変わる関係性と終幕

「すみません。俺はクズです」


「いきなり何!!?」


 放課後、誰もいない教室で。窓から射し込む茜に照らされた三人に向かって開口一番に謝れば、楓真は動揺を露わにした。


 感情が先行して、どうも論理的に話すことができない。ぐるぐる回る憂慮と罪悪感をなんとかおさえつけて、何事かと困惑している彼らの顔を見据えようとして──それが無理なことを思い出し、視線を僅かに伏せた。


「ぎこちなくなってたのは、すみません。……皆さんの顔が、見れなくなってしまって」


「嫌ってるわけじゃないよね……?」


 手を払うようにしてしまった優真さんが、か細い声で聞いてくる。どうやら──かなり勘違いをさせてしまったようだ。あんな反応をすれば当然だろうが。


「いやっそれは本当に違います!! ただ──」


 ただ。言葉を切り、胸を押さえる。


「なんか、心臓がバクバクしちゃって、いつも通りがわからなくなって。普通に接することも、できなくて……」


 訥々と紡いでいく。まとまった文章を組み立てることもできなくて、聞いている彼らからすれば理解もしづらかっただろう。しかし俺の言いたいことを読み取ってくれたのか、皆一様に目を丸くしてこちらを見つめていた。


「……一応聞きますが、僕たちが怖くて──では、ないですよね」


 陽真くんの言葉に、こくりと頷く。確かにそういう時期もあったが、もうそれは昔の話だ。

 優真さんがぽかんと口を開けて、え、と声を発した。


「それって、」


 答えは既に出ているようなものだった。だが、問われれば、答えるしかなくて。

 息をひとつ吸って、声を絞り出す。友人関係を切られるだろうという覚悟とともに。



「……たぶん、好き、なんだと思います。皆さんの、ことが……」



 地面へ視線を落とす。もう、顔は見れなかった。

 沈黙が、痛い。どんな目で彼らは俺を見ているのだろう。軽蔑を含んだものだろうか。怯えを含んだものだろうか。いずれにせよ──これまで通りの関係は、もう築けない。俺が告げた言葉は、抱いた思いは、それほどに強烈なものなのだから。


 たっぷりと間を置いてから──不意に、優真さんの声が降ってきた。


「ねえ、茂部くん。俺たちも伝えたいことがあるんだ」


「……は、い」


 ああ。何を言われても、仕方がない。二度と弟と自分に近づくな、とか。気持ちが悪い、とか。わかっているのだ。兄弟想いの優真さんのことだから。

 滲みそうになる涙がうざったい。どれほど情けない人間なのだろう。



「ああ……どうしよう、緊張しちゃうな。そっか、こんなに怖いんだ」


「あはは。俺も緊張してる」


「勇気を出せ……頑張れ、僕……!」



 ……なんだろう。思っていた反応では、ないのかもしれない。想像とのギャップに強い違和感が生まれる。予想よりものんびりとした彼らの調子に、思わず視線を上げた。息を飲む。


 彼らの目は、どこまでも柔らかく優しい色が浮かんでいて。だが──同時に、真剣な表情だったから。


「俺、君のことが好きなんだ。ずっと可愛くて、目が離せないから。……俺でよければ、茂部くんの隣にいさせてくれないかな」


「俺みたいな抜けてる奴を支えてくれる、優しい君が大好きだよ。初めて会ったときから好きだった。俺と付き合ってくれる?」


「……貴方に頼ってもらえるだけの人間じゃ、足りないんです。茂部さんの中の一番になりたい。……貴方が、好きなんです!」


 三人から告げられた言葉を、理解できない。


 今、なんて言った?


「え、あ…………へ?」


「俺たちも、気持ちは同じってことだよ」


「……二度は言わせないでください」


「あはは。頑張ったねー、陽真」


 いつも通りの様子で、楓真が陽真くんの頭を撫でる。不服そうな表情のまま、陽真くんはされるがままになっていた。その顔は、夕焼けのせいだけではなく紅潮している。


 ぽかんと呆けた面の俺に、楓真はくす、と手をあてて笑った。


「兄さんたちが好きっていうのは、なんとなく察してたよ。あんな可愛い顔してたんだから」


 あんな、というのは──恐らく、少し前の、自室での話だろう。『ずるいな』と、不貞腐れたように楓真が漏らした記憶が呼び起こされる。


「……この前、楓真の部屋で勉強してたとき?」


「うん。俺が茂部くんを押し倒したときの」


「待って、なにそれ」


「押し……押し倒した……!?」


 ふたりの動揺を気にも留めず、楓真はにっこりと笑った。


「でも俺も好きになってくれたなんて……えへへ、嬉しいなぁ」


 そうだ。俺は──誰かひとりではなく、皆を好きになってしまったのだ。事実が重くのしかかる。罪悪感で心がずんと沈んだ。


「……そうだ。最低だ、俺。誰かひとりなんて、選べなくて……クズにも程がある、こんなの……」


「言い過ぎじゃない!?」


「だっ、て、みんな大好きで……うゔ~……」


 情けなさにまた泣きそうになる。陽真くんが背中を摩ってくれた。優しい。


「な、泣かないでください……! ああ、ええと、好きって言ってくれるのは、嬉しいですけど……!」


「……可愛いなあ……」


「こら」


 くしゃ、と頭を撫でられる。顔を上げれば──優真さんは幻滅することもなく、包み込むような笑みで俺を見ていた。


「あのね。俺たちは、茂部くんと一緒に居られるなら気にしないよ」


 え。

 返す言葉も思いつかず、呆然と彼らを見つめると──ふたりの弟は、こくりと頷いた。兄と同様に、口元は柔らかく弧を描いている。


「ええ。兄さんたちなら、よく知った相手ですし」


「うん! だからそんなに自分を責めないでよ、ね」


「……ありがとう……」


 暖かい。慰められていると、ぎゅ、と楓真が抱きついてきた。


「ふふ、嬉しい! 恋人同士だ、俺たち……兄さんたちが卒業しても一緒にいられるね」


 ああ、そうだ。優真さんが進学してしまえば、もう関わる機会はあまりなくなってしまうと思ったが──関係性が変わったことによって、繋がりができた。進学先は違くとも、楓真の言葉通り一緒にいられる。

 喜びが湧き上がって、口角が上がる。


「うん。優真さんと陽真くんとは、同じ大学には行けないけど……」


 そう言うと、優真さんは考え込むように顎に手を当てて。


「……ねえ、もし良ければさ。皆でルームシェア、しない?」


 突然された提案に──俺たちは湧き上がった。


「わ! なにそれ、いいね!」


「……四人でですか。楽しそうですけど……」


 ただひとり、陽真くんが眉根を寄せる。その理由を何となく察した。陽真くんのことだ、懸念点がいくつか浮かんだのだろう。確かに冷静に考えてみれば、四人で暮らせる広さ。男同士で住める物件。大学からの距離──あげればキリがないほどに問題はある。

 逡巡する陽真くんへ、安心させるように優真さんは笑った。


「大丈夫、俺が向こうに行ってある程度見繕っておくよ。何回か断られるのは覚悟でね」


 ぱちり、と華麗にウインクをする。どんな仕草も様になる人だ。俺もできる範囲で調べてみよう。彼らの力にはあまりなれないかもしれないが。



 話は一段落して──妙な沈黙が落ちる。

 少し、気恥しそうに微笑んでから。優真さんは、口を開いて俺を抱きしめた。


「だから、これからもよろしくね」


「……もう、あんな風に避けたりしないでくださいね」


 また、抱きしめられる感覚。不安げな陽真くんの様子が可愛らしくて、思わず笑いが込み上げる。


「……っあはは! もちろん、俺の方こそ……よろしくお願いします」


 ぎゅ、と楓真が腕に力を込める。


「ふふ……ずっとずっと、一緒にいようね」


「……う、うん」


 若干怖い。だけど──それ以上に、嬉しい。すれ違っていた彼ら兄弟とも、予想はできなかったが今ではこうして思いを通わせることができたのだから。大好きな相手と、共にいられるのだから。


 三人分の体温に包まれながら、俺はこれから続く温かい未来を思い描いて。その幸福に、鼻の奥がツンとした。


 ……あとは、もう少しだけ。俺からも好意を伝えられるようになりたい。


 おずおずと背中に手を回せば──三人は驚いたような顔をしてから、破顔した。

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Q.親友のブラコン兄弟から敵意を向けられています。どうすれば助かりますか? 書鈴 夏(ショベルカー) @onigirijiru

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