第40話 存在しない記憶①

 学生服に身を包んだ生徒たちが、教室で各自の席に座っている。濃紺のブレザーに、男子はチェック柄のズボンを、女子はチェック柄のスカートを合わせている。


 しかし、ある男子はカッターシャツから透けるように派手な色のTシャツを中に着ていて、ある女子は一見素顔に見えるその唇に淡い色のついたリップを引いている。校則という狭い檻の中で、彼らは各々の個性を出そうとやっきになっていた。


 始業のチャイムまで、あと数分。がやがやと教師の到着を待つ彼らの間で、こんな会話が交わされていた。


「今日から、転校生が来るらしいぜ」

「えっ、そうなの? 男? 女?」

「男」

「えー、俺、女がよかったよ」

「俺もそう思う。あ、でもどっかの国の帰国子女だって聞いてた。ちょっと面白そうじゃん?」

「日本語しゃべれるのかな?」

「さあな」


 チャイムが鳴り、教室のドアがガラガラと開けられた。四十がらみの男性教師が入ってきて、その後ろに着いてきた人物に、生徒一同にどよめきが走った。


「おっさんじゃん!」


 男は筋骨隆々の体格で、鋭い目つきをしていた。長い黒髪を後ろで束ね、額には深い皺が刻まれている。顔には戦いの傷跡がいくつもあり、一つ一つが過去の戦歴を物語っていた。その手には青龍偃月刀が握られており、刃が鋭く光っている。


 教師が教壇に立ち、口を開いた。


「今日からこのクラスで一緒に学ぶことになる仲間だ。君、自己紹介を頼むよ」

「分からん! まったく意味が分からんぞ! ここは一体どこだ! それに貴様は一体なんなんだ!」

「ハッハッハ! それが君の国のジョークかね? いやあ、実に愉快だ!」


 男の恫喝に対し、教師は臆することなく一笑に付した。バンバンと男の背中を叩く教師に、緊張した面持ちだった生徒たちからも、笑い声が漏れ始めた。


 強面の男は顔をみるみる赤くし、肩をいからせ震えていたが、やがて観念したかのように、教壇の上で前を向いた。


「ア、アモウです。今日からみなさんと一緒に学ぶことになりました。ヒトツクという世界から来まして、そこでは盗賊団の頭をしていました。趣味は武器の収集と、強敵と戦うことです」


 そこでまた、どっと、笑い声が起きた。


「おい、聞いたかよ! 厨二だ! 厨二病患者だ!」

「強敵って書いて、友って言うんじゃねえ?」

「たぶん、なんかのコスプレだよな。異世界転生とか、めっちゃ好きそう」

「にしても、どーなってんだ、その国のギャグセンス! いくらなんでも、すべりすぎだろ!」


 スクールカースト――年頃の子供たちが集まり集団となれば、その中でどうしても順位をつけたがる。悲しいかな。この自己紹介により、アモウは一瞬にしてスクールカーストの底辺に属することが運命づけられたのである。


 口々にアモウを茶化す生徒たちを前にして、教師は不自然なほど微動だにしなかった。どれほど、その時間が続いただろうか。何かに気付いたかのように、ぽつりぽつりと生徒の声がやんでいった。

 

「……はい。静かになるまで、10分29秒かかりました。前よりも少し記録が更新されました。……おめでとう。君たちが少しずつでも成長していることに、先生、涙が出そうだよ」


 目頭を抑える教師に「せんせー。そいつ、どこの席になるの」と生徒の一人が気だるげに言った。


「ああ、そうだったな。ええっと――」

さかきの隣が空いてんじゃん。底辺同士、お似合いじゃね?」


 教室のほぼ全ての目が、その言葉を発した生徒に向く。校則破りの茶髪ツンツン頭の男子が下卑た笑みを浮かべていた。スクールカーストの頂点でも底辺でもない――その外側にいる、俗にいう不良であった。


「こら、ひとこと余計だ、小松原。だが、そうだな……たしかに席はそこがちょうどよいかもしれん。それじゃ榊、アモウくんとは仲良くするように」

「なっ! サカキだと!? ……いや、違う。あいつはデブだし、おっさんだった。お前は……誰だ?」


 線の細い、色白のメガネ男子がそこにいた。その瞳には皆既日食を思わせる、神秘の輝きが宿っている。妖精のように儚げな少年だった。アモウと目が合うと、ふっと輝きが揺らぎ――そのメガネ男子以外、すべてがモノクロになり、時間が止まった。


 つかつかとアモウが歩み寄り、メガネ男子の胸倉を掴む。


「ちょ……苦しいってば」アモウが手を離すと、ようやくメガネ男子は話し始めた。「誰って、俺だよ、サカキだよ。ってか失礼だな、あんた。まあ、それはいいとして、俺も何が起きてるかさっぱり分からんが、おそらくこいつのせいだ」


 そう言ってサカキは自身の瞳の金環を指す。


トランスパワー。創造主からもらった、無限の可能性を思念によって現実にする力……平たく言えば、思いの強さがあれば、何でもできるって力だ。それが、この疑似世界を創り出した……気がする」

「お前の思いってなんだよ」

「言わせんな恥ずかしい」


 サカキはぷいとアモウから顔を背けた。アモウは口を横一文字に結び、机の上にドカッと座った。


「一体、何をしでかしたか知らんが、ここがお前の創り出した世界だというなら、さっさとここから出すんだな」

「言われる前に、やってみてる」

「なんだと!?」

「まだ、この力は目覚めたばかりで使いこなせていないんだ。まあ、一種の力の暴走みたいなもんなんだろう」

「なぜ、お前はこの状況でそんなに冷静でいられる!」


 アモウはサカキの座る席を、ガンと蹴った。それを意に介さないかのように、サカキは儚げに笑う。


「まあ、そんなにイライラしていても仕方ないだろう。ここから出られるまで、共闘といかねえか?」

「共闘だと?」


 アモウが鼻で笑った瞬間、モノクロの世界が急激に色づき、時間が動き出した。


「そんなものは不要だ! 俺の、この力で、すべてを叩き壊してみせるわ! 手始めに俺を馬鹿にしやがったコイツからだ!」


 アモウは青龍偃月刀を構え、不良生徒の小松原に襲いかかった。教室に鈍く、生々しい音が響いた。


「いってぇ! なにしてんだよ、このクソ野郎!」


 周囲からの悲鳴の中、小松原は腕一本で青龍偃月刀を防いでいた。奇妙にも刃が腕を切断することはなく、鍔迫り合いが起きている。ガンを飛ばし合い、アモウが徐々に押されていく。


「どおりゃあ!」小松原が青龍偃月刀を弾き飛ばした。「てめぇ! 底辺はおとなしく! 底辺らしくしとけっ!」


 小松原の拳が、がら空きになったアモウの鳩尾に深々と突き刺さる。


「ぐぼぁっ!」


 くぐもったうめき声とともに、盗賊団の頭たる巨躯は、カエルが潰れたような無様な姿で教室の床に転がった。泡を吹き、痙攣するアモウの姿に、教室中からクスクスと嘲笑が湧き起こった。


 サカキは意識を失ったアモウから目をそらすと、自分の両腕をきつく抱きしめた。


「……無理だよ、アモウ。この疑似世界において、スクールカーストは絶対のことわり。底辺に位置する人間が、他の位階の人間に逆らうことは叶わない。なんてったって、高校時代に底辺だったこの俺が、無意識で創り上げた世界なんだからな」

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