第1話後半

「ジュース飲む?」

 自販機を見ながら甘宮は言った。

 眼鏡をしていないから表情がうまく見えない。

「今お金持ってないからいい」

 僕は首を横に振った。

「そう。じゃあ奢ってあげる。今日は割と世話になったし」

「ん、割と?」

「参考書とか見せてくれた」

「いや、そうだけど」

 お世話していないなんて気取ったわけじゃなくて、めちゃくちゃお世話したよね? って言いたかったんだけど。

 少しだけ眉をひねり、不満顔をしてみた。

「で、何飲む?」

 甘宮は僕の不満顔を無下にしてしまった。

「——別にいいよ奢らなくても」

「え、なんで」

「だって参考書見せただけだし」

 もしもそんなんで奢ってもらっていたらこれから先、ほぼ毎日お前からジュースを奢ってもらうことになってしまう。そうなってしまえば僕は毎日サイダーを飲んじゃって太るじゃないか。

「じゃあ、飲みきれなくなったときはもらって」

「……そんなことあるのか?」

「もちろんある」

「じゃあなんかサイダーで」

 そう言うと甘宮は自販機の前を睨み始めた。

「うんじゃあこれにするから。文句は言わないで」

 一体何にしたんだろうか。

 眼鏡をしていないと何を選んだのかもよくわからない。

 一応僕が飲むんだから何を買ったのかぐらいは見ておきたい。

 ——しかし、今、この登校中に眼鏡をかけて”あいつ”を見るのは嫌だ。

 しゃがみ込んで何かの缶を取り出した甘宮は空に掲げて口を付けないように飲み始めた。

 なんだか、その姿がとても満足そうな表情をしていそうだな、と思えてしまった。

 どんな表情をしてその缶を飲んでいるのだろう。

 案外、普通にコーラを飲んでるのかもな。

「…………」

 ……一瞬だけならいい、でしょ。

 僕は眼鏡を取り出した。

 鮮明になった視界に映ったのはなんて素晴らしいことに甘宮の姿だけだった。

 え! なんで。

 甘宮の表情はにっこにこだった。喉の動きから割とぐいぐい飲んでいるのが分かる。

 で、やっぱり買っていたのはコーラで、たかがコーラを飲んでいるだけなのにあんなに幸せそうな表情をして飲んでいる。

 ——これだけを見れば悪霊なんかに憑りつかれている女の子だなんて全然思えない。

 何ならちょっと可愛……。

 …………?

 ???

 息が止まった。

 目をつぶれない。

 まるで金縛りにあったみたいに。

「……うん。悪くない。やっぱりコーラだね——ほら工藤」

 甘宮は僕の前にコーラを差し出してきた。

 ——しかし、どうしても僕の目は甘宮の頭上に持っていかれてしまう。

 空の上に、猫背のボロボロの布切れを纏いフードに顔を隠した黒い何かが浮いていた。

 フードの中に薄っすらと見えるのは肉のえぐれた舌を放りだしながら朽ちた肉の残るドクロの顔。骨の要素が多すぎてしっかりとはわからないけど……眉間にしわが寄っている、気がする。

「ほら、口付けてないから飲みなよ」

「——うん」

 襲る襲る受け取ろうと手を伸ばすと、——バッと骨ばった四肢を広げ威嚇するかのように頭上から甘宮を囲むようにした。

 何それ、もらうなってこと……?

「工藤?」

 こんなことになるんなら、眼鏡なんてかけなきゃよかった。

 久しぶりに見るぼやけない甘宮を見てもそう思ってしまった。

「——っな!」

 僕は気が付いてしまった。

 さらに恐ろしい事実に。

 悪霊の四肢のうち一つの指先をよく見ると缶の上に伸ばされていた。

 ——そしてその指先からドロドロとした赤い液体を一滴一滴、少しずつ垂らしていた。

 何をやっているんだ……?

 え、何してんだ?

 何入れてんの?

 それやばくない?

「工藤?」

「——あ、ああ、甘宮」

 甘宮、動かないでくれ、今あまり刺激しないほうがいい。絶対。

 そんなこと思っても意味はないんだけど、つーか言ってもダメだろうってわかるけども。

「別に口付けてないって。おーい」

 揺らすな、甘宮、缶を揺らさないでくれ。

 液体がずれてしまっているから……。

 ちらりと悪霊の顔を見てみると——うわ! 目が飛び出してんだけど⁉

 ネズミに噛まれたかのようにえぐれた目玉が奥底から飛びだしている。

 めちゃくちゃ怒ってるみたいなんだけど。

「甘宮、あの止まって」

「?」

 甘宮は素直に缶を揺らす謎の動きを辞めてくれた。

 これでなんとか、怒りは沈めてくれたか?

 僕は息をのむ。

 そして、悪霊の顔をまた覗く。

 ——駄目だ、目が引っ込んでいない。

 すると、悪霊は四本あるうちの一本の腕を残りの三本で掴み缶の上に掲げた。

 ——グシャッ!!

 なんだかガクッと肩の荷が下りた気がした。

 いや、安堵したからじゃなくて、もう手遅れなんだと確信して。

 なんでって……悪霊は掴んで手を捻じって大量の液体を缶の中に注ぎ込んだ。

 それはもうサービス精神旺盛で、大盛、大盛。

 もはや缶から溢れ出るんじゃないってほどに。

「いらない? なら私飲むけど」

 ふいに甘宮が気が狂ったのかその汚れてしまった缶を飲もうと手を伸ばし始めたのだ。

「っ待って!!! 飲むから!!!」

 とっさに手を伸ばして缶を奪い取ってから若干声をかすらせながら叫んだ。

 ——こんなの人間が飲んでいいわけねー!

 僕はすぐに飲むふりをして手を滑らせた。

 缶は地面に落ちてしまい、中身をぶちまけた。

 幸い中身に入れられた謎の液体が外に出ることはなく、コーラだけが出た。

「おいおい、工藤。焦りすぎ。零れてる」

「あ——ごめん。明日お金返す!」

「いや、いいよ。甘宮に買う予定だったし」

「あ、ああ、そっかーなら、うん」

 この時僕は眼鏡を外していればよかったのだ。

 そんなことを知らずに僕は笑う。

「じゃあ、もう一本買うから、今度は気を付けてね」

「へ?」

 甘宮はどういうわけか、また自販機の前に立ちコーラを入手した。

 そして開けてから僕に差し伸べてきた。

 で、やはり悪霊は再び謎の液体を入れてきた。

「甘宮……あの」

「あ、大丈夫、これも私が飲もうと思ってただけだから」

 そうじゃないよ! そうじゃないから。

 甘宮から受け取った缶を僕は見た。

 中身を見ても、中は暗く何が入っているのかすらわからない。

 ——これ、飲んでいいの?

 さすがに二回ぶちまけるなんてことはできないし、このまま返すわけにもいかない。

 どうする工藤たくみ!

 僕が戸惑っていると甘宮が口を開いた。

「もしかしてそんなに喉乾いてない?」

「え、あいや」

「無理になら飲まなくていいけど、私飲むよ?」

 と、手を伸ばしてきた。

 ——これの手を取ればこれを飲まずにいられる?

 こんなゲテモノまがいのコーラを飲まないですむのか!

 …………。

「あ、甘宮さぁ」

「ん?」

「もしも倒れたら救急車じゃなくて霊媒師とか? 呼んでね」

「?」

 僕は缶に口を付け全力で飲み始めた。

 こんなの甘宮にのませられるわけないだろ!

 味覚を封じるために鼻呼吸を静止させ勢いに任せて喉に押し込む。

 しかしいくら呼吸を静止させたとは言え微妙に味は感じる。

 ——こ、こーら?

 コーラだぞ?

 味はコーラ。

 ……感覚もそんなどろってしてないし。

 飲んでいた途中で口を離した。

「普通に、上手い……」

 別になんかやばいの飲んだって感じしない。

 ——そうだ、そうだよな。そもそも缶にコーラが満たされてんだから普通入れば溢れ出るに決まってる。

 そもそも悪霊に実態があるとは限らないんだからさ。

「工藤……めっちゃ飲むね」

 甘宮が少し引いた顔でこちらを見ていた。

 その顔はないでしょうよ。

 なんのためにこんな死ぬ思いしたと思ってんのさ。

 僕は呼吸を乱しながら甘宮に飲みかけのコーラを手渡した。

 ——眼鏡はもう下校中はしない。

 いや、食事中は絶対に。

 僕は眼鏡を勢いよく外した。

 そして祈りながらしまい込んだ。呪物を封印するかのように。

「工藤。やっぱりコーラだよね」

「え、——あぁうん。ね」

 甘宮は缶を口にしながらにっこりとした笑みでそう呟いた。

 もう少し後で封印すればよかった、と僕は本気で思った。

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隣の席の子にヤバめの悪霊が取り憑いていた。 真夜ルル @Kenyon_ch

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