自覚と葛藤、それと不協和音

 楓真の部屋で起きた事件から数日。


 あの日覚えた胸の苦しさは、日に日に拍車をかけていた。楓真は普通に接してくれているのに、自分だけが普通ではない。

 自室の中、毛布を被って呻き声をあげる。


「う゛ぅ~……」


 なんだろう。すごく、苦しい。彼ら兄弟だけを相手に覚えていたはずの感情が──楓真を見ても同じものを抱くようになってしまった。それどころか、思い出すだけでこれだ。確実に悪化している。


「……調べよう……」


 スマホは悩める者の味方だ。検索エンジンを開いて、思いつく限りの検索ワードを入力する。


『友だち そばにいる 苦しい』


 自分の語彙力の無さに嫌気がさした。なんだこのアホみたいな文字列は。


 憂鬱な気持ちをそのままに、一秒とかからず画面に出てきた結果をスクロールしていく。

『苦手な友人との付き合い方』──いいや、苦手というわけではないのだ。楓真に関しては親友だと思っているし。これは違う。

『動悸、息切れは老化のサイン。早めに対処を』──不整脈、ではない。多分。まだそういう年齢でもないし。他の友人を見ても苦しくはならないし。違うことを祈る。


 ふと、スクロールしていた指が止まる。


『友人だと思っていた相手を気になりだしたら?』


 文字列になにか、ピンと来るものを覚えて。URLをクリックした。長々とした前置きを読み飛ばし、結論らしいところまでまたスクロールして──


『それは恋かもしれません! 貴方が友人だと思っていた相手を好きになって、初めは戸惑うかもしれませんが──』



「中学生か!!!!」



 文章を読むのもそこそこに、ベッドにスマホを叩きつけていた。ぼす、と間の抜けた音。


 名前がつけば、腑に落ちた。落ちてしまった。妙な胸騒ぎも、緊張も、頬の紅潮も。

 気がつかなかった。……いや、察してはいたが、目を逸らしていたのかもしれない。なんだこれ。本当に、初めて恋をした小中学生みたいじゃないか。


「……いや、ちょっとまて」


 だとすると。俺は──あの三兄弟全員に恋している、のか?

 だって、そうだろう。そんな反応が表れるのは、楓真相手だけではない。優真さんも、陽真くんにも。彼らと急接近した日から、自分はやたらとどぎまぎしていて。


「………………最低じゃん……」


 ぐでり、とベッドの上にくずおれる。

 最低だ。最悪だ。不誠実極まりない。誰かひとりに絞れるかというとそうもできない点がもっと最悪だ。


 ……もう、関わらない方がいいんじゃないのか。こんな人間は。

 そうできれば、簡単なのに。意気地無しで、臆病だからそれすら決断もできないのだ。呻き声が口から漏れる。



 ならば、せめて。明日から、少しだけ──距離を離そう。


 今の自分にできるのは、きっとそれが精一杯だ。彼らが違和感を覚えない程度に、この感情が消えることを祈りながら。

 アルバムのアプリを開く。不純な俺なんか露知らず、楽しそうに破顔する彼ら兄弟と画面越しに目が合って──また、胸が痛んだ。




 翌日。


「茂部くん、おはよう!」


 廊下を歩いていた途中。後ろからかかった、楓真の声。明るいいつも通りの挨拶に、肩が跳ねる。

 俺は壊れたブリキ人形のように──固い動作でゆっくりと振り向いた。


 いつも通り。いいか、いつも通りに挨拶をするんだ、茂部正人!


「……オハ、オハヨウ……」


「……お、おはよう? ど、どうかしたの?」


 最悪だ。もう作戦が瓦解した。

 当たり前だろう。昨日まで普通に──あの事件から少し緊張は混じってはいたものの──接していたのに、今日はろくに視線も合わせず硬い声で挨拶をしてきたのだから。

 やはり作戦自体に無理があったのかもしれない。突然そっけなく接するなんて、印象が悪いことくらいわかってはいる。わかってはいるのだ。だが、そもそも。

 どうしても、顔が見られない!!


「……いや、大丈夫……何も無い……」


「……なら、いいけど……体調悪かったら言ってね……?」


「……ありがとう」


 少しずつ、少しずつだ。最初は失敗してしまったが──適度な距離感で、彼らと関わろう。

 息をひとつ吸って、決意を改める。


「今日、一限目から体育なの嫌だね。はー……」


「……うん、わかる……」


 それからは、なんとか会話に相槌を打って。ぎこちなくなりつつも、教室まで辿り着いたのだった。


 今日は、あの兄弟にはできればクラスに来ないで欲しい。俺の一方的な都合だけれど、彼らと上手く接する自信が無いから。

 手を組んで祈る。


 しかし、その祈りは虚しく──ひとりだけならまだしも、ふたり揃って俺の前に現れてしまった。


「茂部くん、やっほー」


「ユウマサン、ハルマクン、コンニチハ」


「どうしたの!!?!?」


 ひらりと手を振った優真さん、隣の陽真くんへ声を発する。取り繕いようがないくらいには固い声色になった。

 優真さんが目を白黒させて、距離を詰めてくる。心臓がうるさい。あまりにも、近すぎる。


「……いや? どうもしないですよ?」


「どうもしないわけないでしょう! だったらなんでそんな目を逸らしてるんです!!」


 陽真くんの言葉に乾いた笑いしか出ない。クラスメイトがこちらをちらちら見てくる視線を肌で感じる。傍から見れば、有名な兄弟が声を荒らげて地味な男を取り囲んでいる図。明らかに、異様だ。


「そうだよ、さっきから思ってたけど……なんでこっちを見てくれないの?」


 きゅる、と楓真が大きな瞳で俺を見上げる。良心が痛むのと同時に──胸が掴まれる感覚。


「……うん。せめて、目を見て欲しいな」


 茂部くん、と柔らかい声で名前を呼びながら。優真さんは、手を握る。急な接触に、また心臓が大きく跳ねた。


 やめてくれ。俺は馬鹿だから、妙な感情を抱いてしまうんだ!



「っすみません、その……離して、ください!」


「えっ」



 手を勢いよく引き抜く。あ、と我に返るのも遅く──酷く傷ついたような顔で、三人が俺を見ていた。


 しまった。最悪なことをしてしまった。

 ぶわりと、全身から汗が吹き出す。優真さんはというと──自分の手を確かめるように見てから、俺と視線を合わせ。唇を震わせながら、声を発するのだった。


「も、茂部くん……俺、なにかしちゃった……?」


「ああああいや違くて!! 何もしてないんですけど!! 俺の問題というか……!!」


「……? 茂部さんの問題って、なんですか。きちんと説明してくれないと、僕たちも納得できませんよ」


 怪訝な顔で陽真くんが問いかけて。俺は、言葉に詰まった。失言、だっただろうか。だけど、それ以外に彼らを傷つけない言い方なんて思いつかなくて。


「……茂部くん……」


 不安そうな顔で、楓真が名前を呼ぶ。俺は──覚悟を決めて、震えそうになる声を何とか発した。

 


「──放課後に、話します。今は──すみません」



 なるほど。とうとう俺は──命日が来たらしい。今度こそ本当に、嫌われる。楓真だけでなく自分たちにも妙な目を向けているとなったら、彼らは俺を軽蔑する。当たり前だ。当たり前、なんだ。

 目の奥が熱くなりそうなのを無視して、頭を軽く下げた。



 なんとかその場は納得してくれたらしい。次の授業ももうすぐ始まるのもあってだろう。重々しく頷いた三人は、それ以上言及することもなく。それぞれのクラスや、席へと戻って行ったのだった。


 渦中の俺は──最悪の想像に、込み上げてきそうなものを抑えるのに必死だった。


 ずっと友だちで、いたかったのにな。


 前に座る楓真の背中を見ながら。乱暴に目元を拭って、こんな感情など消え去ってしまえばいいのにと己を呪った。


 ***


「……もう、駄目だ……」


「……あー、ええと……兄さん。茂部さんにも事情があったみたいですし……とにかく、放課後まで待ちましょう! ほら、しゃんとして!」


「つらい……嫌われた……」


「嫌ってはないと思いますから! ああもう、教室まで連れてきますからね!」


「茂部くん……うぅ~、陽は悲しくないの……」


「はあ……僕もですよ、当たり前でしょう。その分、納得のいく説明を貰いますからね。だから兄さんも放課後までは乗り切ってください」


「……うん……」

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