第3話 「別れ」
誰かの声で、フマレンは目が覚める。
「おじいちゃん、朝だよ」
ドアの方から声がした。見てみるとそこには、幼さを残しつつも、その目からは力強い意思の感じられる少年がいた。フリーゲルである。袖を肘まで捲りあげ、上下共に黒色の服を着ている。その短い髪には先刻の水浴びの時の水気が残っていた。
「大丈夫?今まではいつもきっかり同じ時間に起きていたのに、今日は少し遅かったね。体の具合はどう?」
フマレンは年老いた。フリーゲルを拾ってから早12年。もはや自力で風呂に入ることも、用を足すことも出来なくなっていた。しかしその度に何度も、フリーゲルはフマレンのことを支えてきた。
「大丈夫じゃよ。少しうたた寝してただけじゃ」
「ならいいけど……。今日は何の日か覚えてるよね?」
「はて……?なんじゃったかの」
フマレンは首を傾げて言う。もはやフマレンに、細々したことを記憶することが出来る若さはない。
フリーゲルは口を尖らせて言った。
「もう!今日は俺の誕生日だよ!12歳!昨日の夜もその話したじゃん!」
「ああ、そうじゃったそうじゃった!すまんの。最近物忘れが酷くての」
「……まあ、いいけど。最近おじいちゃんが忘れっぽいのは知ってたし。だけど、こんな大事なことまで忘れちゃったのは………」
フリーゲルは悲しい顔をして言う。フマレンはそんなフリーゲルに申し訳なく思うと同時に、愛おしさを感じた。
「すまんかったの。じゃが、安心せい。今日のためにお主にプレゼントを用意しとる」
「ほんと!?」
フリーゲルは目を輝かせてフマレンを見る。
「なになに?何くれるの?」
「それはお楽しみじゃ。楽しみに待っとれ」
「うん!」
フリーゲルはそう言うと、フマレンがベッドから降りるのを手伝った。
フマレンは杖を使い、フリーゲルの支えも借りて立つ。
(ワシももう老い先短い……)
フマレンは、もはや自らの死期がもう目前にまで迫っていることを感じていた。
(じゃが、フリーゲルが立派に育って、もはや心残りは無い)
左脇から優しく支えてくれているフリーゲルを見て、フマレンは強く思った。
フリーゲルはキョトンとした顔を向けてくる。
「どうかした?」
「いや、何にも」
「じゃあ、食事にしよう。今日の朝ごはんはロックボアーの蒸し焼きだよ!」
「おお、それは楽しみじゃ。お主の作る料理は、どれも美味しいからの。さ、食卓に連れて行ってくれ」
食事を終え、フマレンはフリーゲルが台所に食器を持っていくのを静かに見ていた。
(立派に育ちおって…。それもすべては、フォメリのおかげじゃ。あの頃は大変じゃったの…)
フマレンがフォメリとパリックに長く叱責された後、フォメリが口を開いた。
「…わかりました。それでは、フリーゲルの食べ物はエクレア街に売られている粉乳で何とかしましょう。フマレン、赤子を今すぐ連れてきなさい。パリック、買いに向かいなさい。」
「俺かよ!まあ、いいけど。丁度街に買い出しに行こうと思ってたし」
パリックは頭をかいて、仕方ない、と呟いた、
「2人とも…本当に、ありがとう!!」
フマレンは深々と頭を下げた。
(それからは、本当に夢のような日々じゃった。ワシの罪は免除され、フリーゲルも自由に村を出入りできるようになった。久しく忘れていた、人の温もりに触れられた。それに、村のみんなも優しく接してくれ、ワシとフリーゲルの切った木も適正価格で買ってくれるようになった。かつての罪に、ワシは囚われすぎていたのかもしれぬ。確かにワシの罪は大きい。ソルとフィメルを殺したのはワシだ。しかし、その罪を村のみんなは許してくれた。もはやこれ以上の何がいるのだろうか)
皿洗いを終えたフリーゲルが居間に入ってきた。
「おじいちゃん、じゃあ僕は薪割りに行くよ。おじいちゃんはベッドに行って寝ようね」
「いや、今日はプレゼントを朝に渡そう」
フリーゲルは眉をひそめる。
「朝?いつもは夜とか、寝る前だったでしょ?」
「いや、今渡したいんじゃ。すまんが、ワシを倉庫に連れて行ってくれ」
フリーゲルは倉庫に入ったことがほとんどなかった。特段入ることを禁じられていた訳では無い。小さい頃に1人で入って出られなくなり、暗い中に長い間閉じ込められたトラウマから、倉庫にはできるだけ入らないようにしていた。
フリーゲルはフマレンを傍で支えながら、暖炉の脇を通り、倉庫の中に入った。
「もそっと奥に…」
さらに足を進める。元々は大所帯の家族全員の私物が入れられていた倉庫なので、一般の家にある物置に比べてかなり大きい。先に進むにつれ、どんどん暗くなっていく。冷や汗が肌に滲む。
「ど、どこまで進むの……?」
「一番奥までじゃ」
(えぇ…こわいなぁ。でも、こんな奥に置いてある贈り物ってなんなんだろう。いつもくれる贈り物はこんな感じじゃなかったのに)
「ここじゃ」
二人は足を止めた。足元がまったく見えない程の暗闇で埋め尽くされている。
「何も見えないよ?」
「こうすればよい」
そう言うと、フマレンは右肘を曲げ、手の平を上に向けた。
「フン!」
次の瞬間、手の平から光の玉が飛び出した。宙に浮いて固定され、周囲を照らしている。
「おじいちゃんって…魔法使えたの!?」
「少しな、独学で覚えたんじゃ」
フマレンは得意げに言う。
「すごい!魔法はほかの魔法使いに教わらなきゃ覚えられないって、パリック兄さんが言ってたよ!」
「お主も、頑張ればできるようになるよ。さて、プレゼントじゃが…」
フマレンは目の前にある大きな箱を開くように言った。開けてみるとそこには、手作りであろうことが伺える木剣と、手紙が1枚入っていた。
「おじいちゃん、これ……!!」
「剣が欲しいと言っておったろ。これはワシが小さい頃に作った木剣じゃ。お主にやろう」
「やったーーー!!」
フリーゲルは箱から剣を取り出すと、それを大事そうに抱えた。
「一生大事にする!」
「ハハ、気に入ってくれたなら良かった。そして…」
フマレンは箱の中から手紙を取り出す。何が書かれているのか、フリーゲル側からは見えない。
「もしワシが死んだら、この手紙を読みなさい。それでお主が何を思うか、ワシにはわからん。しかし、お主のしたいようにして良いからの」
フリーゲルは、さっきまでの高揚が嘘のように冷めていくのを感じた。確かに、もうフマレンは歳だ。手足は痩せ細り、体重もかなり減ってきている。彼の臨終が近いことは理解していたことなのに、受け止められない。
「なに、急に、いってるんだよ。もし死んだらなんて言うなよ」
フリーゲルは、自分の出生を察していた。自分の両親の話を誰に聞いてもはぐらかされたり、フマレンの妻の話も聞いたことがなかった。つまり、フマレンとフリーゲルの血の繋がりは無い。なら、本当の両親は誰なのか?8歳の頃から、フリーゲルは考えていた。誰が本当の家族なのか、自分は何者なのか。
(けど、その答えはもう決まっている。おじいちゃんが、フマレンが僕の本当の家族だ。それに、フォメルおばあちゃんとパリック兄さんも。血の繋がりなんて関係ない。血の繋がった両親が気にならないと言ったら、嘘になるけど…………)
「おじいちゃんは死なないよ」
自分に言い聞かせるかのように話す。
フマレンは困ったように笑い、真顔で言った。
「…約束じゃぞ。ワシがいなくなった時、お主はお主のしたいようにするんじゃ。わかったの」
フリーゲルは再び言い返そうとしたが、フマレンのその言葉に並々ならぬ意志を感じ、口を噤んだ。
「わかった…」
フリーゲルは泣きそうな顔になる。
フマレンは今度は満面の笑みを顔に貼り付けながら、フリーゲルを優しく撫でた。
フリーゲルは我慢できずに、フマレンに抱きついて泣いた。フマレンは、フリーゲルにとって永遠に大切な恩人であり、親であり、祖父であり、家族なのだ。
漂う魔法の光が、二人を優しく包んでいた。
数分間泣き晴らして落ち着いた後、フマレンが口を開いた。
「では、戻ろうかの」
フリーゲルは数度目を擦ると、強い眼差しで答える。
「うん。プレゼントありがとう、おじいちゃん」
フマレンとフリーゲルは出口に向かって歩き出した。
「じゃあ、早速素振りしてくるよ!!薪割りはその後でいいでしょ?」
「はっはっは、いいじゃろう。しかし、熱中しすぎては行けないよ。太陽が真上に来る頃には帰るんじゃ。」
「うん。じゃあ、いってきまーーす!」
フリーゲルが剣を片手に自分の寝室から出ていくのを、フマレンは見つめる。フマレンは感じていた。これが最後だと。これでもう、フリーゲルとはお別れだと。
ガチャ
玄関の開閉音がした。もう、会えない。もう、二人で薪を割ることも、食卓を囲むことも、他愛のない話をすることも出来ない。
不意に、頬を一粒の涙が伝っているのに気づいた。
「ワシも、涙もろくなったの」
フリーゲルのおかげで、フマレンは罪から開放された。それだけではなく、忘れていたものを思い出させてくれた。
フマレンもまた、フリーゲルのことを本物の息子、孫、家族と思っていたのだ。
半世紀以上も孤独な生活を送っていた。両親が死んでからは、より一層寂しかった。しかしそれは自らへの罰、戒めだった。
だから、12年もの長い間、罪人である自分が愛に触れられたことに、計り知れない幸福を感じていた。フマレンは、充実していた。
気づくとフマレンは、知らない場所にいた。眼前には大きくて長い川、そして此方と彼方には一面の花畑が拡がっていた。
「ここは…」
「どこかって?そんなの、決まってるじゃない。あの世よ、あの世」
フマレンは驚いて振り向く。振り向きが早すぎて、腰から鳴ってはいけない音がした。
「いった!!…くない」
腰をどれだけ回しても、痛みは感じなかった。
しかし今はそんなことどうでもいい。
前を見ると、そこにはあの頃の、村を3人で飛び出した頃と全くおなじ見た目の2人がいた。
「……久しぶり、フマル」
「久しぶりね、フマル」
ソルもフィメルも、あどけない笑顔を向けて話しかけてくる。
普通なら考えられない状況。だが、フマレンは冷静であった。まるで二人に会えるのをわかっていたかのように。
「…おう!またせたな!」
フマレンの姿もいつの間にかあの時と同じようになっていた。
幼い頃と同じメンバー、同じ服、同じ話し方で、三人は歩いていった。
ドラゴナル 最強の糸束 @saikyounoitotaba
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