第2話 夜の街、狐と歩く

 退魔局詰所があったのは、ある雑居ビルの二フロアである。二階と三階を借り受けたオフィスであり、局ではなく、あくまで詰所。営業所、と言っていいかもしれない。

 そんなフロアの隅の、猫の額ほどの広さしかない取調室に連行された燈真は、萩原はぎわらと名乗る男に取り調べをされていた。

 仕立てのいい黒スーツに、赤色のネクタイ。スクエアフレームの黒縁眼鏡をかけ、理知的な面長の顔をしている。胸に挿したペンを抜いて対面の席に座っていた。


「つまり、喧嘩をして相手五人を追い払って、その後ジュースを買った。空腹を誤魔化しきれず、路地を通ってコンビニに行こうとしたら魍魎に出会した、と?」

「もう三回話してるぜ」

「なんで路地を通ったのか聞いていいかい?」

「近道だからだって言ってるだろ」


 この手の取り調べで繰り返し供述させるのは、前後の話で矛盾がないかを確認するための常套手段だ。以前警察に捕まった時も同じような取り調べを受けていたので、学習した。あの時に比べればずっと人権に配慮したものと言える。警察署での取り調べは初めからこちらを犯人と思った振る舞いであり、可視化法を無視した高圧的かつものだった。だからと言って空腹時に無駄に時間を取られている燈真は苛立ち始めていた。

 同じことの繰り返し、胃が悲鳴を上げるほどの空腹。燈真は差し出された飲み物にも茶請けにも手を出していない。唾液からDNAサンプルを取るつもりなのが目に見えているからだ。

 別に後ろ暗いことはないが、卑怯な手段で根掘り葉掘り調べ上げられるのは気に食わない。素直にサンプルをよこせと言われれば、喜んで渡すのに。


「萩原一等、稲尾二等がお持ちの紹介状の裏が取れました。確かに久留米くるめ支局長の筆跡に、本物の捺印です。血判まで押されてます」

「魅雲支局の? この少年が、なぜ? 血判なんて、相当じゃないか。……どういうことだ? この子はなにか事件に巻き込まれているとでも?」

「そこまではわかりません。ただ、漆宮浮奈という元一等級退魔師の女性が魅雲支局に対して行った契約を履行する……とかなんとか。稲尾二等も、そのように話されています」

「いち退魔師が支局長……いや、当時は違う可能性もあるわけか。……わかった、これ以上は私の業務ではないようだ。支局長殿に委ねよう」


 萩原はノートをパタンと畳んで、鼻を撫でた。やけに形のいい鼻だ。顔立ちそのものは決して美形ではないが、誠実そうな雰囲気を漂わせている。嘘も方便と思っているが、だが極力嘘をつかないタイプの大人だろう。

 そんな大人に対して自分の態度はあまりにも悪かったんじゃないかと思えた。今になって子供じみていたと、後悔が湧いてくる。


「別に、君の唾液を解析に回す気なんてないから、お茶とお菓子は食べていきなさい。捨てると勿体無いお化けがでるからね」

「……いただきます」


 勿体無いお化けなんて言い回しは実に退魔師的だと思った。今日日大人も滅多に言わない言い回しである。

 その言葉は、大量消費が当たり前になった江戸時代に、捨てられたものが持ち主を恨んで化けて出る——付喪神のことを指した言葉というのを、燈真は母から聞いたことがある。

 今の話を聞く限り母も退魔師だったようだし、知っていて当然だな、と思った。

 燈真は氷が浮かんだ麦茶と、茶請けの煎餅を齧った。甘いものが苦手なので、煎餅が出てきたのは素直に嬉しい。甘じょっぱいそれをバリバリ噛み砕き、飲み込む。一日ぶりの食事が、二枚入りの小袋煎餅ひとつというのも侘しいが。


「お世話になりました」

「よければ送っていくが?」

「大丈夫です」


 取調室を出ると、椿姫が腕を組んでいた。戦っている最中はコンパクトにしていた胸が、腕に乗っかるほど大きくなっている。

 どっちが素の大きさなんだろうか。本体はもちろん狐の姿なのだろう。どう見ても妖狐だし。だが、妖怪が人間に近しい格好に変化する際はその本体の影響も出るという。

 気になったが、聞いた時にはビンタくらいは覚悟せねばなるまい。魍魎を数十メートル吹っ飛ばすような威力の、あの打撃をだ。


「胸をジロジロ見るあたり男の子って感じ」

「牛女」

「あ? 牛鬼じゃなくて狐つってんでしょ」

「そっちの意味じゃない」

「あのね、胸がでかいのは遺伝だから。私の趣味じゃない。邪魔なくらいよ」

「そっか」

「なに、さっきから辛気臭い顔して……」


 燈真は自分の顔に触れた。そんな顔をしていた自覚がない。


「家の方には連絡を入れておいてあるから。迎えが来るまで一時間……どっかで時間潰して、」


 廊下を歩きながら、喋る。


「ならコンビニに寄りたい。一日何も食ってない」

「……どういう家庭環境よ。なら牛丼かラーメンくらいなら奢ってあげるから、店に行きましょうよ」

「それくらい払える」

「いいから。ウジウジすんなっての」


 どうやら椿姫は、それこそ斧で乾いた竹を割ったような性格らしい。じめついた態度の弱虫が徹底的に嫌いなようだ。

 多分これ以上ゴネたら本気で不機嫌になりそうだ。燈真は諦めつつも、ありがたくご馳走になることにした。


「ラーメンでいい? 私、ラーメン食べたい」

「ああ。近くに妖怪向けのラーメン屋がある。狐ってくらいだからネギ類だめなんだろ」

「うん。中和剤飲めばいいんだけど、あれって体に負担だし」

「無敵そうな妖怪も、難儀な弱点があるんだな」

「人間もでしょ。私らからしたらあんたらの方が弱点だらけに見えるけど」


 そりゃあまあ、そうだろう。

 生物種として圧倒的なフィジカルと妖力適合性、種族にもよるが知性もまた高い。端的に言えば、力が強く賢く、スーパーパワーを持つ生物なんて強いに決まっている。脆弱な人間が抗うには、困難な相手だ。

 無論妖怪は、特別人間を侵略するつもりなんてない。ただ、この世界で生きる居場所さえあれば、誰とも争う気などないのだ。だからこそ、この日本では妖怪との共存が進んでいるのである。


 燈真は詰所を出て、周囲を見た。桜町という地元なので、すぐに位置を割り出すとラーメン屋に向けて歩き出す。件の店は二十四時間営業。この時間帯は、飲み屋帰りのリーマンがいるだろう。無論、そのリーマンも妖怪だ。

 人によっては妖怪に恐怖を抱く者もいる。なんなら、そういった人間の方がまだまだ普通、というくらいだ。だが燈真は妖怪を恐れていない。

 理由は——よくわからない。だが、恐れる必要がないことをなんとなく知っているのだ。


「ここだ」

「おー、風情がある感じ」


 赤提灯に「らぁめん」の文字。他にも「びーる」「炒飯」「餃子」の提灯もあり、暖簾には「桜らぁめん」とあった。

 燈真は店に入る。店主の、ねじり鉢巻の鬼の親父が野太くも静かな声で「らっしゃい」とだけ言った。

 二人はカウンター席の空いている場所に隣り合って座る。

 壁に貼ってある木札がメニューの全てである。燈真は「味噌チャーシュー麺」とオーダーするが、「大盛りじゃなくていいの?」と言われ、ややあって「大盛りで」と付け加えた。

 椿姫は「獣妖怪用で、塩ラーメン。チャーシュートッピング」とオーダーした。


 周りのサラリーマンは、獣妖怪からパッと見ただけでは種族がわからない(が雰囲気で妖怪とわかる)者、中には若い人間もいて、皆思い思いに麺を啜っている。

 燈真は椿姫に、


「親父は許可したんだな」

「二つ返事でね」

「だと思ったよ。俺を邪魔者と思ってるからな」

「…………複雑ね。あんたのとこは」


 椿姫は水を一口飲んだ。

 ラーメンはすぐに出てきた。


「いただきます」


 燈真はそう言って手を合わせ、箸立てに入れてある箸を掴んで麺を啜る。コシがある硬めの麺で、歯応えがしっかりしていた。喉越しもよく、つるりと滑っていく感じ。

 燈真のそれは人間用なので焦がし白ネギがたっぷり乗せてあり、箸で掴んで頬張った。チャーシューを口に入れ、その重厚感を楽しむ。この、最高に脂ぎった食感がたまらない。人によってはこの感じが胃に重くのしかかって苦手、という者もいるのだろうが、燈真は平気だった。若さゆえか、そういう特性なのかは知らないが。

 なぜか妙に泣き出したくなり、自分の情緒が不安定であることを自覚する。自分もどこかで変わらなくてはならないと、他ならない自分がそう思っていた。

 今日の出来事は、ひょっとしたらいいきっかけだったかもしれない。


 椿姫はレンゲからスープを啜り、丁寧な所作で、しかし一口はしっかり多めに食べる。食べ方は綺麗だが、たくさん食べる——そんな感じだ。ものすごく俗っぽい言い方になるが、燈真が好きな異性のタイプとしてあげる「美味しそうにご飯を食べる子」にぴったり当てはまる、そんな感じである。

 あまりジロジロ見てると、また何か言われる。燈真は自分のラーメン丼に視線を向け、麺を掴んで啜った。


 しばらく夢中になってラーメンを食べて、お互いどちらともなく食べ終わった。燈真に至ってはスープまで完飲である。塩分の摂りすぎだが、彼が一日何も食べていないことを考えれば宜なるかなと言ったところだろう。

 椿姫はスープは残し、しかし麺と具は、綺麗に食べ切っていた。

 おしぼりで口元を拭い、長居する理由もないので水で口を洗い流すと、伝票を持ってレジ打ちのバイトに「ごちそうさま」と言って、会計をしてもらった。

 二人で一七八〇円。椿姫は細かく小銭をしっかり出し、会計を済ませた。なんというか、マメな性格に思える。


「ちょっと早いけど駅前にいく?」

「迎えだっけ。ああ、まあ待ってればいいしな」


 燈真の顔は、気持ち血色が良くなっていた。少なくとも椿姫の目には、さっきまで赤みが足りず、寝不足かつ栄養の足りていない病人のように見えていたのだ。

 彼女だって心ある妖狐だ。スカウトする相手とか関係なしに、健康的な年頃の少年が青白い顔をしていれば心配になる。まして彼女には、まさに少年世代の弟と、幼い妹がいる。実年齢で言えば六十七歳の彼女は、人間換算では十六歳前後——とはいえどこかで同世代と言える人間にも老婆心を抱いてしまうのだ。多分、弟妹がいるからだろう。


「すっげ、妖狐だ」「めっちゃ美人じゃん。やば」

「退魔師じゃね?」「そいやさっき、退魔局の車見たぜ」


 通り過ぎていく大学生くらいの、真面目そうな青年たちがそう言っていた。

 燈真は、あの手の世代に偏見があった。が、みんながみんな、しょうもない遊びに狂っているわけではないということだってわかっている。なんとなれば、世間的には高校生だってそう見られるし——自分はその中でも底辺の生き方をしている自覚もあった。ろくでなし云々なんて、所詮たまたま見えた一面だ。それにすぎない——だが燈真は、このままではどこからどう見ても碌でもない大人になってしまう。それが怖いから、行動にも余裕がないのかもしれない。……さっきから、そんなおかしな自己分析が止まらなかった。あるいはそうやって、客観視することで急変する環境を、受け入れようとしているのかもしれない。

 自分の偏見も含め、なんというか理解の足りない時代だよな——と思った。

 それこそ妖怪への偏見だって未だにあるし、退魔師を「民営化された、体のいい暴力組織」と取る者も一定数いる。


「あんたが退魔師にどういう意見を持ってるかは知らないけど、職場としては最高、って言っておくわね」

「企業理念的なのを言われると思ったよ」

「そういうのは個人の信念で完結させる組織だし。……端的に言えば、実入りがすごくいい。会社組織だから福利厚生もしっかりしてるし、何より確定申告は事務がやってくれるからすっごい楽」

「自営業とかそれ大変らしいもんな。よくボヤキーで苦痛の声を見るよ」


 ボヤキーとは国内サーバーの分散型マイクロブログサービスである。燈真はボヤキーのアヤカシスキーサーバーにアカウントを持っていた。まあ、包み隠さず言えば燈真は妖怪が好きなのだ。世間的には変人扱いされるので、あまり言わないが。


「さっきから私の尻尾をずーっと見てるわね」

「いや……俺、狐好きでさ。ちょっと前、叔父さんに連れてってもらって宮城で狐を抱っこしたこともあるし」


 キツネ村のことだ。狐の抱っこ体験ができる高校生以上になった記念に、連れてってもらったのである。


「あんたの叔父さんって、浮奈の方の兄弟?」

「うん。親父は駆け落ち同然で実家と縁切ってるし。上の叔父さんはもう鬼籍に入ってて、俺に心臓をくれた恩人。よくドライブに連れてってくれるのは、母さんの弟」

「中のいい家族が一人でもいてよかったわ。で、狐が好き、ね。尻尾触りたいってこと?」

「まだそこまで言ってないだろ。知ってんだぞ、易々触らせる妖狐がいないことくらい」

「そりゃそうよ。人間で言えば出会って早々の男に胸触らすようなもんよ」


 知識としてはそういう感じだと知っていたが、生の声を聞いて実感を伴った。やはり、尻尾という部位は敏感でデリケートなものらしい。しかもその考えを聞いてしまうと、軽々に触らせて欲しいなんて言えない。それこそ、さっき会った女の子に胸を揉ませて欲しいというようなものだ。燈真はそこまで厚顔無恥ではない。


 歩くこと十五分。JR桜駅についた。駅前ロータリーに行き、燈真と椿姫は既に止まっていた車に乗り込んだ。ファミリー向けの、クリーム色をしたSUVだ。乗車定員五名のタイプである。実父が持っている車も、こんな感じのものだったはずだ——燈真はバイクが欲しいと思いつつも、車にはあんまり興味がないので、車を見てもどこの会社のどれそれという車だ! と判断がなかなかできない。


 椿姫が助手席に、燈真は後部座席に座った。

 車内にはほんのりと、スゥーっとした柔らかいミントの匂いがしている。運転席にいたのは、三十半ばか、後半くらいの茶髪の女性。ボブカットの上には、丸みを帯びた狸の耳が鎮座している。


「伊予さん、連れてきた」

「ありがと。……燈真君ね?」


 燈真はシートベルトをしつつ、「そうです」と答えた。


「私は山囃子伊予やまばやしいよ。稲尾の屋敷の……そうね、お母さんをやってるわ。よろしく。敬語はいらないからね」

「よろしく。……その、お母さんって。椿姫の……あ、いや。なんでもない」

「別に、私の両親は生きてるわよ。人妖融和のための非営利活動で家あけてるだけ」

「ああなんだ……ならよかった」


 人妖融和とは、退魔局を中心に世界中の対魍魎・怪異組織が掲げる目標である。読んで字の如く、人間と妖怪の融和を目指すための活動を指す。

 退魔局の非営利活動は、ボランティアや、医師団による無料の奉仕活動、または護身用の妖術指南などがそれにあたる。

 やはりというか色々槍玉にあがる活動だが、妖怪贔屓の燈真としては何もしないよりずっといいと思っていた。無論、だからって燈真は人間嫌いではない。自分だって人間だし、他ならない人間に支えられている自覚も強くある。だからこそ、その板挟みで悩むことがあるのだ。難しい年頃なので、なおさら敏感に考えてしまう。


 伊予は微笑みながら車を出した。

 車の性能もさることながら、伊予ドライビングテクニックも上手い。静かに発進し、穏やかな走行で交差点に入る。


「どこにいくんだっけ」

「魅雲村。道はどうせ空いてるけど、多分着くのは朝ね。山道だし、シンプルに距離もあるし。寝てなさいよ」


 椿姫はそう言って、あくびをしながら助手席を倒した。


「助手席に座るんなら起きてるべきじゃないのか?」

「私狐だし、寝てるのが普通だし。伊予さんも狐の寝顔に癒されるし」


 などと、おそらくは日本霊異記の来て寝よというような記述のそれを持ち出し、椿姫は瞼を閉ざした。そしてあっという間に、静かな寝息を立てる。


「燈真君も寝てていいわよ。途中で、道の駅とかで休憩もするけどね」

「うん……。じゃあ、おやすみ」

「おやすみ」


 燈真も背もたれに頭を預け、目を閉ざした。

 正直寝る気はなかった。だが、疲れていたのか、深く考える間もなく燈真も睡夢の世界に誘われていった。

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ゴヲスト・パレヱド ― 孤独な鬼は気高き狐に導かれ最強の退魔師を目指す ― 裡辺ラヰカ @ineine726454

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