第3話 わがままな遭難者
モンスターの気配がないことを確認して、魔除けの香を焚く。柑橘系の匂いがほのかに広がった。
ダンジョンの中で使うことは限られていたが持っていてよかった。気休めにはなるだろう。
あたしは目の前で保存食のパンを口にする少女に目を向けた。
見るからに上流階級の人間だったから、硬いパンなんて食べれないと言われたらどうしようと思っていたのだが……杞憂だったようだ。
「ヤーパンからルーンフェルに……?」
「そう! 家でトラブルがあったから急ぎで帰りたかったのだけれど」
あたしの渡したパンを3つも食べた彼女は、お腹が満たされたのか倒れた理由を話し始めた。
ヤーパン皇国は技術立国と言われており、魔法から魔道具の開発まで技術と言われるものの研究を盛んに行う国だ。
そのため留学生も多く、いろんな国の人間がいる。
ルーンフェル王国は魔法大国と言われており、代々魔力が凄まじい王族が収めている。
「ダンジョンの内部を通り抜けるには、それなりの準備が必要だよ」
彼女の無謀としか思えない行動に苦笑するしかない。
ヤーパンとルーンフェルはそれなりに離れている。
配達人でもない人間が通り抜けるなら、案内人が必要だ。
冒険者であっても一人で通ろうとする人間は珍しいだろう。
「ダンジョンは生きているって言われるくらい構造に変化があるんから」
いつの間にか新しい道ができたりする。
道で済めばいいけどトラップが増えることもあり、絶対に安全と言われる道はない。
多くの人が使って安全性が高い道はあるけれど。
あたしの言葉に彼女は何度も大きく顔を上下させた。
「どおりで見たことない場所を通ると思ったわ」
「いや、それだけじゃないと思うけど」
そのせいで迷ったと言いたそうな態度に、あたしは苦笑を深める。
(ルーンフェルを目指してソルフィヨルドは逆に難しいんじゃ……?)
彼女がヤーパンから出発したとして、普通の冒険者だったら2日でつく。
だが、ソルフィヨルドに近いこの場所は真反対にあるのだ。
途中でトラップにかかって飛ばされたか、よほどの方向音痴じゃないかぎり、こっちにはたどり着かないだろう。
あたしの言葉に彼女は腕を組んでじっと見てくる。赤い瞳が刺さるようで、いやに圧力を感じる視線だった。
「あなた、ダンジョン配達人って言ったわよね?」
確かめるような言葉に嫌な予感が増す。
静かにつばを飲み込み、恐る恐る頷いた。
「うん、そうだけど」
「なら、私をルーンフェルに連れていきなさい」
はっきり、きっぱり言い切った彼女に天を仰ぐ。
「えぇ……?」
困惑。
こんなに分かりやすい無理を言ってくる人を久しぶりに見た。
しかも、申し訳そうな雰囲気などは少しもない。
自信満々に、まるでそうすることが当然というような態度だ。
あたしは小さくため息を吐いた。
「食料もあげたし、もう自分でいけるんじゃない?」
「私は燃費が悪いの。また道に迷ったら、どうするつもり?」
三つも食べる時点で、燃費が悪いのは何となく察している。
そして、どうやら自分が方向音痴、もしくは準備不足ということも理解しているようだ。
あたしは両肩を耳につけるように上げて見せた。
「えぇ……それは自己責任ってことで」
「とにかく、一度ソルフィヨルドに寄ってもいいから、私をルーンフェルに連れて行って」
じり、と少しだけ距離をとったあたしの服の裾をしっかりと少女の白い手が掴む。
逃がす気はないらしい。
あたしはもう一度小さく息を吐く。
「本気? 人の配達って、すごく高額になるけど」
「お金は気にしなくていいわ。とにかく急いでるの!」
赤い瞳が真剣さに燃えているように見えた。
込められた力に握られた手は震えている。
ヤーパンからルーンフェル。見るからに上流階級な格好。準備不足なのに飛び出してきたお嬢様。
面倒くさそうな案件に決まっている。
どうせ、保護しないといけないのは決まっているし――あたしは覚悟を決めた。
「わかった。わかったよ。今は仕事で忙しいから、ソルフィヨルドで終わってからね」
「仕方ないわね」
パタパタと手を振り、震える彼女の手を外す。
連れていくならスピードダウンは否めない。
そうなると、明日中にヴァルクランドに帰るためにもなるべく早く出発したい。
「ほら、じゃ、行くよ?」
「ええ!」
つないだ手のまま彼女の手を引っ張る。
満面の笑顔で立ち上がろうとした彼女の顔が固まった。
「どうしたの?」
「……まだ、足に力が入らないの」
「えぇー」
まさかの立てない状態のようだ。
パンをあれだけ元気に食べるから、もう大丈夫なのかと思ったのに。
どうしようかと顔をしかめたあたしの手を彼女は放した。
腑に落ちない行動に彼女を見つめる。
「急いでるんでしょ?」
「まぁ」
急いでる。だって、国書の指名配達だ。
彼女は座り込んだ状態のまま、それなのに偉そうに腕を組んで胸を張った。
「行ってもいいわよ?」
「え」
「で、すぐに終わらせて迎えに来なさい」
「えぇ」とため息とも呆れとも、自分でわからない声が漏れた。
人気のないダンジョンでも、すぐに消えていくような大きさだ。
本音を言えば、それが一番早いんだけど。
あたしは座り込んだままこちらを見上げる少女に視線を落とす。
「無茶苦茶だねぇ……」
強気なことを言っているわりに、彼女の瞳は小さく揺れ動いていた。
強く握りしめられて手も小刻みに震えている。
怖いくせに、強気で。わがままなくせに、優しい。
(なんで、帰ってくると信じてるかな?)
配達人というか冒険者には遭難した冒険者を助ける義務がある。
だが、助けなくても、見て見ぬふりをしても、罰せられることはない。
それほどダンジョンは未知で危険な場所なのだ。
だから、あたしが国書の配達を優先して、彼女をこのままにしていっても問題はないのだ。
「君、身体接触で面倒にならない人?」
「君って……私はエルダよ。名前で呼びなさい」
「さいですか。あたしはアリーゼだよ」
とはいえ、あたしはすでに彼女――エルダを助けると決めていた。
残るのは助ける方法だけ。
面倒事の匂いがするのでわざと聞かなかった彼女の名前を呼ぶ。
「で、エルダ、どうなの? 呪われるとか結婚相手しか触っちゃいけないとか……ある?」
「ないわ。そんなのあったら、留学できないじゃない」
そうだろう。大抵の人はそういう面倒な決まりは持っていない。
だけど、その面倒に巻き込まれる可能性が高いのがダンジョンという場所でもある。
あたしはエルダの答えにうんうんと頷くと、もう一度彼女の手を取った。
「そっか。じゃ、ちょっと我慢してね」
「きゃっ」
彼女の手を取り、首の前で両手を組む。
それから前傾姿勢になって立ち上がった。
力が抜けた人間を背負った配達人の出来上がりだ。
可愛らしい声が耳元で聞こえて、あたしはからかうように笑った。
「ちょ、まさか」
背中の上で暴れるエルダを手で押さえる。
重くはないけれど、暴れられるとスピードが出せないのだ。
「置いていくのも怖いし、急ぎの仕事だから、乗り心地は我慢してね」
「まさか背負っていくつもり?!」
「あはは、体力だけは自信があるんだ」
「よっと」と言いながら、エルダの位置を調整する。
魔除けの香はちょうど良くなくなるところだった。
屈伸、軽いジャンプと状態を確かめる。
動くたびに怖いのかエルダの腕の力が強まった。
「ちょーっと急ぐから、舌噛まないでね?」
左足を前にして、右足を少し後ろに引く。
それから体重を前足にかけて、あたしは思い切り地面を蹴った。
「ひゃっ」
一瞬で景色が後ろに流れていく。
エルダの小さな悲鳴だけが、その場に取り残されったようだった。
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