第9話「アーノルド・シュワルツェネッガー」
どこぞのプロデューサーもかくやな見た目の人間がアプローチから天音家へと派遣され、無事説得が完了した。
用意周到なことにマンションに着いた時にはすでに下に引っ越し用のトラックもいて、荷物の運び出しもアプローチの職員が行ってくれた。
というわけで、僕らは今アプローチの本社(という言い方で合ってるかはわからないが)のビル前に立っていた。
「ほえー……すっごいおっきい」
天音が間の抜けた感想を口に出しているが、かくいう僕も口には出さないだけで同様の感想を抱いていた。
「まさかこれ全部アプローチ所有?」
「そうよ」
しれっと月野さんは言ったが、なかなか受け入れられなかった。街を歩いている時におっきいビルだなあ、なんて思っていたのがまさかアプローチのものだったなんて。
地上150メートルは軽くありそうな高層ビルだ。維持費だけで一体幾らかかっているのか想像もつかない。
一見すると商業施設の入った普通の高層ビルのように見えるが、敷地内に入るためには頑丈そうなバリケードと守衛室を突破しなければならない仕様だ。
更に、バリケードを突破しても玄関付近に多数の警備員が立っているし、ドアの上には侵入者を阻止するためのシャッター設備らしきものが見受けられた。
そこら辺のセキュリティがただの高層ビルではないところなのだろう。
「居住フロアも入ってるから、今日からはここで生活してもらいます」
「ね、ね、こんなところに住めるなんてあたし達お金持ちになったみたいだね!」
すっかり機嫌が治ったらしい天音が嬉しそうにそう言った。そんな彼女に「そうだね」と返して、
「うーん、このビル全部が僕のものか……いよいよ世界が僕の重要性に気づいたようだな」
「ビルは貴方のものにはならないけど、重要性って意味ではその通りね」
「冗談で言ったんだけど……」
そういえば僕は今、色んな陣営から狙われているんだった。モテる男は辛いぜ。
「司的には願ったりなんじゃないの?」
「もっと違う形で重要性に気づいてほしかった」
「ごめんなさい、私があの時あなたを巻き込んでしまったから……」
「真衣華は悪くないさ。僕が選んだ結果だ。後悔はないよ」
「本当にそう思ってる?」
「心の底から。真衣華と仲良くなれたんだ、差し引きマイナスどころかプラスだよ」
「変わった人ね」
「よく言われる」
なんてやり取りをしている間に、守衛さんにバリケードを開けてもらったらしい月野さんが、
「さ、入って」
と、案内をしてくれた。
バリケードを抜けて、ビルの規模から考えるとやや狭い駐車場を抜けて玄関に到着だ。
そこでも一つ関門があるらしく、月野さんは壁に設置されたカードリーダーに向かって何やらやっていた。
見ると、カードをシャッとやって暗証番号を入力して、やっと両開きのガラスドアが開いた。ここまでやってやっと中に入れるなんてどれだけ厳重なセキュリティなんだ。
中に入ると、高級ホテルもかくやといった内装が僕達を出迎えた。
天井にはシャンデリアがぶら下がっていて、奥にあるフロントには何人かの職員が受話器片手に仕事をしている。まるでコンチネンタルホテルだ。
「お疲れ様です」
月野さんは出迎えてくれた女性にそう挨拶すると、続けてこう言った。
「
「8階でお待ちです」
「またあの人は……私達が来るってわかってるのになんで8階にいるのよ」
「大方またトレーニングをしているのでしょう。こちらを」
「ありがとう」
月野さんは女性から受け取った3枚のゲストと書かれたカードを僕達に順番に渡した。
「後で貴方達のIDカードも作ってもらうわ。それまではこのゲストカードを使ってちょうだい。このビルではカードがないと何もできないから絶対になくさないように」
「フリと見た」
「なくしてもいいけど、後で泣くことになるのは貴方よ」
冷たく返されてしまった。月野さんの目の前でカード手裏剣にして投げたらどんな反応をしてくれるのか興味があったので、どの方角に投げようか思案していると、皆エレベーターへと向かっていたので慌てて追いかける。
「置いていかれるのは好きじゃないんだけど」
「ならふざけてないでちゃんとついてきなさい」
「どーせ司のことだからカード手裏剣でもしようとしてたんでしょ」
「なぜわかった」
「だって忍者のポーズしてたし」
なんてことだ。僕は無意識の内に忍者になりきっていたらしい。
そんな僕をよそに、月野さんはエレベーター前に立って説明を始める。
「説明しておくわね。このビルの設備には、基本的に全てこういうカードリーダーがついているわ。カードを読み込ませないと――」
月野さんはエレベーターのボタンを押すがなんの反応もなかった。
「このように反応しません。エレベーターに乗りたかったら、このカードリーダーにIDカードをスライド、もしくはタッチする。そしたら――」
再びボタンを押す月野さん。今度は押したボタンが光った。
「と、いう感じ。このカードは他にもルームキーになったり、社員食堂の決済に使ったりもするわ」
「決済って、このカードは口座にも紐付けるのかい?」
「いい質問ね。アプローチの職員になったら、通常の現金によるお給料の他に、アプローチ施設内でのみ使えるポイントがもらえるのよ。社食だったりはそのポイントでの支払いもできるわ」
「アプローチだけで使えるちょっとしたクレジットカードみたいなものだね」
「そゆこそ。さ、乗って」
エレベーターは8階で停止した。
長い廊下を抜けて、トレーニングルームと書かれたドアを開くと、それまでの空調の効いたカラッとした空気が一変した。男臭いともいえる汗の匂いが僕達を出迎えたのだ。
「すごいな。見ろよ天音、最新式のスミスマシンだよ。ラットプルダウンにレッグエクステンションまでなんでもござれだ」
「いや、そんなことあたしに言われてもわかんないし」
なんてことだ……僕はこんなにも興奮しているというのに、この感動が1ミリも伝わっていない。
「貴方ソッチの人だったの?」
「男なら誰でも一生の内に世界最強を目指――」
「ああ、はいはい。そういうのいいから。えーと、八田さんはどこかしら」
月野さんは僕のナレーションを遮って颯爽と八田さんなる人を探しに行ってしまった。
仕方がないので黙ってついていくと、目的の人はベンチプレスをやっていた。しかしその持ち上げている重量が問題だ。
シャフトに乗っている重量を計算してみると、どうやら238キロもの重さを持ち上げているようだった。
八田さんなる人物は僕らの接近に気付くと、バーベルをラックに上げて身体を起こし、笑顔で僕らを迎えてくれた。
「八田さん、私が来るってわかってたのになんでここにいるんですか」
「いやあごめんごめん。僕の筋肉がトレーニングを要求してきたものでね。彼女の言うことは聞くものだろう?」
筋肉のことを彼女扱いしている。この人は筋金入りの筋肉マニアだ。間違いない。
「その子達が電話で話していた子だね?」
「そうです」
「アプローチへようこそ。僕は八田だ。月野君の上司兼、ここのボスをやっている。よろしく」
そう言って八田さんはニコッっと微笑んだ。白い歯がキラッと光を反射して眩しいぜ。
「あ、はじめまして。風上天音です」
「黒鉄真衣華」
「九条司です。八田さん、コマンドー!」
そう言ってグーを突き出すと、八田さんは「む」と言って、
「プレデター!」
と返して僕の拳にその分厚い拳をぶつけてくれた。
「九条君と言ったね? 君とは仲良くなれそうだ」
「僕もそう思います。実に素晴らしい筋肉だ。今度トレーニングメニューを教えてもらっても?」
「もちろんだ。特製のプロテインもご馳走しよう」
そんな僕らのやり取りを見ていた月野さんは、「もうやだこの職場……」と溢していた。
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