1話 風が吹く
「――――い――き――――」
耳元から微かな声が聞こえる。
「――い!――聞こ――ん――」
再び声が聞こえ、それは段々と明瞭になっていく。
「いい加減さっさと起きろってんだよ! お前ちゃんと耳ついてんのかァ!?」
耳元で鳴り響く怒鳴り声は、少年の意識を一気に現実へと呼び戻した。
「ん…………」
あたりを見渡すと、周りには石で出来た四角形の柱が並んでおり、全てが折れていたりヒビが入っていた。
床の石材で作られたであろうタイルも石柱と同じように剥がれていたりヒビが入っている。
どうやら自分はこの廃墟のような場所で倒れていたようだ。しかし、こんな場所は覚えがない。
頭も霧がかかったような感覚でうまく思考がまとまらない。
体の節々が痛い。
体を起こそうとするも、体は鉛のように重く、まるで激しい運動をした後のように疲れ切った感覚だった。
痛みに悲鳴をあげている体を無理矢理に起こす。
すると、目の前に現れたのは……。
「……笛?」
まず視界に入ったのは、紐の付いた薄い緑色の古びた笛だった。
その表面には精細な銀の意匠が施されており、芸術に全く関心のない少年でさえ、これは相当に貴重な品であろうということが推察できた。
笛は作られてから年月が経っているのか、表面には微細なヒビが入っていた。
しかし、驚くことに表面には埃一つ付着していない。 まるで誰かが定期的に大切に手入れしているような具合だった。
「よぉ、やっと起きたか」
突如として響く声に、少年は驚いて周囲を見回した。しかし、声の主は見当たらない。
「こっちだよ、こっち」
笛の中から声が聞こえたような気がした。少年は笛を手に取る。
――すると、笛の中から緑色の炎のようなものが出てきた。
「うわっ!?」
驚きのあまり、少年は笛を地面に落とし、尻もちをついてしまう。静かな廃墟内に笛の落下音が響き渡る。
緑色の炎は笛を少年が落とした後も笛の中から湧き出していた。
少年は揺らめく緑の炎に手を近づけてみるが、熱を感じることはなかった。
やがて、炎は顔のようなものを形どり始めた。
それは徐々に目や口などを形成した。
「おいおい、もっと丁寧に扱ってくれよ」
炎は、はぁ……とため息をつきながら少年をじっと見つめる。
「なんで、子供がこんな殺風景な場所にいるんだか……。お前、名前はなんていうんだ?」
「ア……ル……ト?……レ……ン……ト?」
「おいおい、なんで自分の名前も疑問形なんだよ……まぁ、そんなことはどうでもいいか。んで、坊主。お前はここに来る前は何をしてたんだ?」
アルトレントと名乗った少年は自分について必死に思い出そうとする。
しかし、頭に靄がかかったように記憶は不透明で、何も思い出すことが出来ない。
「……分からない」
「おいおい、記憶喪失ってやつか? また面倒なことになってんな」
緑色の炎は興味深そうにアルトレントを見つめる。
「お前ここがどこだが分かってんのか?」
アルトレントは緑の炎の質問に対し、首を横に振る。
「ここは、大昔――何百年前かは忘れたが、神殿だったり、研究所だったりした場所だ。もっとも、今は地下深くに埋もれちまったがな」
「笛さんはずっとここにいるの?」
アルトレントが不思議そうに尋ねる。
「俺の名前は笛さんじゃねぇ。オレにはちゃんとイフルートっていう立派な名前があるんだよ。こんなみみっちいところに封印される前は風の大魔神――暴風王のイフルートなんて呼ばれてたんだぜ? つっても、お前記憶ないから当然知らないか……」
イフルートは残念そうにため息をつく。
「じゃあ、フルートさんはなんで封印されちゃったの?」
「オレの名前はフルートじゃねぇ! イフルートだ!」
イフルートは激しく抗議した。
「ったく……近頃のガキは、ちゃんと名前を呼ぶことすら出来ないのか。全くこいつの親はこいつにどんな教育をしてたんだか」
「親…………」
思い出そうとしても、両親の記憶も全く思い出すことはできなかった。
――本当に自分に親はいるんだろうか。
そもそも何故自分はこんなところにいるのだろうか。
「記憶が無いやつに親のことについて言うのはデリカシーが無かったな。すまねぇ」 考え込むアルトレントを見かねてイフルートはバツの悪そうな顔で言った。
「別にいいよ、フルートさん。気にしてないから」
アルトレントは魔神に対し、邪気の無い笑みを浮かべる。
「……はぁ。お前と話してると調子狂うぜ。んで、さっきの質問の答えだが、人間相手にちょっとしくじっちまって、それから数千年も封印されて奴らの研究に使われてたってとこだな。まぁ、その後色々あって、今はこんな地下に人間の手を離れて放置されてるわけだが」
イフルートはため息をこぼす。
「自力で出られないの?」
「試そうとはしたさ。だが、こんな笛に封印されちまってまともに力が出せない上に、ここはオレを閉じ込めるために何重もの結界が張られてやがる。脱出は不可能だ」
イフルートは自嘲気味に笑った。その笑みの奥には、深い諦めと寂しさが垣間見えた。
アルトレントは話を聞くうちに、何千年間も幽閉されている魔神が可哀想に思えてきた。
「ずっと一人で辛くないの?」
「…………とっくに慣れたさ」
こともなげにイフルートは返す。
しかし、アルトレントには彼はどこか憔悴しきっているように感じられた。口ではそう言ったものの、長い孤独の重みは彼を蝕んでいたのかもしれない。
「お前外に出たいだろ? オレが途中まで案内してやるよ」
「いいの?」
恐る恐るアルトレントが尋ねる。その声には期待と不安が入り混じっていた。
「あぁ、……どうせ暇だしな」
イフルートはぶっきらぼうに答える。どうやら彼は口とは裏腹に面倒見の良い性格らしい。
アルトレントは笛を持ち上げ、紐を首に下げた。笛の冷たい感触が、アルトレントにこれが夢でないことを再確認させた。
「よろしくね、フルートさん」
アルトレントが笑みを浮かべながら笛に向かって語りかける。
しばらくした後、笛の中から「……あぁ」という無愛想な返事が聞こえた。
その魔風使いは杖を吹く 不労つぴ @huroutsupi666
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