小説を書いた日

青いひつじ

第1話


私は、携帯と水筒と日傘と鍵を持ってマンションの屋上に行き、リゾート地にありそうな網でできた共有の椅子に腰掛ける。ここが私の特等席だ。

平日の真っ昼間からこんな所に来る人間は私くらいで、貸し切り状態のだだっ広い屋上にでーんと王様の気分で座るのがなんとも気持ち良くて好きだ。難点といえば、晴れた日には太陽が燦燦と降り注ぎ、暖かいを通り越して暑すぎることくらいである。日傘を差し、我が物顔で座りながら、ポケットから携帯を取り出し文章を打ち始める。

 


小学生の頃、文字を読むのが苦手だった私は、読書の時間には机に落書きをして時間を潰しているような生徒だった。単純に頭が悪かったんだと思う。しかし、授業であるひとつの作品と出会い、それはショートショートと呼ばれるとても短い物語だった。とても面白かった。理屈ではなく、ただ、頭の中にでっかく"おもしろい"という文字が浮かんだ。



28歳になった私は、相変わらず短編小説ばかり読んでいる。私は自分の感覚を信じ疑わなかったので、自分には短編の物語が性に合っていると、そればかりを好んで読んだ。そういえば、人付き合いに関しても私は同じように、"初めて会った時の感覚"を異様に信じている気がする。それほどに、この謎の"感覚"というやつが私にとっては重要だった。思考の放棄だと言われてしまえば、その通りだとも思う。



30歳を目前に、これまでの人生を振り返ってみた。この年齢の人たちにありがちな行為だと思う。何を失ったのか、何を得たのかよく考えてみたが、得たものの方が多い気がして満足だった。

自慢がしたいわけではない。

失ったものが少ないというのは、私の場合、いかに自分が物事や人と交流してこなかったかという、可哀想さを表しているのだ。もともと持っているものが少ないのだから、失うものも少ないのは当然である。私は臆病なので、失うのが怖くて、あえて持たなかったという説もある。



そして25歳あたりから書いていたメモを開いた。携帯に残していたメモで、面白いと思った言い回しや、気づいたこと、思いついた物語の走り書き、キャッチーなフレーズが書かれていて、それはかなりの量になっていた。

私はこれらの材料をもとに、短編小説を書いてみることにした。好きなショートショート作家の短編集を読み、文体を似せて書いてみた。

すると、ひとつの物語が完成した。900文字程度の物語だったが、考えている間は時間を忘れるほど没頭し、"楽しい"とはこういうことなのかと思った。



1年間、短編の物語を描き続けた。投稿サイトにあげると反応がもらえたりして嬉しかった。できた物語は100編を超えた。

私は満を持して"新人賞"たるものに応募してみることにした。調べると、よく耳にする賞の他にも、この世には数多く存在し、ジャンルも様々だった。短編小説の公募もいくつか見つけた。

応募要項を見てみると、何やら細かい規定があるものも多かった。"掲載・公開済みの作品は対象外"と書いてあり、SNSにあげている作品は応募不可の公募もあれば、出版してなければ、SNSでの公開はOKだよ!みたいなのもあった。

さらに"応募の際に気をつけること"を調べていくと、ルビを振ること、始まりの文字は一段下げるなど、文章を書く上での基礎の基というべき事柄が並んでいた。



自分の書いたものを照らし合わせて見てみると、何ひとつとしてできていなかった。

今まで私が書いてきたものはなんだったんだろう。思いつくままに自由に書かれた、ただの文字の集合体だったのだろうか。

私は"小説を書いてきた"と思っていた。しかしこれを見ていると、お前が書いてきたものは小説などではないと言われているような気がした。

「読んでもらうために整えるのは当然のことであろう」と言われ「はい、おっしゃるとおりです。自分はこんなことも知らなかったのですね」と私は軽く落胆した。



応募したい賞があった。

枚数制限は400字詰め換算で30枚までの、短編の公募だった。今まで2,000文字前後の物語しか書いてこなかった私にとっては挑戦だった。ずっと考えていた物語を、内容を増やして書くことにした。比喩表現を多用するのは好きではなかったけれど、あった方が読者はわかりやすいのかな?と考えて増やした。

文体を整えた、ルビや誤字脱字を何度も確認した。

完成すると、形は小説らしくなっていた。


その日が初めて、小説らしい小説を書いた日になった。


でもなぜか、達成感というよりも不思議な感覚が大きかった。きれいに整えられたこの物語は私が書いたのだが、どこか私が書いたものではないような。年季の入ったお気に入りの人形が勝手に洗濯されて、きれいになって戻ってきてしまったような。この、私のじゃない感はなんなのだろう。


しかし、たしかに今日は小説を書いた日になったと思う。


楽しかったかは別として。




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