第1話 「1人の少年」

フマレンは幼い頃、好奇心の強い点を除けば平凡な子供だった。運動も、勉学も、全て並。

彼の生まれたリミル村は、他の多くの村や街とは違い魔物に襲われる心配が限り無く少なかった。大抵の村では堀と塀で村の防備を固める一方、リミル村には物見櫓さえないばかりか、村人たちは畑を居住区からはるかに広げ、武器も携えないでえっさほいさと耕作している。皆魔物は怖かったが、過去数百年に渡って村に魔物がやってきたことはなかったから特に気にしていなかった。だから村人たちは戦闘経験の無い者が大半だったし、武器の扱い方を知らぬ者の方が多かった。

しかしフマレンは物心着いた頃には剣に興味を示し、魔物の存在を知った時には

「魔物を狩りたい」

と両親に癇癪まで起こした。しかし魔物はリミル村から3日以上も歩いて山を超えた先にいて、何より人を食べる生き物なので、両親としてもそれを容認する訳には行かなかった。

フマレンは仕方なくそれに従った。彼の家には剣を買うお金などはなかったため、そこらに落ちてる枝を木剣として振り回す日々を送った。

彼には友人と呼べるものが二人いた。ソルとフィメルだ。ソルは内気な性格の男の子で、フィメルは活発な村長の娘であった。彼ら彼女らはその村で同じ年に生まれた幼なじみ同士である。フマレンが無茶をし、フィメルがそれに便乗し、ソルが2人を止めようとするが結局自分も巻き込まれる。そんな日常を送っていた。


そしてフマレンが12歳になったある日、事件は起きる。彼は父親が木こりに使っている斧と数日分の食料を無断で持ち出して、ソルとフィメルと一緒に山を超えて魔物を捜しに向かったのだ。


(あれがワシの人生最大の過ちであり、一生かけても償いきれない罪じゃ)

フマレンは考える。もし今時を戻して、斧を持った自分が家を出る場面に出くわしたら、たとえ子供の自分がどんな怪我をしても力ずくで止めるだろうと。

しかしもはや後の祭りである。


彼が小走りで村の出入口に向かうと、そこには既に2つの小さな人影があった。ソルとフィメルだ。

「悪ぃ、少し遅れた!」

フマレンは悪びれていないような態度で謝罪の言葉を言う。

「遅い!」

フィメルが言う。

「あんたが誘ってきたくせに、なんでアタシたちが待ってんのよ!」

「だから、ごめんって。」

「やっぱり帰ろうよ……」

そこで、震えた声でソルが割って入る。

「やっぱりダメだよ。何日も村を出るなんて。僕たちはまだ子供だし、大人の人達に事情を話してないし、何より、もし魔物に襲われでもしたら……!!」

「あんたまだそんなこと言ってんの?もう遅いわよ。アタシとフマルが言い出してやめたことなんてあった?」

フィメルが言う。

「大丈夫よ。魔物をちょっと見てみるだけだし、食料もしっかり持っていく。それにもし魔物に襲われても、フマルの持ってきた斧でこっちが相手をコテンパンにしてやれるわ!!」

「……わかったよ。でも、約束して。本当に危なくなったら、すぐ逃げるんだよ。魔物は本当に怖い生き物なんだから。」

「分かってるわよ!」

「おう、もちろん。」

ふたつの三日月が互いに向かい合うようになっているその中心に向かって、3人は歩き出した。



どれほど歩いただろうか。フマレン一行は村を出てから3度目の朝を迎えて思う。

「やっぱりもう帰ろうよー……」

ソルがもう何度言ったか分からないその言葉をまた言う。

「だから、まだ帰れないでしょ!!魔物を見てないんだから。」

フィメルがこれまた何度目か分からない返答を繰り返す。

「今帰ったらなんも収穫なしだぜ?ここまで来た苦労が無駄になっちまうよ。」

フマレンは言う。

「そもそも村に戻っちまったら、俺ら絶対に怒られるよ。お前もだぞ?ソル。」

不敵な笑みを浮かべたフマレンは、面白いものを見るような目でソルを見る。

「いいのか?」

「う……」

ソルは真面目で実直で、それでいて正義感の強い子であった。彼は親に叱られるどころか、反抗したことすらない。答えは明白だった。

「じゃー、とっとと先に行……ッ!!」

フマレンは言いかけて、口が固まる。

彼は、3人の進行方向に背を向けて、後ろ歩きで2人の前に進んでいた。彼は2人の背後にいる緑色の生物から目が離せなかった。

草木とほぼ同色のその肌は、森林地帯において隠れるのに役立つ。髪の毛はなく、その特徴的な耳と頭の形は、細長く斜め後ろに伸びている。黄色くて生き物と思えないその目からは、何を考えているのか分からない。12歳のフマレンと同程度のその身長は、一見非力なイメージを連想させるが、実際には人族の成人男性に迫るほどの力を持っている。ゴブリンだ。

(なんで、いつの間に!?いや、それより早く知らせないと!!)

フマレンは叫ぶ。

「ご、ごゴブリンだ!!うしろ、うしろ!」

これがまずかった。魔物に聞こえるように叫ぶのは、威嚇しているも同然だからだ。

2人はビクッと体を強ばらせると共に、ゆっくりと後ろをむく。その隙に、ゴブリンは自分の身長の7倍はあった距離を一気に詰めて、そして……。

「ガブるぅぁぁぁぁぁあ!!」

唾液を撒き散らしながら、フィメルに飛びかかった。

「フィメル!!」

フマレンは叫んだ。しかし、足が動かなかった。

(どうした。足を動かせ。こんな時のために斧を持ってるんじゃないのか。今すぐフィメルを助けるんだ!)

しかし、足は震えて動かない。

その時。

「うわぁぁぁあああ!」

ソルはゴブリンに横から殴りかかった。

普段温厚で、決して暴力を振るわなかったソルの行動に一瞬混乱する。しかしソルは喧嘩が強いとはお世辞にも言えない。すぐに加勢しなければ。

前に進んだ。足は動いた。

フマレンは斧を振りかぶって、ゴブリンの上に馬乗りになっているソルに叫ぶ。

「そこを退け!斧でこいつを倒す!!」

ソルは飛び退いた。

「おりゃゃあああ!」

ザシュッ!

ゴブリンの鎖骨から胸にかけてを斧が貫いた。大量の血が溢れ出す。ゴブリンは数度痙攣したが、すぐに泡を吹いて力無く横たわった。

「フゥ……。ソル、大丈夫か?お前すげえな。俺見直したぜ、お前のこと。あそこで殴り掛かる勇気があるなんて……。ソル?」

フマレンは息を切らせながらソルを見る。その目は血走っており、顔はひきつっていた。ソルはこちらを見ていなかった。フィメルの方を見ていた。

「どうしたんだ。フィメルがなん……っ!!」

フマレンはフィメルの方を見る。フィメルは泣いていた。しかしそれは感情の昂りによるものでは無いとすぐにわかった。彼女の耳に刺さっている。彼女の耳にナイフが深深と突き刺さり、恐らく脳にまで到達していた。

「…………ァ……ゥ………………」

彼女の目から光が消えた。直後、横に倒れた。

同時に後ろに佇むゴブリンが見える。


(初めから挟み撃ちされていたんじゃ。進行方向の逆側からゴブリンが来た時点でおかしかった。2匹のゴブリンが3人を見つけた後、確実に殺すために両サイドから攻める。こちらが斧を持っていたのに気づいたから、相手が子供でも念入りに行動したのじゃろう。)

今ではフマレンはそう思う。しかし当時のフマレンにそんな余裕はなかった。


(あれ、……え?ふ、フィメ…………え?)

頭が真っ白になった。何も分からない。ごちゃごちゃだ。前の緑が肩を震わせ、横から叫び声が聞こえる。

フマレンはゴブリンに殴られて気絶した。


「……ン……」

フマレンは目を開ける。

(あれ……なんで俺寝て……そうだ!フィメル!)

バッと状態を起こした。目の前にはフィメルとゴブリンの死体が横になってた。

「フィメル…………!!」

泣きそうになる。その時、声が聞こえた。

「フマ……ごぼっ!!」

横を見ると、ソルがフマレンの横に仰向けに寝ていた。口からは血を吐き、腹からは出血し、手でおさえている。

フマレンは何が何だか分からなくなった。もう嫌だ。なんでこんなことに。なんで。なんで。なんで。

「フマル……」

ソルが優しい声で言う。フマレンはハッと彼の顔を見た。とても優しい目をしていた。

「フマ……おま……いいや……つっ!ごぼ!!」

血を吐く。さっきよりも多い。フマレンは泣き叫ぶ。

「やめろ、喋るな!いま、今村に連れてってやるから、待ってろ、がまん、そう、我慢するんだ!」


(今思えば、頭が狂っていた。あの場所から村に、しかも人一人を背負って連れていくことなどは出来まい。仮に連れて行けたとしても、ソルの傷は村の治癒士が直せるレベルではなかった。)


また、頭が真っ白になってくる。

ソルが口を開く。

「やめ……ろ…………もう、間に合わ……ない」

「そんなこと言うな!!頼む……いかないで…………」

消え入りそうな声でフマレンは言う。

「お前……は、わ、わる……く、ない…………」

ソルがフマレンの手を握る。弱い。けれど、力強かった。

笑ったような気がした。刹那、ソルの手はフマレンの手から落ちた。

「ァ…………アアァァア……ゥ」

ゴブリンの突然の襲撃と、親友の2人を失った フマレンの心は瓦解していった。

「あ、アウウうぁ、」

頭がぐちゃぐちゃだ。もう何もしたくない。もう死にたい。

そう思った時。

「ッ!!おい!みんなこっちだ!子供たちがいたぞ!」


(それからのことは覚えていない。村長に家族ごと村を離れて山奥で暮らすことを言い渡され早50年。ワシは今でもあの時のことを悔やんでおる。もしもあの時、村の入口で踏みとどまれたら。もしもワシがあの時、魔物を見に行こうなんて言わなかったら。……。)


フマレンは歩く。

今日は月に1度の買い出し日。彼は毎月この日にだけ村に入って生活必需品だけ買うことが許可される。それが彼にとっての、ソルとフィメルの家族に対しての配慮であり、贖罪なのだ。

村での買い物を終えたフマレンは山奥にある自宅へと向かう。

(む……?)

「……」

なにか聞こえる。木々の擦れ合う音や鳥のざわめきでは無い。

耳をすませる。

「ォ……オギャ……」

(これは……赤子か?)

フマレンは音のする方へ歩きながら、考える。

(もし捨て子なら、おかしい。山の中とはいえここはまだ村のすぐ近くじゃから、村人がここに赤子を捨てるとは考えにくい。かと言って村の外から捨てに来るのならば、わざわざ魔物のいる地帯をぬけた先にある辺鄙な村の近くに捨てる必要は無い。)

不思議に思いつつも、音の出処に向かう。


「これは……」

フマレンは目を見張った。そこには泣きじゃくった赤子と、1枚の手紙が置かれてあった。




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