短歌・俳句とピッチアクセント

森下 巻々

(全)

 僕は、YouTubeで外国出身の人が出ている動画や英語学習に関係する動画等を見ることがある。

 しばしば目にするのが、日本語は「ピッチアクセント」であるという話題である。

 英語は、「ストレスアクセント」である。

 或る日本語学習の動画(英語動画)では、「Melody」やその「Pattern」という言葉を使って、日本語の単語の性質を説明しているようであった(*)。

 それで想起したのが、短歌や俳句である。

 何故、こんなに短いのに詩として成立しているのかという、理由(或いは魅力)の一つに気づけたような気がして、はっとした。

 日本語が「ピッチアクセント」であるがために、短歌や俳句には、背景にメロディーが付き纏っているのではないだろうか。

 いや、冷静になってみると、そんなことは当たり前な気がしてくるが、あたりまえ過ぎて、指摘されていないのではないか。

 それとも、大学で文学研究しているような人たちの間では、短歌・俳句とピッチアクセントの関係は基礎的な議論として共有されているのだろうか。僕が知らないだけなのだろうか。


*「Why you can't hear Japanese pitch accent」(Matt vs Japan)

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