だから僕は水玉が似合う

悪本不真面目(アクモトフマジメ)

第1話

 暗いねと言われたくないから僕は水玉模様の服を着ている。三日前、大学で男女30人ぐらいで飲んでいた。僕は一つのテーブルを仲の良い4人と喋っていた。僕が何か一言いったら3人は爆笑した。その後に女性の先輩達がやってきて僕以外の3人と楽しくおしゃべりをしだした。僕は輪に入れなかったが、別にみんながワイワイしている空気は嫌いじゃなく僕は楽しんでいた。一家団欒とはかけ離れた家庭環境な僕には 珍しく温かく面白いものだったからだ。離れた席で一人飲んでいると、ワイワイ話していた内の一人の女性の先輩がやって来てこう言ってきた。

「ねぇ、君楽しんでいる?」


 僕は散歩をするのが好きだ。みんなはよく自由自由と言うが、では手始めに散歩をすればいいと思う。この後何も予定もないので好きなスピードで、好きなところまで、好きなことを考えながら前へと進む。実にポジティブだとは思わないか。

「パンダはゴリラ、ゴリラはラクダ、ラクダはサラダ、テキーラテキーラ」

こんな歌なんかうたってさ、もちろん小さな声でだ。たまに隣に人が通ると少し恥ずかしい。が、それがいい。アホなことをしていると僕は生きていると実感ができる。


 確かに僕は笑顔をしてないかもしれない。でも表情なんてただの記号だ。実際に脳科学の実験で、怒っていると思っている顔をしている人が脳では怒ってなくて、怒っていないと思っている顔をしている人が脳では怒っているというような結果が出たらしい。つまり表情は勝手に僕たちがイメージした記号にすぎなく、実際はその通りとは限らない。だから僕だってスマイルマークではないけど、楽しいし笑っている。それに今は水玉模様の服だって着ている。


 僕は楽観的でとてもポジティブだ。そもそもただ明るい人を、笑顔というシールを貼ったからポジティブというのは間違いだ。ポジティブというのは苦を乗り越える術である。つまりは苦渋を飲んでない人がポジティブになれっこない。なる必要がないからだ。それよりかは危機的状況を回避するネガティブの方が必要になる。


 夫婦喧嘩が絶えず、生まれてから暴言などを聞いて育った。だから暴言というのは僕にとって実に退屈なものだ。僕自身に暴言を吐かれることはないが、母が僕の誕生日の度に毎回言うことがあった。

「あんたの前に流産した子がおってな、あんたはその子が死んでもうたから今のあんたがおるんやで」

夫婦喧嘩の中で母は父がタバコを吸っていたことが原因だと泣きながら怒っていた。気持ちは分からないでもない。実際にその子が生まれていたら運命は大きく変わるだろう。現に僕たちがこうして生まれてこられるのは40億分の1だったり70兆分の1といったとんでもなく低い確率の中で生まれている。だからほんの些細なことでも運命は大きく変わる。極端に言うとあの時本来1回クシャミするところを2回クシャミしただけでも大きく変わってしまうことになる。


 とは言えだ。誕生日の度に流産した子の話をされると、まるで自分がその子を殺して生まれてきたかのように感じてしまう。誰かの命を犠牲にしないと僕は生まれてこれなかったのだろうか?僕は罪を背負いながら生まれてきたのだろうか。でも内心もう時効だということにはしていた。殺人罪には時効があるんだからもういいだろう。


 だが今はもう殺人罪に時効はなくなった。ちくしょう、僕は逃げ切ってやる。捕まってたまるか!こんな風にアホデフォルメすることで僕は自分を肯定している。これがポジティブだ。


 反出生主義とか聞くが、ただ単に僕からするとガキだ。僕みたいに誕生日の度流産した子の話をされたとか、そういった理由があれば別だが。というか、僕が反出生主義になってないんだからなるのはおかしいだろ。では何故君は反出生主義なんだ?無になりたいってことか?だったらそんな君のほっぺを僕はムニムニしよう。


「ねぇ、君楽しんでいる?」

この言葉が脳裏から剥がれない。これの真意はなんだろうか。僕がすぐに思ったのは、「楽しんでないなら、帰れば?」「お前空気読めよ」「見てると気分悪くなるんだよ」などだ。実際に僕が「はい」と答えても、その後すぐに去って話し相手になってくれる訳ではなかった。つまり別に僕のことを心配して言った訳ではないということだ。


 僕はその先輩が好きになった。これもポジティブのなせる技だ。


 頭がぐるぐるとその言葉が回ってしんどくなった。なんて冷たい言葉なんだろうか。寂しくなった。心の右心室か左心室から住民が引っ越してどっかに行ってしまったかのようだ。入居者募集中と張り紙を出してもだれも入ってくれない。彼女のせいだ。もういっそその先輩に入居させようかと思った。そうすれば少しは温くなるだろう。そうだ責任をとってもらおう。


 こんなアホなことを考えると、本当に僕の心に先輩を入居させたくなった。再びあの先輩が冷たいことを言って来たら僕は自分の心に彼女を閉じ込めようと思う。この思いはかなり強くなっていて、もはや豪華客船で船が沈むまで共に愛し合えるような人と運命的な出会いをしない限りは消えなくなっている。嫌いな人を逆に好きになったら、などと考えるのは変かと思う人がいるなら、アナタはポジティブではない。僕は断じてポジティブだ。


 歩いていると、河川敷の方へやって来た。以前住んでたところには河川敷はなく、今のところに引っ越してきてからは、よくこの河川敷へ行くようになった。片道30分くらいは歩くが、散歩コースとしてはちょうどいい。


 そうだ。彼女のことを考えている今の僕は笑顔かもしれない。いや笑顔じゃないにしても今自分がどんな顔をしているか気になり川へ近づいた。川を覗くと僕の顔が映った。


 右目の周り、左頬、額、右頬、顎に円があった。正円だ。それは今着ている水玉模様に似ていた。顔の水玉は青や赤や黄色と色鮮やかだった。右目の周りの水玉は赤いが視界に何の問題もなかった。だから顔が水玉になっているのに気が付かなかった。それにこれが何かの病気とは僕には思えなかった。顔に違和感を感じない。


「お前、水玉模様似合わないよ」

昨日、水玉模様の服を着て大学に言ったら友達の男性からこう言われた。ところが、どうだ今は顔にまで水玉模様がある。つまりそのセリフは間違いということだ。


 この水玉はポジティブの証だ。僕がポジティブだから顔に出たのだ。周りが分からずやだから教えてあげるんだ。あるべき姿になった僕は歌を歌った。

「みずたまー、みずみずしいたまー、たましーでさっかー、ぼーくはぽーじてぃぶー、おうさまーおうさまー、たましーおふさいどー、みずたまーみずたまー、ぺぺろんちぇ~」

うっとりする程アホだ。


 僕は家へ帰ることにした。たまにすれ違う人が僕の顔を二度見した。このポジティブ顔に驚いているのだ。きっとあの人のポジティブの概念を壊してしまったかもしれない。だが一度壊すのはいいことだ。一度壊し、もう一度組み立てる。これポジティブへの道なり。


 このポジティブ顔だったら、彼女から「ねぇ、君楽しんでいる?」なんて言われなかっただろう。むしろ「君、楽しすぎるよ(笑)」「どうしたらそんなに楽しめるの?」「師匠と呼ばせてください!」「あなたのポジティブ遺伝子が欲しいわ」なんて言われるだろう。いやそうに違いないワハハ。


 彼女にこの顔を見せてあげたい。温かい言葉を言うのかもしれない。「素敵よ」とか言うのかもしれない。冷たい言葉を言うのかもしれない「気持ち悪い」生のポジティブを天然100%の鮮度の高いポジティブに胃もたれしてそう言うのかもしれない。そしたら僕の心へ招待するだけだ。一緒に歌ってアホになろう。楽しいよ。僕と一緒なら飽きることなく楽しいよ。ワハハ。


 家へと着いた。僕は気分が良かったのに何故か深い溜息を吐いた。洗面台で手を洗う。鏡を見ると僕の顔の水玉が滲んでいた。垂れ下がっていて正円ではなく楕円になっていた。その姿はなんとも惨めに見えた。


 ただ僕はこれをポジティブ過ぎて反省反省という事で乗り切ろうとした。歪んだポジティブという言葉も思いついたが、それは否定した。ネガティブ?何を言っているんだい、そんな訳がない。受け入れられない。そんなことしたら先輩のことが大嫌いになり、先輩の悪口を今からべらべら2時間ぐらい喋り、旗を持ち反出生主義者を先導する英雄になってしまうではないか。


 鏡をしばらく見て、僕はとりあえず今着ている水玉模様の服を脱いだ。なんだかこの服の水玉まで滲んでしまったら、自分自身まで滲んでしまいそうに思ったからでは断じてない。そう断じてない。断じてだ。覚えとけ!そして忘れろ!ネコ、ゴリラ、ラクダ、ワッショーイポジティブ!!


 また鏡を見た。僕の顔には笑顔というシールが貼りついていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

だから僕は水玉が似合う 悪本不真面目(アクモトフマジメ) @saikindou0615

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画