことのないドアを抜けた先にある銀色の台の前で、服を脱いで横になるように言われたのでした。私は、言われた通りにしました。


 手足や頭にベルトが巻かれ、私の鼻と口に、ゴムのカップのようなものが被せられました。甘い匂いがしました。


 誰が発したか、声が遠くに聞こえました。


「十の月、七。二十三番。死刑囚番号、八八六四。十八歳で四人殺害。死刑房満床に伴う死刑期日繰り上げのため、臓器摘出にて死刑執行。はじめ」


 数々の不思議はありましたが、質問したいほどではありません。私の意識はそこまでです。


 二人の女たちは、その子の暗く長い独白を、まるでお祭りの話でも聞いているかのような表情で、静かにそばに座ってすっかり聞いていた。そして、二人して目を合わせると、これから菓子を買ってもらえる子どものような、喜びに満ちた表情で言った。


「では、この川を横切って、あの山に登っておいきなさい」


 見た目には十五、六にしかならない裸体の人間は、立って、歩き始めた。


 膝を上げて歩く度、二本の足に新しい川の流れがぶつかっては、ざぶざぶと洗っていた。水底の小石は丸く、足裏を決して傷つけたり、いじめたりしなかった。


その瞳には、緑色の山だけが映っていた。



おわり

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

死刑囚 谷 亜里砂 @TaniArisa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ