第40話「アプローチの日常」

「はぁ……」


 と、本日何度目になるかわからないため息をついたのは僕。それもそのはず、今日はこれから天音の検査が行われるのだ。


 万が一にでもエゴになってしまっていた場合のことを考えると気が気でなかった。そんな僕とは対照的に、天音は笑顔で真衣華と話しながら歩いていた。


「もうっ、辛気臭いなあ司。あたしがエゴだったからって特に問題はないでしょ?」


「問題があるかもしれないから気をもんでいるんだよ。こんな時に限って月野さんはいないし……ああ、不安だ……」


「あら、私じゃ不足?」

「そういうわけじゃないけどね。やっぱり経験者がいるのといないとじゃ違うでしょ?」


「そういうものかしら」

「真衣華の場合は特殊ケースだからね。そしてそれは僕にも言えることだ」


 僕は大抵のことには動じない強靭な精神を持ち合わせているが、天音は違う。


 彼女はどこをとっても一般人だ。今は笑顔でもふとしたことでその笑顔が壊れてしまう可能性がある。僕は天音にはいつも笑顔でいてほしいんだ。


 そんなことを考えていたら目的地である検査室に到着してしまった。


「ああ、もう着いてしまった……」


 検査ルームと書かれた扉を開くと、中には倉石くらいしさんがいた。相変わらず目の下のクマがすごいことになっている。


「やっはー。話は聞いてるよ。君達もまた数奇な運命に愛されてるみたいだねえ」


「まったくです。天音に普通の生活を送ってもらうために頑張っていたってのに、結局こうなってしまうんですから、ほんと参りますよ」


「そんな君達にはウチ特製のコーヒーをごちそうしよう」


 マジかよ……倉石さん特製ということは例の角砂糖が溶け切らないほどに投入されたゲロ甘コーヒーに違いない。


 断ろうと思ったんだけど、どうやら僕達を待っている間にすでに作成済みだったようでテーブルの上できっちり人数分のカップが湯気を立てていた。


「私は遠慮しておくわ」

「そう? 美味しいのに」

「あたしは貰います。ちょーど喉渇いてたので」


 可哀想な天音。自分のために出されたものは残さない僕と違って君には断る権利があるんだけど、初見じゃ回避不能なトラップだよな。気持ちはわかる。そう思っていたら、


「甘くておいしー!」

「……天音、マジで言ってる?」

「え? うん。ちょっとシャリシャリするけど甘くて美味しいよ?」


 ちょっと? このシャリシャリ感はちょっとどころの騒ぎじゃないだろ。


「おお、風上君はこの味をわかってくれるか。なかなか理解されなくて悲しかったんだよ」


「シャリシャリ感がなくなったらもっと美味しくなると思います」

「なるほど。次回までには改善しておこう」


 いよいよもって天音の味覚が心配になってきたところで、特製コーヒーを飲み終わったので検査が開始された。


 検査自体は人間ドックで行われそうなことプラスアルファといった感じだった。


「検査はこれで終わりだね。結果は2、3日後に出るからそれまで待ってて」


「ありがとうございました」

 と、天音は軽く頭を下げた。


「どういたしまして。検査結果はメールでも知らせるけど、詳細を聞きたい場合はウチのラボを訪れてね」


「わかりました。メールってあたしのところに届くんですか?」


「そのように手配するよ。それから、もしコーヒーが飲みたくなったら用事がなくても来ていいからね」


「うーん、あんまり飲み過ぎちゃうと太りそうだなあ……」


 二人が雑談に興じているのを黙って見聞きしていると、不意にスマホが震えた。


 画面を見ると、八田さんからの呼び出しだった。CCを見ると真衣華と月野さんの宛名も入っている。どうやらただの呼び出しではなさそうだな。


「ごめん天音、呼び出しがかかったから僕と真衣華は行かなきゃいけない」


「おろ、そうなんだ」

「くれぐれも倉石さんに失礼のないようにね」


 この人を怒らせるとどうなるかわからないから、とは思っていても口には出さない。


「司じゃないんだから大丈夫だよ。いってらっしゃい」

「うん、行ってくる」

「それじゃ天音さん、また後でね」


 僕と真衣華は八田さんのいる10階のオフィスフロア、その最奥に位置するボスの部屋を訪れた。


 月野さんは僕らよりも一足先に到着していたようで、部屋に設置されたソファに座ってくつろいでいた。しかし肝心の八田さんの姿がなかった。


「あら、二人共早かったわね?」

「ちょうど上の階で天音の検査に付き合っていたんだ」


「そういえば今日だったわね」

「検査結果は2、3日後だそうよ。ところで、八田さんはどこにいるのかしら?」


「なんかお茶菓子を取ってくるとか言ってさっき出ていったわ。たぶんもうそろそろ戻ってくると思うけど」


「あの人がわざわざお茶菓子を用意するだなんて面倒事の匂いがプンプンするな」

「私も同意見。くれぐれも八田さんに乗せられないようにね。特に九条君」


「なんで僕」

「あの人に何度も煮え湯を飲まされたの、もう忘れたの?」

「いや、忘れてはいないけど……」


「あなたが一番心配なのよね……高級なお茶菓子とか言ったら飛びつきそうで」

「僕がそんなことするわけないだろう」


 なんて話しをしていたら噂の人物が部屋に戻ってきた。


「やあ遅くなってすまない」

「なんかまた面倒事を持ってきたんじゃないでしょうね?」


「九条君、開口一番それはひどいんじゃないか? なかなか手に入らない水羊羹が偶然手に入ったからみんなで食べようと思ったのに」


「わあい僕水ようかん大好き!」

「九条君? さっきの話、もう忘れたのかしら?」


 水羊羹に飛びついた僕を月野さんが胡乱な目で見ていた。仕方ないだろう、水羊羹は僕の好物なんだもん。


「ん? 何の話だい?」

「こっちの話です。お茶菓子っていうくらいですからお茶の用意もあるんですか?」


 僕にとって都合が悪い流れになりそうだったので話を変える。


「ああ、そこの棚にほうじ茶が入ってるよ。僕は水羊羹の用意をするからお茶は女性陣にいれてもらえるかな?」


 女性陣がお茶の用意をしてくれている間、僕は水羊羹を乗せるための小皿を用意した。


「じゃ、いただきます。……うん、美味しい!」


「それはよかった。苦労して用意したかいがあるというものだ。月野君と黒鉄くろがね君はどうかな? お口に合っているといいが」


「味は美味しいですけど……どうせまた何か魂胆があるんでしょう?」

「そうね。先にそれを話してもらわないことには素直に味わえないわ」


「二人共ひどいなあ。普段から頑張ってくれている職員にご褒美をあげてるだけとは思わないのかい、ねえ九条君?」


「そこは普段の行いでは?」

「九条君までそんなことを……! まあ仕事を振ろうと思っていたんだけどね」


「ほらでた。どうせまた面倒な仕事なんだ」

「だいたい3人揃っての呼び出しなんて怪しいと思ってたのよ」


「概ね予想できた展開ね」

「き、君達は僕をなんだと思っているんだい?」


「嘘つき大魔神」

「腹黒」

「筋肉バカ」


 僕、月野さん、真衣華の順に思ったことを言ったけど、見事に悪口だけだった。


「シクシク……僕はこんなに頑張っているのに部下にそんな風に思われていたなんて! 僕は明日からどう生きればいいんだ……!」


「嘘泣き乙」

「まあ嘘泣きなんだけどね。と、まあ雑談はこの程度にして仕事の話をしようか」


「最初からそうしていれば傷つかなくて済んだのに」


「僕なりの部下とのコミュニケーションと言ってくれ。さて、以前特戦9課の話をしたと思うが、確かその時黒鉄君はいなかったよね?」

「そうね。初耳だわ」


 八田さんは僕達への確認も含め、真衣華に様々な任務を自由な判断で行う特殊な課だと説明した。


「君達はその部隊の創設チームになってもらうんだ」

「なんだか面倒そうね……私はイドを倒すだけでいいのだけれど」


「まあそう言わないでくれ。特戦9課は君達のための部隊でもあるんだよ?」

「どういう意味かしら?」


「現状君達はイドとの戦闘以外、まったく職務を行っていないと言ってもいい。今はそれでいいが、この状況が続けば職員の間で黒鉄君や九条君がタダメシ食らいと言われかねない」


「変ね、契約書にはこう書かれていたはずよ。職務とはイドとの戦闘を指す、と」


「そうだね。だからこそ、だ。特戦9課は特殊な課として内情が他の職員には漏れないように徹底する。最悪、サボっていても傍目からではわからない」


「要するに僕達があまり仕事をしなくても周りから文句を言われないようにするためってことですよね?」


「まあそういうことだね。人間の感情として自分より仕事をしていないのに給料が高かったら反感を抱く。その相手が年下なら尚更のことだ」


「面倒なのね。私達の仕事はイドの相手だけって公言してしまえばいいのに」


「大人の世界は建前で出来てるのさ。君達だって後ろ指は指されたくないだろう?」


「僕は気にしないけど真衣華がそんなことされたら怒るかもしれない」


「だろう? それに、サボるとは言っても特戦9課らしい仕事はしてもらうつもりさ」


 ここで長い前フリが終わり、ようやく本題に入るようだった。

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