第2話 「赤子」
フマレンはまず、赤子の状態を確認した。
白い布に包まれてすやすやと眠っている。まるで月のように丸みを帯びた美しい肌から、これは見間違いなどではなく本物の赤子だとわかる。
(近くには母親どころか、野生動物さえもいない。恐らく、村の誰かが捨てたのだろう。)
次に手紙を手に取って読んでみた。そこには殴り書きで
『フリーゲルを頼む』
とだけ書かれていた。
(この子の名前はフリーゲルというのか。さて、どうしたものか……)
フマレンは迷っていた。確かに状況だけを見たら、赤子は今すぐにでも村に連れていき、本当の親を探すべきだ。今日は買い出しのために村に入って良い日なので、ルールも守れる。
だが、彼はできることなら極力村に入りたくなかった。それが自分の罪に対する罰であり、身勝手な己のために死んだソルとフィメルに対する贖罪だと思っているからだ。
「オギャー、んあぁぁあ!」
(じゃあどうする?このまま赤子を見殺しにするのか?)
赤子の手のひらに指を当てる。フリーゲルはたどたどしくも、しかししっかりとその手を握り返した。
その時、何を思ったのだろうか。
気づくとフマレンは、手紙を服にしまい、赤子の入った籠を携えながら、山奥にある自分の住む小屋の前にいた。
(この子を捨てた親たちは恐らくリミル村の誰かだろう。この籠を持って村に入っても、誰にもいい顔はされないじゃろう。かと言って見捨てる訳にも行くまい。ならば、この子はワシの手で育てるしかない。もうこの子はワシの子だ)
フマレンの小屋は、ひとりで住むには大きすぎた。初めは村を追い出されて仕方なく住んだ場所であったが、元は木こりを生業とする一族の住処だったのである。彼ら彼女らは家を増やすのではなく、家を大きくしながら繁栄していった。しかしその一族にしか感染しない奇病が蔓延し、徐々に木こりは減っていった。最後の一人が息絶えた時、村は唯一の木こりを亡くしたことで木材不足に陥るかと思われた。その矢先、フマレンの不祥事により、彼の一族は木こりとして森に住まわされることとなったのだ。以来フマレンは毎日、森の木を切り倒してきた。
ドアに手をかけ、中に入る。入ると大きな部屋が広がっていた。部屋の左右の壁には次の部屋への扉があり、奥の壁の中央には暖炉があった。火はついていない。そして、部屋の中央には大きなテーブルが置かれていた。その上に籠を置いて、傍にある椅子に腰掛ける。
「フゥ……」
(さて、どうしたものか。育てると言ってもそのためにはまず食べ物、乳がいる。……そうじゃ!赤子には乳の他に、食事を細かく砕いてぬるい液体状にして与えてもと良いと聞いたことがある。衣服は村で買えば良い。家も無駄に大きいから、一人住民が増えたところでどうということは無い。あとは……)
フマレンは暖炉の横にある扉を開き、倉庫に入っていった。
その奥には木彫りの小さな、だが丁寧に作られたであろうことが伺える木の剣があった。フマレンはそれを両手で持ち上げて考える。
(ワシはあの過ちから、二度と友を持たないことを誓った。それが自分への罰だと思ったからじゃ。しかし、ソルとフィメルという友人がいなければわしの幼少期は、遊ぶことも無く冒険することもなかったじゃろう。この子……フリーゲルにはワシと同じく、いやそれ以上に幸せな幼少期、そして人生を過ごして欲しい。)
フマレンには、なぜ自分が捨て子のフリーゲルにここまでの愛情を注ごうとしているのか分からなかった。半世紀以上、人の温もりに触れることなく、ただ毎日森で木を切っていたから、人肌が恋しくなっただけなのか。それとも、親に捨てられた赤子と村から追放された自分を重ねていたのか。もはや分からない。
だが、フリーゲルを愛しく思っている。その事は確かだ。
(……今はそれで十分じゃ)
その時、剣を握った両手に、ソルとフィメルが触れた気がした。
『あの子を、よろしくね』
フマレンはハッと周りを見渡す。
その両手には、確かに温もりが残っていた。
「…………ははっ……」
頬には、もう半世紀も流れたことのなかった大粒の涙が、流れていた。
剣を元の場所に戻し、倉庫を出て今度は寝室に入った。そしておもむろにベッドの横にあるサイドボードの引き出しから、小さな袋を取り出す。中身の大きさは握りこぶし程だとうかがえるが、その重量感はズッシリと重く見える。これはフマレンの、ほぼ全財産である。
袋の口をしっかりと握りしめ、フマレンは村の方へ一目散に走った。
リミル村は、その四方を険しい山脈で囲まれているため、旅人も冒険者も来ることはほとんど無い。それゆえ宿屋も冒険施設もなかった。店も、村の周辺で耕して得る農作物を売るだけの八百屋か、森の浅いところで狩れるロックボアーの肉のみを売る肉屋しかない。あとは10軒ほどの民家だけである。
フマレンはその中で最も大きく、入口のドアに唯一暖簾がかかった家の前にいた。村長の家である。暖簾は全体的に赤を基調としたもので、真っ赤な下地にオレンジ色で農作物とロックボアーが描かれていた。
描かれていた農作物とは、この村一番の特産品であるパクパク草だ。パクパク草にはパクパクの実がなり、それを高温で蒸してできるパクという食べ物は村民全員の主食である。
来る途中、村民からは奇異の目で見られた。だが、そんなことなど構わない。フマレンはフリーゲルのために必死だった。
フマレンは深呼吸する。
(買い出し以外の目的で村に入るのは本当に久しぶりじゃ。あれからもうどれほど経ったか。 じゃが、今は不思議と落ち着いている。あの子のために、そしてアイツらのために、頑張ろう)
フマレンはドアを叩いた。
「ごめんください」
少し待つと、1人の青年がドアを開いた。彼の名はパリックと言い、フィメルの妹フォメリの孫である。
パリックはフマレンを見た時、酷く驚いた顔をした。
そして開口一番、
「すみませんが、お帰り下さい」
と言い、ドアを閉めた。
しかしフマレンは物怖じすることなく、声を張り上げた。
「買い出し以外の目的で村に入り、申し訳なかった。しかし今日は月に一度の買い出し日であります。取り決めは破られていません。また、ここには私情のみならざる理由があり参上しました、どうか戸をおあけ下さい!」
そう言うとフマレンは膝を曲げ、手の甲から肘にかけてを地面に着けて五体投地しようとした。
しかし腕が地面に触れる直前、
「なりません!!!」
フマレンの右側から怒声が聞こえた。
フォメリであった。
フマレンは村長フォメリに連れられ、家の中へと入った。
フォメリがパリックを呼ぶ。呼ばれたパリックはフマレンの姿を見るなり絶句した。
「パリックや。客人だよ。」
「ばあちゃん……。なんでこいつを家に入れてんだよ!こいつ、人殺しなんだぞ!?」
「パリック!!!」
フォメリがピシャリと言う。 パリックも、フマレンさえも、背筋をピンと伸ばした。
「……。客人に人殺しも何もありません。この方は家の前で五体投地しようとしました。あなたにもその意味は解りましょう?」
先程とは対照的に笑顔で、フォメリはパリックに言う。
「さあ、お茶を出してくださいな。私は、この方と話すことがあるのよ。」
パリックは渋々、と言った顔で返事をした。
フマレンはフォメリに連れられ居間に入る。居間には長机が置かれており、その側面で椅子が4つ向かい合い、一番奥の場所にも椅子がひとつ並べてあった。フマレンは一番奥の椅子のすぐ近くの席を勧められ、座った。フォメリは上座に座る。
「まず……」
フォメリは言う。
「なぜあのようなことをしたのですか。」
フマレンは、フォメリの言葉に怒気を感じた。
「私は村長様の、ひいてはこの村全体の協力を賜るために参りました。つ、つきましては、罪人の私が五体投地で誠意を見せるのは、と、当然でございます」
フマレンはしどろもどろしながら答えた。
「五体投地とは相手に全てを投げ打つということですよ。命も、心も相手に献上するということです。」
「私の謝意と誠意はそれほどの大きさでございます」
フォメリは、一瞬悲しそうな顔をした。
「……もう、対等な関係には戻れないのですね」
フマレンは驚く。フォメリが何を言っているのか分からなかった。しかし、何も言えないまま沈黙の時間が過ぎた。パリックがお茶を持ってくる。
「……この机はね、家族で食事をする時に使うんですよ。私の夫は亡くなりましたが、長男夫婦に子供が2人、次男夫婦にも子供が2人いるんです。いつも賑やかなんですよ。そうそう、さっきの子が次男の子供のパリックで……」
フマレンはぎこちなく愛想笑いした。
フォメルが他愛もない話をする。しかしフマレンは長年人とまともに話したことがなく、月に一度の買い出し日に店員と話すくらいであった。世間話を続ける、なんてことはフマレンにとって苦行以外の何物でもない。冷や汗をかきながらパリックの持ってきたお茶をすぐに飲み干した。
「…………。そういえば、なぜ家の前で五体投地していたのですか?」
フォメリが、先程までとは打って変わって鋭い目付きでフマレンを見据える。
「じつは、ご相談にまいりました。」
「相談??」
「その……色々あり、子供を育てることになったのです」
「子供!?」
反応したのはパリックだった。
「あんた、誰との子だよ!!どういうことだ?村のやつか?なんでお前が……」
「パリック!!」
またも、フォメリがピシャリ。
「……。詳しく、教えてくれますか?」
フマレンは事のあらましを、久しぶりの会話に緊張しながら話した。
「なるほど……」
フォメリは右手首を顎に当て、考える。
「そんなの嘘だぜ!こいつと村の誰かとの子供に決まってら!」
パリックは繰り返す。
しかしフォメリは、今度は静かに否定した。
「いえ、それは無いでしょう。この村に最近産気づいた女はいません、そもそも、こんな閉鎖的な村で誰にも知られずに子供を産んで、ましてや捨てるなんてことできるはずもありません。」
確かに、とパリックは応える。
「疑ってすまねぇな」
パリックはフマレンに謝った。
(何故か突っかかってくるけど、嫌な奴ではないんじゃな。意外に素直じゃ)
フマレンは思った。
「じゃが、それならば一体誰の子じゃろう?」
三人は考える。
「分かりません。この村のものでないなら、外部から来た者が捨てていったのかも知れません。」
フォメリが答えた。それが一番妥当な答えだと、三人の意見は一致した。
「それはそうとして、ご自身で育てるのは結構ですが、食べ物はどうするのですか?」
「パクやロックボアーの肉を混ぜぬるい液体にしたものを食べさせるつもりです。」
「だめです!!」
「だめだ!!」
二人が答える。フォメリとパリックは顔を青くしていた。
「何考えてんだよあんた!」
「そんなの赤ちゃんが食べられるわけないでしょう!?」
フマレンはたじたじになった。
「え、でも……」
フマレンはあまり問いつめられるのに慣れていない。
「とにかく、そんなの絶対にダメです!!」
「とにかく、そんなの絶対にダメだ!!」
フォメルとパリックが、三度目ピシャリと言った。
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