短歌・俳句とピッチアクセント
森下 巻々
(全)
僕は、YouTubeで外国出身の人が出ている動画や英語学習に関係する動画等を見ることがある。
しばしば目にするのが、日本語は「ピッチアクセント」であるという話題である。
英語は、「ストレスアクセント」である。
或る日本語学習の動画(英語動画)では、「Melody」やその「Pattern」という言葉を使って、日本語の単語の性質を説明しているようであった(*)。
それで想起したのが、短歌や俳句である。
何故、こんなに短いのに詩として成立しているのかという、理由(或いは魅力)の一つに気づけたような気がして、はっとした。
日本語が「ピッチアクセント」であるがために、短歌や俳句には、背景にメロディーが付き纏っているのではないだろうか。
いや、冷静になってみると、そんなことは当たり前な気がしてくるが、あたりまえ過ぎて、指摘されていないのではないか。
それとも、大学で文学研究しているような人たちの間では、短歌・俳句とピッチアクセントの関係は基礎的な議論として共有されているのだろうか。僕が知らないだけなのだろうか。
*「Why you can't hear Japanese pitch accent」(Matt vs Japan)
短歌・俳句とピッチアクセント 森下 巻々 @kankan740
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
同じコレクションの次の小説
関連小説
六〇〇字のあとさき/森下 巻々
★32 エッセイ・ノンフィクション 連載中 62話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます