粉末ステーキ

[ベチャ]


壊れた宇宙船。


…の床についた、べっとりとした液体。

それは先程まで、白くうねうねとした"何か"だった。


煙の登る銃口の先にそれを見た、

少し近未来的な宇宙服を着た、

人型の人間は、眉をひそめてフェイスシールド越しに口を覆った。


母星で見た、嫌悪を感じさせたものと似たものを感じたのか、はたまた単なる体調不良か。


人型の人間の周りには、"人型だった"人間の残骸が散らばっている。


その宇宙船は、少し近未来な宇宙服を着た…彼が、何にも掴まらずに立っていられるほど床が安定した状態で不時着していた。


そのため機体の外傷もほとんど無かった。

彼は運転していたであろう人に心の中で感謝した。


だがそれでも不時着してしまったのは、

恐らく目の前の白くうねうねしていたものが原因だろう。


宇宙では何が起こるか分からない。


一通りの宇宙船内の"脅威"を除外した彼は、

周りを散策し始めた。


今いる場所は、かつてこの宇宙船に居た人間の個室だったようで、それぞれの部屋には机や椅子、棚のようなものが置いてあった。


「重力制御機能付きか」


別に珍しくもない機能だが、連日見てきた宇宙船には付いてなかったのか、彼はくぐもった独り言を漏らした。


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


「…おっ、」


またくぐもった声を漏らした彼の表情は、

これまでの中では少し明るかった。


彼は今、食料庫に居る。少し傾いた床で、何とか棚の上に留まっていた箱を、彼は見つけたようだ。


棚から落ちてしまっている箱もあったが、食料はひとつも駄目になっていなかった。これで何ヶ月かはもつ。彼は運転していたであろう人に心の中で感謝した。


箱に書かれている言葉は、

"粉末ステーキ"


どこの言語なのかは不明だが、少し近未来な宇宙服は、そこまで翻訳してくれるようだ。


他にも箱はあったが、彼は今一番それに惹かれているらしい。一直線にその箱の前に行くと、ひと袋だけ、その箱から取り出した。


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


[ゴボボボボボボボ]


給水室で、くぐもったその音だけが辺りに響く。


<検査結果:溜飲可能>


そこらへんの容器に入れたその液体の、その表示を見て彼は小さくガッツポーズをする。


そして先程の箱から拾った"粉末ステーキ"の袋の裏面を見て、中に液体を注ぐ。


直ぐにその袋は膨らみ、数秒待つと[プシュウウ]という音と共に少し萎んだ。


その瞬間に彼は袋を開けた。待ちきれなかったのか。


そこにあったのは熱々で今にも肉汁が溢れ出しそうなステーキ…


ではなく、ディストピア飯とかでよく見るようなペースト状の茶色いやつだった。


「……まぁ"粉末"ステーキだしなぁ…」


彼は少ししょんぼりした表情をしてそう呟いている。


だがまだ"少し"しかしょんぼりしていないのは味に期待しているからだろう。


<検査結果:呼吸可能>


その表示を見た彼は、ヘルメットのフェイスシールドを上げる。

髪は黒で短かく、黒い両目の下には濃い隈、左目の真下にホクロがあった。顔は宇宙飛行士にしては少し幼く見える。


ポケットからナイフとフォークのようなものを取り出す。その姿勢には形だけでもステーキとして味わいたいというせめてもの抵抗が垣間見えた。


左手のナイフで切りだし、右手のフォークで刺して口元に運ぶ。かつて住んでいた星でのステーキの食べ方を、うろ覚えでやってみる。やり方はあっているのかも分からない。もう確認する術もない。


『美味しいかい?』


不意に、背後からしわがれた声が聞こえた。


彼は口元に運んだが、口には入れなかった食べ物ごと、急いで食器を置き、振り向きながら立って、前方に銃口を向けた。


『あぁ…驚かせるつもりはなかったんだ。すまないねぇ。』


銃口を向けた先には、

老人が、壁に寄りかかって座り込んでいた。

両手を肩ぐらいの位置に上げている。

敵意は無さそうだ。


「…!?」


彼は困惑した。物凄く。

今までに会話できる状態で生存していた人間が他にいただろうか。


彼の記憶に残っている生存していた人間は、

もう手遅れな状況で、

自分には聞き取れないような大きさでボソボソと空虚を見る目で呟いて、

しばらくしてこと切れた者しかいなかった。


とりあえずヘルメットのフェイスシールドを降ろす。こういう場合はだいたい怪物だ。このように完璧な人型だった場合は初めてだが。


『…まぁそう警戒するのも無理のない話だ。若い頃の私でもそうしてただろうね。』


老人は話を続ける。


『そうだなぁ…少し、話をさせてくれないか。老人というものは昔話が好きでねぇ。』


彼は、凄く迷った。

老人が凄く人間らしい、というのもあるが、話し相手に飢えていたのだ。彼は。


『私も、もうそう長くない…見えるだろう?私の足が。』


座り込んでいる老人の右足は、太ももの辺りでちぎれていて、ドクドクと血が溢れ出している。


「…まぁ、少しくらいなら。」


自分は銃口を向けているし、相手は怪我もしている。こんな状況で、相手がもし怪物だったとしても、自分に勝てるはずがない。


彼はそう判断して、そう答えた。


『ああ…ありがとう。』


その返事に老人は嬉しそうな笑顔を向ける。

人の良さそうな、ふにゃっとした笑顔だった。


「…」


それに銃口を向けることがなんだか後ろめたくなって、彼は銃口を下ろした。


『そうだねぇ…何から話そうか。』


老人には話したいことが沢山あるようだった。

だがその間にも血は止まることなく流れている。


「なぁ、でもその前に、止血をした方がいいんじゃないか?」


『止血?あぁ。止血ねぇ。懐かしい響きだ。

…でも、いいよ。もうこんな老いぼれだ。少しだけ話せればそれでいいんだ。』


老人は呑気にそう返す。


「だが…」


『いいんだよ。本当に。これ以上生きていても仕方ないんだ。もう私は皆に会いたい。』


「……そうか…」


老人はそう言って、遠くを見て静かに微笑んだので。


彼は止血を諦めた。


『じゃあ、そうだ。君の名前を聞こうかな。』


「…」


てっきり自分語りのみをするのかと思っていた彼は、少し戸惑った。だが、老人の最後の会話だし、何より自分の名前を隠す必要もなかった。


「ユ、タ…だ。」


"ユタ"。

発そうとしたその名前。

もう何年呼ばれていないのだろうか。

それを発音するのが、少し照れくさくなって、少し言葉に詰まってしまった。


『おぉ。悠太というのかぁ。私の息子と同じ名前だよ。』


それが原因か。彼の名前は聞き間違えられてしまった。


「い、いや、ゆ、ユタ…だ」


『悠太だろう?2度も言わなくてもよく聞こえているよ。幸い、耳は遠くなってなくてね。』


何年かぶりに名前を呼ばれるチャンスだった。

彼は訂正を試みたが、これ以上老人の時間を奪う訳にも、老人の耳への自信を無くさせる訳にもいかない。


「あ、え、えっと…はい…」


そう自分に言い聞かせた彼は、何年かぶりに名前を呼ばれるチャンスを逃した。


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


〜でねぇ。私は〜で…』


ユタは開始5分から既に疲れていた。

話したいとは思っていた彼だが、

もともとコミュ障だったのと、

何年も誰とも話していなかったことが

絶妙なバランスで組み合わさり、


なんかすごいことになって、

なんと、耳の言語処理能力も落ちていたのだ。


それとは相反し、ヘルメットに取り付けられた自動翻訳装置は、何年経っても精度は劣らず、老人の話を正確に翻訳し続けている。


ユタは、老人は自分の孫と宇宙旅行に来て、そこでこのようになってしまった事は、そこまでは、辛うじて理解した。


だがその後の孫との思い出話を理解する余力は残っていなかった。


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


ーと言われてね。時代の流れを感じたんだよ。』


あ、あとどれ位、話すことがあるのだろうか…


「……そ、s、そうなのか…」


やっとのことで一言、そのような返事を返せたユタは、老人が来た星の、高齢者の健康寿命が気になり始めた。

足の血は止まる様子がなかった。

出血は大丈夫なのだろうかと、

ユタは老人の表情を見た。


〜で、〜でなぁ。』



懐かしそうな目だった。

きっと、老人は思い出の話をしながら、

自分の言う"あの頃"に戻っているのだろう。


「…(ああ、)」


ユタは羨ましいと思った。

自分も、思い出の話をすれば"あの頃"に戻れるのだろうか。


『悠太くんも話したいかい?』


不意にそう言われたユタはビクッとして老人の方を見た。なんでわかったのか、そちらの星ではテレパシーでも使えるのかと困惑した。


『はっはっは。歳をとると感覚が鋭くなるんだよ。私が話してばかりで退屈させてしまったようだったしね。』


「え、あ、い、いやそんなことは…」


そこまで見透かされていたとは…


『ああ、もちろん話したければでいいよ。私は悠太くんの、君の話も聞いてみたいけどねぇ。』


「話…か?僕の…?」


『ああ。そうだとも。』


老人は変わらず人の良さそうに微笑み、こちらを見つめている。


「えっと…」


羨ましいとは思っていたが、

いざ話すとなると頭が真っ白になる。


「ぼ、僕は…」


銃を持っている手に視線を降ろして、

少しの間、

ユタは一生懸命記憶を探って、

それを頭の中である程度言葉にした。


息を吸う。


視線を上げる。


一瞬の動作であったが、ユタにはそれがとても長く感じられた。


老人の方に向き直ったその時だった。


ユタは、老人は変わらず人の良さそうに微笑んでくれていると思っていた。


『伏せろ!』


その声で咄嗟にその場にしゃがむ。背後から壁が砕け散る音が聞こえる。


老人は、


老人は。


人型ではなくなっていた。


『あぁ…すまない…こんなつもりではなかったんだ…慢心していたんだ…』


老人の四肢と胴体は変形して尋常じゃないほどに腫れ上がり、切断された足からはぶよぶよとした肉のようなものが飛び出している。


それが壁を破壊したことは一目瞭然だった。


(ああ。)


ユタは、老人がいくら出血していても元気そうに話せていた理由がわかった気がした。

恐らくその星の住民の生命力が格別に強かった訳ではない。


("あれ"の仕業か…)


最後に撃った、白くうねうねしていた"何か"宇宙に寄生虫がいることはもう珍しいことではない。それに寄生されたものは、生命力が格段に強くなる。


その代わりに自我は無くなるが。


今の老人の形状は、"人型だった"人間とよく似ていた。


「…」


ユタは、それに銃口を向ける。

"老人だったもの"は、腫れ上がった四肢で床を、壁を、天井を這ってユタに襲いかかる。


[バァン]


その銃声は、老人の1番腫れ上がったを撃ち抜いた。


[ベチャ]


老人の血と共に、ズルズルと銃創から白い塊が落ちる音がした。


その音と共に腫れた所が萎んだ老人は、その場に倒れ込んで血を吐いた。


『本当にすまなかった…本当に…本当に…』


老人は顔をくしゃくしゃにして、涙を流しながら謝罪の言葉を繰り返している。


しばらく繰り返したあと、しばらく沈黙して。


『…でも、最後に私を人殺しにしないでいてくれて、本当にありがとう…ありがとうね…』


老人は少しくしゃくしゃの顔を、頬を緩めてそう言った。


「で、その孫と、次はどこに行くんだ?」


ユタは隣に座って、

でもその顔は見ないで、そう尋ねた。


『…あぁ。君は…本当に優しいね…そうだね…この旅行の続きをしよう…今度は…家族皆で…』


「…次は、殺虫剤を忘れないことだな」


『ああ。もちろんだとも。何本でも持っていこう。』






老人は、






微笑んだ。







微笑んで、






それから、








それからは、









もう、二度と、目を開けなかった。










人の良さそうな、ふにゃっとした笑顔だった。


「…」


自分にも、自分にも祖父が居たら、このように話してくれていたのだろうか。


あの日、あの時、自分以外でも生き残っている人が居たのなら、このように話せたのだろうか。


答えの出ない問いが頭から離れないまま立ち上がったユタは、そのまま立ち尽くした。


暫くして、そして決心がついたのか、

ユタはその死体に目をやった。

死体のすぐ近くには、赤く染まった、散らばった画用紙が落ちていた。


少し折り目のついた画用紙は、よく折り目をつけていなかったのか開いていた。


その中の1枚の画用紙には、

真ん中には3歳くらいの小さな女の子、

左上には微笑んでいる女性の老人の顔、

そして右にも微笑んでいる男性の老人の絵が描いてあった。


妙に上手いが、それぞれの人物の上にガタガタの文字がある。

流石にこの文字は翻訳出来ないのだろうが、

左から順に"おばあちゃん"、"わたし"、"おじいちゃん"とでも書いてあることは容易に想像できた。これがこの星の3歳児のレベルなのかもしれない。


他の1枚の画用紙は縦に使われていて、

何らかの文字がガタガタに書いてあって、

その下の余白には宇宙旅行を楽しんでいるような2人と、1人がそれを見守っているような絵があった。


文字は読めなくても、絵の内容からこの旅行を楽しみにしていたことは容易に、容易に想像出来た。


他にも画用紙は沢山あったが、

ユタは目を逸らした。


もう見る気にはならなかった。…なれなかった。


彼らは何も悪くない。そして自分も。

それは分かっている。分かっている。


今まで不時着した人々も。


それは分かっている。


分かっているんだ。


「…はぁ……」


ユタはくぐもったため息を漏らした。


そして逸らした視線の先に、先程まで食べようとしていた食料を見つけた。


これからやることはまだまだ沢山ある。

この宇宙船には恐らくまだ沢山の資材がある。


ユタは、運転手に感謝してそれらを集めなければならない。


そのためには、意地でも体力をつけなければならない。


幸いなことに、今回はステーキを見つけられた。

見た目は"粉末"ステーキらしかったが、

味はステーキであるに違いない。


少なくとも今のユタは、そう思い込むことしか出来なかった。


フォークに刺している"ステーキ"の切れ端を口に運んで、よく咀嚼する。


しばらく咀嚼して、

それから飲み込んだユタはため息をついた。



そして、








「……"粉末"ステーキだしなぁ…」



そして、ものすごくしょんぼりした。

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