第20話
私の母は、世間のイメージでいう「母」らしく、私という赤子を抱え、その家から出て、友人である彼女の元へ来たのだそうです。
母が私を連れて逃げていたこと、これはかなりの驚愕でした。嘘だとしても、なぜだかそうは思えなくて、それなのに、心から疑いました。しかし彼女の、信頼できるような、保護的な印象の影が、一概に嘘だと突っぱねることを許しませんでした。
これまでの疎遠を謝る母は、家を出たいが、実家に帰ればすぐに夫に分かってしまう、少しの間でいいから泊めてほしいと、目に涙を溜めていたそうです。
夫とはもちろん、一緒に逃げた私の父のことでした。両親と住んでいた若い頃の面会者でしたが、敷地に離れがあり、そこに私たちをしばらく迎え入れることにしたのだといいます。
なぜ家を出たいのか母に聞くと、母は手に持ったマグカップを両手でそわそわと触りだし、とにかく家に居づらく、私が悪いのは分かっているけれども、家政婦のような毎日に疲れたと、光の灯らない目で、顔の面だけで笑っていたのだそうです。
彼女は一週間かけて母の話を聞きながら、父の、母に対する態度に疑問を抱いたようでした。例えば、父が仕事から帰ってくるまでに、家中の掃除をしておかなければならないのは母に課された義務の一つで、他にもたくさんの用事を抱えていました。
父は掃除にぬかりがある箇所を、時には押し入れの中の埃を示しながら、家族を大切にしていない根拠にしていたと、面会者は言いました。
掃除、これには私も覚えがありました。父と私が、いつだったか、屋根やベッドがあるような家に住んでいた時のことです。そこでは、掃除は徹底的にやらねばなりませんでした。
しかし、昨日は叱られなかった雑巾の絞り方が、今日は問題になるのです。絞りが甘いために床が濡れてしまっていて、滑ってケガをすると父は言い、別の日には実際に滑って、頭を打ちました。
起きない父のそばで、いつまでも泣き、謝りました。どうすれば父の命を救うことが出来るか考えに考え、ついに人を呼んでこようとした、その時でした。
父は目をしばたたかせて意識を取り戻し、「ほら、だから言っただろう」と私の頭をなでるのでした。この展開は、その後も何度かありました。
きっと私の母にも、似たようなことが起こっていたのかもしれないと、でもそうなると、この面会者の話に真実が含まれていることになります。この疑問の本質が何なのか、考えは欠片のようで、どこにも留まりませんでした。
私の母は、古い友人に連絡することも、家族に連絡することも控えていたのでした。それが父に分かれば、結婚前の生活ばかりに目をやって、新しい家族との時間を大切にしていない、家事をおろそかにしていると解釈されるためでした。
円満な家族関係のために、母は掃除をはじめとする家事に徹していて、それでも増大していく要求についに耐えられなくなり、私を抱えて逃げ出したというわけでした。
彼女の元へ、母と小さな私が転がり込んで一カ月、その間、父に連絡すべきか悩む母を、彼女は何度も説得したそうですが、父がどこからともなく現れて、私を連れていったのだそうです。
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