三
美織の家には、一度だけ行ったことがあった。
高2の夏休みに、美織が家に来なよというのでドキドキしながらお邪魔した。その時美織の両親は外出中で、だから私は結局、彼女の家族を一度も見たことがない。
彼女の家は思っていたよりも普通の一軒家で、天使もこんなところに住むんだなと意外に感じた。
その家に今、八年ぶりにお邪魔している。
そもそも一度しか来たことがなかったので、どこが変わったとか変わってないとかはわからなかった。
でも、家の中に少し暗い雰囲気が漂っているのは感じた。
人が死ぬということはこういうことなのだろう。
圧倒的な不在と、悲しみ。
人が一人家からいなくなるだけで家全体がこうも暗くなってしまうのか。
「ごめんね、散らかってて。」
麻子さんは笑ってそう言ったが、散らかってるなんてことは全く無かったし、むしろ綺麗な部屋だった。
リビングに案内され、どうぞ座ってと促された。
「飲み物用意してくるね。」
私は軽く会釈して、キッチンへ向かう麻子さんの後ろ姿をぼんやりと見つめた。
私は麻子さんと会うのは初めてだが、その雰囲気や表情にどこか懐かしさを感じる。
そして、気付いた。
似ているんだ。美織と。
麻子さんと話していると、美織と久しぶりに話しているような感覚になる。
声も心なしか似ているし、間の置き方、そして何より、笑顔。
美織だ、と思った。
そう思ったら、なぜか鼻の奥がつんと痛んで思わず涙が出そうになった。
麻子さんがこちらへ戻ってくるのが見えたので慌てて引っ込めたが、見られてしまったのかもしれない。麻子さんが悲しそうに目を伏せたのがわかった。目は悲しんでいるのに口元はそれをわからせまいとぎこちなく微笑んでいるのが、余計辛かった。
「じゃあ、詩織さん。」
麻子さんが口を開いた。
「教えていただけますか?美織の高校時代について。」
高校時代、と聞いてまずはじめに思い浮かんだのは、華やかな友人達と楽しそうに笑っている美織の姿だ。
「美織さんは…」
そこまで言って、思わず黙ってしまった。
思い出したからだ。あの日の美織を。
河川敷。川。散歩。夕陽。犬。天使。水。
「わたし、死のうと思ってるんだよね。」
あの日感じた衝撃、川の匂い、水の冷たさ、間近で見た天使の美しさ、二人で暴れているときの妙な楽しさ。
ぜんぶ、そのぜんぶが、まるで今起こったことかのように鮮明に思い出された。一瞬のうちに。
なかなか続きを言わない私を不思議に思ったのか、麻子さんがきょとんとした顔で首を傾げた。
「ごめんなさい…美織さんは」
死のうとしていました。
―――なんて、言えるわけがない。
「私とは違って華やかで、それで、いつも楽しそうでした。」
悩んだ結果がこれである。
これだと、私が青春コンプレックスを持ってる人みたいじゃないか。
でももう言ってしまったものはしょうがない。それに、別にいいやと思った。
こんな浅い話しかできない私に、麻子さんがまた会いたいと思うはずがない。きっと、私たちが会うのはこれが最初で最後だろう。それなら、どう思われてもいい。
「ねえ、詩織さん。」
なぜか麻子さんの声が辛そうで、なんでだろう、と思ったのと同時に、まさか、と思った。
「美織が死のうとしていたって、本当?」
天使が死ぬには早すぎた 隣乃となり @mizunoyurei
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