ずっと、貴方の傍で。

ボロボロで修理の跡が目立つ木製の家。

そのベッドに横になっている薬剤師の師匠は、

体を起こしてポーションを飲んでいる。



「はは、ひっでぇ味。」


口を拭った師匠は、そう言って咳き込んだ。











師匠が飲んだのは、僕の作ったポーションだ。


今回はちゃんと自分で材料から探して作ったのに、その感想は流石に酷い。




言い返そうと思ったけど、




「…」



やめた。







もう師匠は眠ってしまったみたいだったから。







『おやすみなさい。師匠。』


師匠の寝息が聞こえる。






せめて、安らかに眠って欲しい。


そう思った。








[ガンガンガン]




窓の外が騒がしい。




赤い月に、カラスの鳴く声。


パチパチと木の燃える音。


昨日雨が降ったからか、

パチンと大きな音が何度も聞こえる。


湿った木でも燃えるには燃えるのか。


煙が天井を覆っている。喉が痛い。




『…』



師匠の方に視線を戻す。

師匠の眠っているベッドの隣に、少し隙間がある。



『…今日くらい、一緒に寝てもいいですよね』


「…」


師匠の隣に寝そべって。


継ぎ接ぎだらけの毛布を被った。



師匠と寝るのはいつぶりだろう。


昔は余裕で入れたのに、今ではギュウギュウ詰めだ。






《ザァザァとした雨の音。ビュービューと風が窓の隙間から入ってくる音が聞こえる。》


ゴオゴオとした音。メキメキと音を立てて何かが崩れるような音が聞こえる。




《天井のシミが人の顔に見える。》


もう天井をすっかり覆ってしまった煙が、

ぐにゃぐにゃに歪んで見える。





《フクロウの声。狼の遠吠え。布団を被ってるのに寒い。》


外が騒がしい。暑い。





《心臓がドキドキして、今にも張り裂けてしまいそう。》


心臓がドキドキする。煙で頭がくらくらする。







《怖い。寂しい。》





《師匠にぎゅっと抱きつく。》


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


「…なんだよ。また眠れないのか?」


師匠はまだ起きていたようで、僕に気づいた。


『あ…師匠…えっと、あ、あの』


「…しょうがねぇなぁ。」


師匠は少し間を空けたけど、そのあと少し照れくさそうにそう言って、僕の背中に大きな手をのせた。


『えへへ…あったかい。』


  布団の中も、師匠の手も。

  それがなんだか嬉しくて、

  気づけば何を怖がっていたのかも忘れていた。


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈




ぎゅっと握る。







師匠の手を。




強く。







さっきよりも、強く。






……






『…冷たいなぁ。』


布団の中も、…






外は暑いのに。


目も、目尻をつたう水滴も熱いのに。





師匠はもう僕には気づいてくれない。





……怖い。寂しい。





強く握れば握るほど、それは増していくばかりで。



頬をつたう熱い液体は、拭っても拭っても止まらない。





ああ。


…はは、僕は何も変わってないなぁ。あの時と。




"あの時"はもう戻らないのに。




湿っていた壁にも、もう火が広がっている。



僕も、もう寝ようと

もうひと瓶のポーションを手に取った。




瞬間、





[ゴシャァ]






壁の壊れる音と熱気が一斉に、部屋に入ってきた。




ああ、思っていたよりもずっと早かった。


もっと早く飲んでいればよかった。






"おい!居たぞ!"



バチバチと、ゴウゴウと燃え上がる炎の音の中でもはっきり聞き取れるほどの、その声は生き生きとしていた。


"本当か!"


その声に応じて大勢の人がゾロゾロと入ってきた。


彼らの手に持っている槍が火に照らされて、

刃についたべっとりとした赤色が目立っている。



でも、


それよりも。


彼らの輝く目の方が。


ギラギラと炎を移してこっちを見ている目の方が。


ずっとずっと目立っていた。



…なんだ。彼らの方がよっぽど"魔女"という名に相応しいじゃないか。



こんな奴らに師匠を殺されるのか。

この"魔女狩り"を自称する"魔女"達に。


僕が変わらなかったから。


変わってしまった世界に殺されるのか。

師匠は。



ああ





ああ

















そんなの、









そんなの許さない。


















ベッドの横にはまだポーションを作った時に使った道具が転がっている。


その中に草を切る用になっていた刃物がある。





師匠。



僕は師匠に救われました。



だから、



今度は僕が救う番です。






刃物を握る。息を吸う。煙が肺に刺さる。

吸い込みすぎた空気で頭がグルグルする。

だがそんなことはどうだっていい。



目の前の敵を殺す。牙を向いた世界に歯向かう。




刃の部分を相手に向けて、


持ち手の部分を握りしめる。



目の前の魔女達は此方が抵抗するとは思っていなかったのか、少したじろいだが、"魔女のくせに生意気だ"とでも言うように、何本もの槍を僕の方に向けてきた。



魔女はそっちだろ。



僕はナイフを構えた。


一番最初に入ってきた、魔女の方へ走った。


そして、心臓を目掛けてそれを思い切り突き刺した。






[グサッ]





血肉が裂ける音。


液体が飛び散る音。


液体が床にドロドロ落ちていく音。



赤褐色の液体。



懐かしい感触。





焦げた煙の匂いに混ざる鉄の匂い。



頬に槍が掠れた。

刺すような痛みを感じる。





[ドクン]






心臓が大きく跳ねた



刺されたように、痛い。




煙で朦朧とした、頭が














目の前の、


自分が刺した相手






槍が刺された相手












『…師匠?』



師匠を。目の前の光景を否定している。




師匠の身体に


背中に槍を何本も刺されている


その体に自分もナイフを刺している





ああ




あああああああ






[ドクン]








再び跳ねた心臓が、


刺されたように痛い。








なんで





なんで、なんで師匠が




師匠を、師匠を、僕は、








耳の中で、


頭の中で、


今までに聞いたこともない、

今までで一番高い音が響いて、


視界が歪んで、


視界が暗くなって、


床に立っている感覚がなくなって、













僕は、











刺してしまったのか









師匠が、大きく咳き込み、血を吐いた。


僕は咄嗟にナイフを抜いた。









槍が抜かれた。


槍が、ナイフが抜かれたところから、


血がぼたぼたと落ちる。


床が真っ赤に染る。



師匠はもっと大きく咳き込んで、


もっと多くの血を吐いて、


膝をついた。


両手で肩を支えたけど、


それでも師匠は重くって、


前に倒れ込む師匠を体で支えるしかなかった。


師匠の心音が、


だんだん弱くなっていく鼓動が、聞こえる。



師匠はその後も咳き込んでいて、


生ぬるい液体が、


肩に、胸に、お腹に、


染み込んでいくのをを感じた。



師匠の体で見えなかった彼らの表情が見えた。


それは、驚いたように固まっていた。



"おい今の見たか?!"


"信じらんねぇwww"



でも口々に皆がそんなことを言い出して、


大声を上げて笑い始めた。





意味がわからない。


"訳分からんおっさんのおかげで命拾いしたわwwww"


なんで。


"良かったな小僧!生きられる時間が数秒伸びてwww"


なんでこいつらを庇った。


師匠を殺そうとした、


殺した奴らを。


"魔女"なんかを。




耳鳴りが、


おかしかった視界が、


感覚が治まってきた。



"こんな奴今まで居たか?wwww"

"いてたまるかよこんな奴wwww"


奴らは余程おかしかったのか

腹を抱えて笑いあって、何か言いあっている。




今なら殺れる。



ナイフを再び手に取る。


真っ赤になった刃の部分を相手に向けて。


赤黒い持ち手をぐっと握って。






「なぁ」



左から掠れた声がした。とても小さい声だったのに、全身がビクッとした。


聞こえなくなっていく心音。


もう師匠は助からないのだろう。


そんなことはわかってる。けど、


このままで終わりたくはない。



『師匠、僕、行ってきますね』



僕は優しく語りかけた。




「お前の作るポーションは、すげぇよ」


絞り出したような、弱々しくて、掠れた声。



動こうとした体が、また固まってしまった。


初めてそんなことを言われた。


『なんで今、そんな、』


いつも酷評ばっかりだったのに。



「全く、痛みを、感じねぇんだ」


早く、


彼らが気づく前に、


早く行かないと、


殺さないと、


師匠が、




師匠が咳き込む。背中に生ぬるい液体が流れる。



『もうそれ以上、喋らないでください、』


それ以上喋ったら、


血が、



僕が、









「お前は、立派な、ポーション屋に、なれる」


師匠は、独り言のように、

僕の言葉を無視して喋り続ける。



師匠、


師匠、


お願いだから



「だが、ポーション屋、てのはな、人を、治す、薬を、売る所、だ」



だから、


だからなんだよ。


そんなの、もうとっくに知ってるよ。



「だからな、傷つけては、いけないんだ、」



知ってる。



知ってる。



だってそれは、







┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈




今よりずっと綺麗な、森の中のポーション屋の中で、1人の男性が僕にこう質問した。


「ポーション屋になりたいのか?」



僕は頷いた。



「…だから、こんなことをするのか?」


僕は頷いた。



血のついた金貨を見て、彼はため息をついた。



「いいか?お前は立派なポーション屋にはなれる。」


『ほ、ほんと?』

嬉しかった。今まで、そんなことを言われたことはなかったから。


「だがポーション屋ってのはな、人を治す薬を売る所だ。」


『そんなの知ってるよ。』

ポーション屋になって、今の自分とは変わって、みんなを救いたい。


「だからな、傷つけてはいけないんだ。

傷つける奴らと同じになるな。」


『え』

僕が、傷つける奴と、同じ…?


自分の手を見た。

真っ赤だった。


あ、そういえばあいつらの手も、真っ赤だったっけ。


『あ…ああ…』


同じになってしまったのか。僕は。


材料が買えなきゃ、ポーション屋にはなれないのに。


みんなを救えないのに。


ああ、これじゃあポーション屋になれない。


変わりたかったのに。





急に背中をドンと押された。


「今からでも変われるさ。」

気づくと彼は隣に来ていた。ニッと歯を見せて笑う首には、十字の傷跡がついている。


『…でも、どうやって、』


「買わなくても良い方法があるんだよ。」


『そうなの?』


「ああそうだ。だが人を傷つけるような奴には教えられねぇな。」


『約束するよ!僕、もう絶対誰も傷つけない!』


「ああ。約束だぞ。じゃあついてこい。」


小首を傾げる僕に背中を向けて、手招きをした彼に、僕はついて行くことにした。





┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈



ああ



すっかり忘れていた。



僕は、ポーション屋になりたかったのに。



初めて会った時にそう約束していたのに。





ごめんなさい





ごめんなさい




師匠










『ごめんなさい…』








[カラン]






ナイフが落ちた。



バチバチとゴウゴウと燃えている炎の音はもうすぐそこまで来ている。



大笑いしていた人達も、ナイフの音に気づいたのか、こちらに向き直って、また槍を構えている。






でも、




もういい。




約束したんだ。




僕は師匠の傍から離れたくない。




僕は師匠をゆっくり抱きしめた。



「なんだよ、眠れ、ないのか、?」


師匠は更に冷たくなっている。


師匠は虚ろな目をしている。


もう僕の声なんて聞こえないだろう。




抱きしめた師匠の温もりは、まだ微かに残っている。



ポーション屋には、


なれなかったけど、


少しは変われただろうか。


僕は。




でも、この気持ちは、ずっと変わらない。



『師匠。次も僕は、師匠の弟子になりたいです。』


聞こえなくてもいい。



「しょうがねぇ、なぁ。」


気づけば、もう忘れていた。


どうして寂しいと思っていたのかも、燃える木のことも、魔女狩りのことも。










『…えへへ、あったかい』

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