第37話 サイレントナーフ
カチッ。
脳に響くフラグの立つ音を、サカキは久々に聞いた気がした。50mプール程の広さの空間に、あれほど大量にいた盗賊たちが全滅し、サカキとエデルは二人、ぽつんと立ち尽くしていた。
「サカキ殿。どうやら、このモンスターハウスとやらで、洞穴は行き止まりのようだが」
「いや、さっき聞こえたんだ。フラグの立つ音が。これで何かが起きるはずだ。まずは壁伝いに調べてみよう。エデルはそっちからな」
「承知した」
二人は壁をつぶさに観察しながら、モンスターハウスの外周を歩いていく。そのうちに、壁の一部が他と違う質感を持っていることにサカキは気づいた。壁の等身大ほどの面積に違和感があった。慎重にその部分を押してみると、壁を構成していた岩が音を立てて崩れ落ちた。人が一人通れそうな大きさの穴が開いてしまった。
「うーん。ベタだねえ」
穴の中を覗くと、暗くてよく見えないが奥まで続いているようだ。サカキは少し離れた場所を調べていたエデルを呼び寄せた。エデルも穴の中を覗いて、顎の髭をいじった後でサカキに向き直った。
「これは……隠し通路か?」
「まあ、そうだろうな」
「壁が崩れ落ちた後、どうやって元に戻しているのだろう。人力か? まさか勝手に元通りになるとか……」
「そういうの、ツッコんではいけないところなんだぞ」
「むむむ。サカキ殿がそう言われるのなら、そうなのであろうな」
少し納得はいっていないようだが、ようやくエデルも色々分かってきたなと思ったサカキであった。
「エデルは、この先に何があると思う?」
「うーむ。やはり盗賊団の頭がいる部屋だろうか」
「俺もそう思う。ボス部屋ってやつだな。そこへ入る前に、まずやるべきことは何だと思う?」
「敗北しそうになってもゲームリセットして、すぐに再戦ができるようにゲーム開始位置を更新するという訳だな」
「いや。今回はゲーム開始位置を更新する前に、ちょっとした儀式が必要になる。エデルはここで少し待っていてくれ」
サカキはそう言って、最初に来た道を戻っていった。ほどなくして戻ってくる。
「大丈夫みたいだな。よし、ゲーム開始位置を更新だ」
「サカキ殿。これは一体、何の儀式なのだ?」
「もし、すぐにゲーム開始位置を更新してしまって、盗賊団の頭が強すぎて勝てない状況になった時、ミール村に戻りたいと思ったとしよう。盗賊たちを全滅させたフラグをきっかけに、ここから出られなくなっていたらどうなる?」
「詰み……だな」
「そういうことだ。『逃がさん、お前だけは』とか言われるイベントが発生してしまっていたら、どうしようもないだろう? 閉鎖空間でのイベント進行中にゲーム開始位置を更新する時は慎重に、ということだ」
「な、なるほど。さすがはサカキ殿だ」
サカキとエデルは、慎重に隠し通路の中へと足を踏み入れた。通路は狭く、二人が並んで歩くことはできない。サカキが先頭に立ち、エデルが後に続く形で進んでいく。サカキは手探りで壁を感じながら進んでいった。
しばらく進むと、前方に微かな光が見えてきた。通路の先には広い部屋があった。部屋の中央には大きな木製の机があり、机の後ろには頑丈そうな椅子が置かれていた。その椅子に座っている男が、盗賊団の頭なのであろう。
男は筋骨隆々の体格で、鋭い目つきをしていた。長い黒髪を後ろで束ね、額には深い皺が刻まれている。顔には戦いの傷跡がいくつもあり、一つ一つが過去の戦歴を物語っていた。その手には青龍偃月刀が握られており、刃が鋭く光っている。
「ここまで来るとは、なかなかのワザマエだな。だが、ここで終わりだ」
男が青龍偃月刀の切っ先をサカキの方へ向けた。サカキもインベントリから槍を取り出し、男に向かって言う。
「ようやく、ここまでたどり着いたよ。ずいぶん回り道をしたけど、お前を倒せば、おそらく髑髏のカンテラの情報が手に入る。全ては女盗賊を……トネリを救うためだ。俺たちはお前を倒してみせる!」
「ここで終わりだと言ったはずだ!」
男は青龍偃月刀を高く振り上げると、力強く机に叩きつけた。木製の机は一瞬で真っ二つに割れ、破片が四方に飛び散った。サカキはその衝撃に一瞬たじろいだが、すぐに戦闘態勢に入った。
「やれ! エデル!」
「承知した!
エデルの仕込み杖から黒い炎が男に向かって放たれたが、男は笑いながらそれを受け止めた。
「なんだ? そのへなちょこ呪文は?」
男の顔があざけるように歪み、エデルの顔は驚愕の色で染め上げられた。サカキも目を丸くさせながら、この状況を必死に理解しようとして、一つの可能性が浮かび上がった。
真相は分からない。事実は、
盗賊団の頭とは、一般の盗賊以上にステータス差があり、普通に戦っては勝つ見込みはない。――サカキは瞬時に決断した。
「ゲームリセット!」
◇
サカキとエデルは、モンスターハウスへと帰還した。サカキは疲れた表情で周囲を見渡し、エデルも肩で息をしながら仕込み杖を鞘に収めた。
「サカキ殿! 奴には
「これは推測なんだが、おそらくサイレントナーフだ」
「サイレントナーフ?」
「プレイヤーが知らないうちに、ゲーム制作者……つまり創造主によって
「このタイミングで、そのような所業をなされるとは……」
「俺もそう思ったよ。確かに壊れ呪文だったが、てっきり創造主も承知の上で対策をしていないと思っていた。何か心境の変化でもあったかもしれないが……真相は闇の中だ」
「そうか……しかし、
エデルの問いかけに、サカキはある戦法のことを話した。その戦法とはゾンビアタックと呼ばれるものである。
ゾンビアタックとは、何度も何度も敵に挑戦し、少しずつその体力を削っていく戦法である。倒されてもすぐに復活し、再び挑戦することで、最終的には敵を倒すことができる。この戦法は時間がかかるが、確実に敵を追い詰めることができるのだ。
ただし、ゲームリセットは敵の体力も回復してしまうため、
「しかし、サカキ殿。あの鬼のように強い盗賊のさらに上の力を持つ、盗賊団の頭にどうやって有効打を得るおつもりか」
「それは、もうアレしかないだろう。ホブゴブリンの時にやったアレだ」
「ああ! クリティカルヒットか!」
「そうだ。ゾンビアタックで、ひたすらクリティカルを狙うことで、盗賊団の頭に打ち勝つ!」
「なるほど! しかし、無限に取り出すことができるとはいえ、奴を倒すには一体どれほどのエリクサーが必要になるのであろうな」
エデルは冗談めかして言ったようだが、その言葉をきっかけとして、サカキに一抹の不安がよぎった。――お腹タプタプ問題である。
この世界の回復薬は飲み薬タイプであり、いくらプレイヤー権限でエリクサーを使い放題であっても、摂取量すなわち胃の容量に限界があるのだ。お腹がタプタプになってしまっては、エリクサーを飲むことができない。
どうしたものかと考えた末、サカキの頭にひらめきが訪れた。少し恥ずかしいからと言って、エデルをこの場で待たせ、隠し通路で一人何かごそごそとするサカキであった。エデルは壁に耳を当てて様子をうかがっており、隠し通路から時々「ウッ!」と苦しむような声が出るたびに、体を反応させた。
「待たせたな、エデル。エリクサーの連続摂取による、お腹タプタプ問題は解決したぞ」
サカキの装備が変わっていた。青銅の胸当てではなく、冒険者の外套を身にまとっていた。これは全身を隠すように覆う装備で、冒険者たちの間で広く使われている基本的な装備である。
「サカキ殿! 恥ずかしいこととは一体なんだったのだ!」
「何って……別に大したことじゃないぞ」
耳の先まで赤くなっていたエデルを変な奴だと思いながら、サカキはエデルを連れ立ち、盗賊団の部屋へと再突入した。
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