第7話「メン・イン・ブラック」

 月野さんが帰ってからしばらくの間無言でお茶をすすっていた僕達は、とりあえず万が一何かあった時対処しやすいように事態が落ち着くまで集団で行動することに決めた。


 天音にはなんとか両親を説得してもらって僕の家で寝泊まりしてもらうことになり、それに際して天音家から布団を持ってきてもらったことで僕は自身のベッドを取り戻し、女性陣は客間に布団を敷いて寝てもらうことになった。


 そんなこんなで月野さん登場から三日目の今日、僕らは喫茶店に来ていた。


 帰り際彼女に脅されたせいでこの三日間戦々恐々と過ごしていたけれど、その間起こったことといえば僕のベッドに真衣華の桃の香りが移っていることに気づいた僕がクンカクンカしている場面を二人に目撃されたくらいだった。


 その時の反応といえばわかりやすく二人共ドン引きしていた。だが声を大にして言わせてもらおう僕は変態じゃない。変態という名の紳士だ。


「それにしても、月野って人すぐにでも襲ってくるぞーみたいなこと言ってたけどなーんもないじゃん。なんかいよいよあたし、あんた達に騙されてんじゃないかって思ってきた」


 天音の気持ちもわからないでもないけど、残念ながらエスの海を経験した僕からしたら紛れもない現実だと言い切れるんだよなあ。


「そう思いたい気持ちはわかるけど、天音だって見ただろう? ガラスが再生する様を」

「そーだけどさー。あれだけだとなんかなーって感じ」

 天音は咥えたストローをクイクイ動かす。


「手品でも見せられたみたいなもんだよ。司達が言ってるエスの海だっけ? だとかもあたしはぜーんぜん意味わかんなかったし。実はドッキリでした! って言われた方がまだ信用できるよ」


「まあ、あれは体験しないと理解出来ない類のものだよ」


 事実僕もあれが現実に起きたことだというのは理解しているけれど、心からそんな世界があったという事実に納得がいっているかというと首をひねらざるを得ない。


「だけど、得るものが多かったのも事実ね。彼女の言うことを全部信用するわけではないけれど、私の中にあった漠然とした知識に当てはまるものも多かった。同時に、新しい情報も入ったわけだけれど……」


「確かにね。真衣華の謎が少しでも解けたっていうのは大きいね。後はこのまま平和が続いてくれればいいんだけど」


「案外近くで監視されてたりして」

「天音、そういうのフラグって言うんだぜ?」

「だーいじょうぶだいじょうぶ。そんな言ったからってすぐ何か起こるわけ……」


 気がつけば僕らの卓の周りには無数の人が集まっていた。パッと見ただけで僕達を逃がす気がないんだな、という意思が痛いほど伝わってくる布陣だった。モテる男は辛いぜ。


「ごめん司、私のせいだ……」

「大丈夫、天音のせいじゃないさ。一応聞くけど話し合いで解決出来そうですかね?」

「そちらの出方次第だ」


 黒スーツにグラサンというどこかの世界でエイリアンと戦っていそうな見た目の男が言った。


 彼はイド相手にメンでインのブラックな戦いを繰り広げているのだろう。とりあえず彼の呼び名はMIBで。


 MIBから視線を外し真衣華に目を向けると、彼女は刀袋の紐を解き終えていた。そしてアイコンタクトで「どうする?」と僕に問いかけてきた。


「逃げようなどと思うなよ。周囲は完全に包囲されている」

「そのようで。ところで一つ質問いいかな? どうしても気になってさ」

「なんだ?」


「おたく映画の世界から飛び出てきてない? 日夜光線銃持ってエイリアン追いかけてたりしない?」

「なんの話だ?」


「いやこっちの話。まあそれはいいんだ。で? ずいぶんな歓迎っぷりだけど、なんのよう? 見てわかる通りこっちも暇じゃないんだ。手短に済ませてもらえると助かる」


「単刀直入に言う。九条司、我々の組織に来い」

「条件は?」

「悪いようにはしない」

「具体的に頼むよ。僕は現代っ子だから一から十まで説明してくれないとわからないんだ」


「何が望みだ?」

「そもそも僕が今までと変わらない日常を送るという選択肢はないのかな?」

「残念だが君がオリジナルエゴと関わってしまった時点でその選択肢は消え失せている」


 やれやれだぜ。僕ははっきり言って無駄な人付き合いはあまり好まないんだ。


 天音みたいに面白い人間相手ならウェルカムだけど、目の前の人間が映画の人物のようにウェットにとんだジョークを言えるとはとても思えない。


「この話今じゃなきゃダメ? 天音もいることだし別の機会にしてほしいんだけど」

「ダメだ。君の友人も関係者のリスト入りしている」


「天音は無関係だ。そのリストから外してくれ」

「君の友人はオリジナルエゴのことを知ってしまっている。手遅れだ」


 なんで知っているんだよ。盗聴でもされていたんだろうか。僕の家のセキュリティガバガバじゃん。


「天音の安全が保証されない限り僕はあなた達の話を聞く気はない」


「君は何か誤解をしているようだが、我々は決して手荒なことをしに来たわけではない。君が我々に協力してくれると言ってくれれば、彼女には護衛をつけることにはなるが、今までと変わらない生活を保証する」


「ふーん。断ったら?」

「今回は諦めて次回は菓子折りでも持ってこよう」

「山吹色の?」

「君が望むなら」

「HAHAHAHA!」

「ハハハハ」


 唐突だけどなかなか面白いジョークが言えるじゃないか。MIBの風貌でそんなことが言えるなんて最高だ。


 まあ、どうせ嘘だろうけど。断ったら彼らはすぐにでも実力行使に出てくるだろう。さてどうしたものか。


 ん? チラリと窓の外に目を向けると、見覚えのあるキャスケット帽が見えた。あれは間違いなく月野さんのものだ。


 そのまま視線を向けていると、ひょこっと窓の下から月野さんが顔を出した。その手には白いスケッチブックが握られていた。月野さんはこちらの様子を伺うと、スケッチブックに何か書き始めた。


『お困りみたいね』

 丸っこい可愛らしい文字で書かれた紙をペラリとめくり、再び何かを書く月野さん。

『助けが必要かしら?』


 んー。助けを求めたら後で何か見返りを求められそうだけど、かといってこの状況を僕達だけで打開出来るかといえば不可能だしなあ。これは月野さんの手を借りるしか他に手はなさそうだ。


 ということで大仰に頷いて見せると、月野さんは『わかった』とスケッチブックに書いて見せてどこかに行ってしまった。


「さあ、答えを聞かせてもらおうか」


 月野さんが何かを起こすまで僕は時間を稼ぐとするか。


「僕があなた達の組織に身を置いたとして、あなた達は僕に何を求めるんだい?」

「主に二つある。一つはイドとの戦い、もう一つはオリジナルエゴの解析だ」


「要するに兵士でモルモットってことね」

「何度も言うが悪いようにはしない。可能な限り以前と変わらない生活を保証する」


 チラリと視界の端に月野さんの姿が見えた。もう時間を稼ぐ必要はないだろう。


「悪いね。僕は自分の人生を誰かに指示されるのはゴメンなんだ。だから――」


 ゴトリ、ゴトリ、とMIBの人達の側に映画で見たことのあるグレネードのようなものが転がってきた。


「その提案はお断りだ!」


 言葉と共に天音の手を取りテーブルの上に立つ。それと同時にグレネードが弾け、辺り一面にスモークが焚かれる。


「え、ちょ、何!?」

「真衣華!」


 驚く天音をよそに、僕の言葉に真衣華は迷うことなく一番側にいた人を突き飛ばす。


 未だスモークの混乱から抜けきれていないMIBの人達の間をすり抜け僕達はなんとか店の外へと抜け出すことに成功した。


 後ろからガスガスと人を殴る音が聞こえる辺り、月野さんが追手を倒してくれていることだろう。僕らに出来るのは今の内に可能な限り遠くへ逃げることだけだ。


 というわけで、先程の店から数百メートル離れた公園にたどり着いた僕達は、流石にここまで来ればいいだろうということで、ベンチに座って自販機で買ったジュースに舌鼓を打っていた。


「あれでエイリアンが出てくれたら完璧だったんだけどなあ」

「あんたこの状況でよくそんなこと言えるね……びっくりだよ」

「そうかい? 非日常という名のちょっとしたアトラクションじゃないか」


「あたしチビッちゃうかと思った」

「ははは、僕を見てご覧。僕なんてジョバジョバさ」

「あんたのそれはジュース溢したからでしょ!」


 呑み口の目測を誤ってしまい、社会の窓周辺に思い切りジュースを溢してしまった。見かねた天音がハンカチを差し出してくれたのでそれでフキフキしていると、


「今後もああいったことが起こるのであれば、本当にどの陣営に所属するか考えた方がいいかもしれないわね……」

 と真衣華が言った。


「たしかにね。さっきのMIBは論外としても、今後もあんなことばかり起きたんじゃ不安で一日10時間しか眠れない」

「十分すぎる!」


「けど実際のところ、月野さんのところはどうなんだろうね。まだサンプルが2つしかないけど、比べるまでもなく優良物件じゃない?」


 僕がそう言うと、真衣華は苦虫を噛むが如き渋い顔をしてみせた。


「一つ聞きたいんだけど、真衣華と月野さん、ずいぶん仲がよろしくないみたいだけど何があったの?」

「それは――」

「私の口から説明しましょう」


 真衣華の言葉を奪うようにベンチの裏からぴょこっと登場した月野さんがそう言った。

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