第8話 師匠からの依頼
「毎度あり~」
「うう、ボーナスが飛んでいく」
「ごめんなさい」
ジェニファーさんの勧めるままにセキュリティグッズを購入した。
あたしはすっかり軽くなった財布を片手にがっくりと肩を落とす。
実際は冒険者タグに紐づけられている口座からお金が移動しただけなのだけど。
ボーナスとして入ったお金がそのまま飛んでいくのは、中々ショックだった。
「謝んなくていいよ。家の防御はしなさいってギルドからも前から言われてたんだ」
「アリーゼちゃん、油断しがちだからねぇ」
ジェニファーさんの言葉に頬を掻きながら、エルダに伝えた。
そう、あたしだけだったら、逃げればいいだけだから最低限の防衛しかしてなかった。
盗まれるようなものもないし、冒険者としてはザルと言えるほどだ。
「そういえば、今日は用事があったんじゃないの?」
ほくほくした顔をしていたジェニファーさんに言われて、あたしとエルダは顔を見合わせた。
すっかり忘れていた本題を収納袋から取り出す。
「あ、そうそう! これ、直せるかな?」
ジェニファーさんの店で買った魔道レンジ。もはや黒焦げになっているそれを、ジェニファーさんの前にあるカウンターに置いた。
「あらぁ、見事に丸焦げね」
「私が触ったら、こうなっちゃって」
「あらあら」
もう煙は出してないけれど、ススに塗れてしまっている。エルダが人差し指だけでツンツンと魔道レンジをつつく。
とても直せるようには見えないけど、ジェニファーさんは凄腕の魔道具師でもある。
あたしはカウンターに手を乗せながら尋ねた。
「どう? 直せそうかな?」
「直せるけどぉ、黒焦げなのは直らないわよ」
「使えれば大丈夫!」
「はーい。じゃ、直しておくわね」
見た目は気にしない。あたしは大きく頷きながら、両手をガッツポーズのように握りしめた。
ジェニファーさんはポンポンと魔道レンジの筐体を軽く触るとにっこりと笑顔を浮かべた。
さすが、こんな見た目でも直せるらしい。
魔道レンジを持ったまま一度店の奥に戻ったジェニファーさんは戻ってくるなり衝撃的なことを言い放った。
「あ、そういえば、リンダの依頼出てたわよ」
「えぇ?! 師匠の依頼が?」
リンダ。リンドリン・ウィンドリダー。
あたしを育ててくれた人で、配達人のノウハウを教えてくれた人。
あたしが一人で働けるようになったら、自分の夢のためにフラフラしている。
ジェニファーさんと師匠は前からの知り合いみたいで、小さい頃からよくこの店に連れてきてもらった。
「アリーゼちゃんが配達に行ってる時に出たみたいよ」
「師匠の依頼ならマッピング依頼ですよね?」
「そうだったわよぉ。わたしもチラッと見ただけだから、はっきりとは把握していないけど」
もっと詳しく知りたくて、カウンターににじり寄る。
あたしの勢いにジェニファーさんは苦笑しながらも教えてくれた。
マッピング依頼。ダンジョン内部を地図に起こす仕事だ。
普通なら地図をもとにダンジョンを進むのだけれど、何もなしで自分の身体を使って地図を記載していく。
トラップや抜け道がどこにあるかも分からない。危険度が高い仕事。
だけど、あたしの中にあるのはワクワクした気持ちだけだった。
「うわー……うわー……新しいエリア、見つけたのかな」
「あの、アリーゼ? お師匠さまからの依頼というのは?」
ソワソワしてしまう。今すぐにでもギルドに行って、依頼内容を確認したい。
マッピングは不人気の依頼だから、なくなることはないだろうけど。
と、事情のさっぱりわからないだろうエルダがあたしとジェニファーさんの間で視線を彷徨わせてから、聞いてきた。
「んとね、あたしの師匠はマッピング専門の冒険者なの!」
「マッピング専門……?」
「新しいエリアを見つけたり、そこの地図を作ったり。戦ったりはしないけど、一番冒険者としてのワクワクがある仕事なんだよ」
指折り数えながら教える。
あたしは本業が配達、その次に多いのが採集の依頼。マッピングの依頼は滅多に出ないけれど、一番好きな仕事だ。
浮かれたあたしの様子を見て、エルダがまるで子供を見るような顔で言った。
「へぇ、好きなのね」
「うん!」
「相変わらずねぇ、アリーゼのリンダ好き。あんな風来坊みたいな人間にはならない方がいいわよぉ」
ジェニファーさんから横槍が入る。
ジェニファーさんと師匠は旧知の仲のようで、よく店に連れてこられては二人のやり取りを見ていた。
気の置けない仲とは二人のような関係を言うのだろう。
「まぁ……あれは、もう、そういう人ですから」
師匠の放浪癖は治らないだろう。
あたしが小さい頃から、ちょくちょく家を開けて外に出ていたくらいだ。
新しいものを発見するのが何より好きな人で、影を踏むことさえむずかしい。
「あなたみたいな配達人を育てた人なら、私も会ってみたいわ」
「あら、エルダちゃんは、アリーゼの配達を見たの?」
「見たというか……体感したというのが、正しいかしら」
エルダがダンジョンでの移動を思い出したのか、顔色を悪くした。
唇の端が引きつっている。人を背負っている分、ゆっくり丁寧に走ったつもりだったのだけれど、難しいものだ。
ジェニファーさんがエルダの反応に目を丸くした。
「体感って……あの人間離れした移動を?」
「おんぶしてもらったのよ」
「それはそれは。貴重な体験だけど、あたしなら遠慮したいわねぇ」
「ふふっ」と噛み殺そうとした笑いが漏れていた。
エルダはジェニファーさんに同意するようにがっくりと肩を落としている。
人間離れしたって、ただ走っているだけなのに。
あたしは唇を尖らせた。
「ジェニファーさんをおんぶして走るのは、ちょっと遠慮したいかなぁ」
あたしの一言にジェニファーさんの瞳が鋭く光る。
「あら、どういう意味かしらぁ?」
「だって、絶対、その胸が当たって集中できないもん!」
エルダとなら、背格好は殆ど変わらない。
少しエルダの方が大きいかもしれないが、背負うときに邪魔になるほどじゃない。
だけどジェニファーさんは、あたしより頭一つ分は大きいし、体つきも男の冒険者の目が釘付けになるくらいボンキュッボンだ。
「ふ、ふふっ、ありがとぉ。それは、褒め言葉よ」
堪えられなくなったのか、お腹の前に手を当てて、ジェニファーさんが涙をにじませる。
目尻から溢れる涙を拭う仕草は色っぽいのに、理由が笑い過ぎだから締まらない。
「ちょっと、アリーゼ?」
何がそんなにツボに入ったのだろうと首を傾げていたあたしの肩をエルダが掴んだ。
あたしは今さら失敗を痛感しつつ、エルダを振り返った。
「ん、なぁに?」
「それは私のときは邪魔にならないってことかしら?」
「あ、ははー……そうとは言ってないけど」
エルダの瞳が燃えていた。
いや、女の子が体形に敏感なのは理解しているけど。でも、ジェニファーさんと比べるのは色々分が悪いと思うわけで。
事の発端のはずのジェニファーさんはもうニヤニヤしているだけだった。
「あ、師匠のクエスト見なきゃ! ほら、エルダ、行こう」
「まだ話は終わってないわよっ」
「気をつけてねー」
魔道レンジは預けたし、師匠のクエストは見たいし。
あたしはエルダの手を取るとジェニファーさんの店を飛び出た。
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