目には目を、

しのつく

第1話

 ――あの日は暑い日だった。それでも外はからりと晴れて、きらめく太陽が世界を祝福しているようだった。




 自分の首筋に、大好きだった貴方の手を置く。ひんやりとして気持ちがいいけれど、どこかゾクリとするように冷たくて、まるで刃物を首にあてているようだと感じる。


 触れた所からすうすうと熱が逃げていく、際限なく体温を吸い尽くそうとするその様は。しかし首に触れた冷たさが、依然として変わらずにいる様は、まるで身体をじわりじわりと侵食していくようだった。



「本当に、貴方の手も、言葉も、まるでナイフみたいね。」


 ちょっとだけ、好奇心でからかってみる。

 当然、返答はなかった。




 ――思い出すのは、手に残る温かい感触。初めて貴方の心臓に触れた、あの日の感動。




 刃物は、冷たい。何をしたって冷たい。どれだけ火で炙ったって、放っておけばすぐに冷たくなってしまう。熱いと思うのは、それが身体に傷をつくったときだけ。傷口に血が集まるから、そこが熱く感じるだけ。

 どれだけあたたかな血をその身に浴びても、知らんぷり。同じように温かくなることはない。




 ――あの日、私は今までずっと冷たいと思っていた、貴方の本当の『あたたかさ』に触れた。私の手は、熱を帯びていた。




「貴方は、本当に変わっていなかったわね。」


 昔を懐かしんで、こてんと首を傾げる。まるで、いつかの日のように。

 貴方と過ごした日々は、今でも鮮明に思い出せる。出会ってから、今に至るまで。その一つ一つを、詳細に。


 それでも、そんな記憶も薄れてしまうくらい、あの日のことは、今も脳裏に強く焼き付いている。どの記憶よりも鮮烈な彩りで。


 あの日、貴方の顔を、間近で見た。貴方の呼吸を、間近で感じた。貴方の鼓動を、その身に焼き付けた。

 薄暗い部屋で、手の中の真っ白な金属に反射した、黄金の光。しかしそれよりも目に、記憶に焼き付いて、離れなかった、――――





 ――赤。気付けば手元は、真っ赤に濡れていた。青くなっていく貴方を嘲笑うかのごとく、視界を鮮やかな赤が満たしていく。あまりにも刺激的な色だから、クラリクラリと目眩がした。


 ……そう。あの日、ようやく私は解放されたの。





「ねえ、どうかしら。貴方は私を恨んでいるかしら。」


 木製のお人形みたいにかたく、冷たくなってしまった貴方に問いかける。やはり貴方は口を開かない。

 でも、それでいい、それがいい、と思う。使わない刃物は、しまっておいた方がいい。



「私はね、思ったよりも貴方のこと、恨んでないのよ。……本当よ?」


 自分でも驚いたの。心から愛していたものを壊すことが、あんなにあっけないなんて。……いや、もう愛してなどいなかったから、簡単にできたのかしら。私の愛していた人は、もう遥か遠い昔の人になってしまったから、特に深く考えることもなく………。



 目には目を、刃には刃を。……なんて、くだらないことを考えてしまったほど、貴方には『刃物』という言葉がよく似合った。少なくとも、なぜそう思うのか、なんて質問が野暮に思えるくらいには。




 冷たい貴方の手を、もう一度ビニール袋の中に押し込む。ちょっとだけ名残惜しいけれど、お掃除、あんなに大変だったのに、これ以上汚す訳にもいかないもの。



「これでもうお別れよ。地獄に一緒に堕ちてなどやらないわ。」


 だって生き地獄は一緒にいたじゃない、と、流石に口に出すのはやめる。みなまで言ってしまうのは、ナンセンスだから。


 大きな45Lのビニール袋。その口を、かたく結んで、今日の午前をおしまいにした。




 窓の外では、穢れなどまるで知らないように、太陽が白く眩しく輝いている。

 白い光を嫌うように黒を纏ったカラスは、窓の中の死体をじっと見つめている。ひょっとすると、今日の昼食にしようとしているのかもしれない。


 締め切った窓の外からは、けたたましいパトカーのサイレンが、遠く遠く響いていた。

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