第26話 やっぱり苦手な彼女
結局、風の囁き亭が店じまいする時間まで飲み続けたサカキたち一行であり、近年まれに見るレベルに仕上がってしまったサカキは、エデルに肩を貸されながら宿に戻った。ミール村での情報収集の他、仲間に新規加入したフランクリン、エマとの親睦を深める目的とした会であったが、その成果は上々のものと言えよう。
朝方、宿の部屋で目覚めたサカキはある異変に気付く。しこたま飲んだにも関わらず爽快な気分であり、全く二日酔いになっていないのである。原因としては、創造主が存在する次元で作られた肉体に転生した影響によるものと考えられた。これは慢性的な肩こり解消に続く朗報である。
やはり、一つ上の次元の肉体は素晴らしい。サカキは地味な喜びをかみしめつつ、ベッドから降りて部屋の窓を開けた。
朝チュン。やましい意味ではなく、本当に鳥のさえずりが聞こえていた。
宿の部屋は2階にあり、ミール村の風景を少しだけ上から見ることができた。それなりに年季の入った木造の建物がまばらにあって、それを除く大部分は農地であり、早朝から作業する農夫の姿が幾人か見えた。魔王の軍勢からの侵攻にさらされているとは思えないような、のどかな風景である。
新鮮な外からのそよ風を感じ、サカキは胸いっぱいにその空気を吸い込んだ。
思えば、エターナルの海に飛ばされてから牢屋で数日過ごす羽目になり、脱出してからもずっと野宿であった。昨日はこの宿に泊まっていたが、死んだ後の蘇生明けであり、それをノーカウントとすると実質この世界で初めてまともな一夜を過ごすことができたということになる。
(そう言えば、昨日、体を拭き忘れたかも)
サカキは脇の下辺りを手でこすった後、それを鼻に押し当て、なんとも言えない表情をした。
常々、悪臭を垂れ流す駄デブになってはいけないと思っていたサカキである。一日に何度もシャワーを浴び、着替えをすることも日常茶飯事であった。匂い鑑定人もグッドと口が裂けても言わないであろう匂いを周囲に撒き散らすことは、耐えがたいものがあった。
部屋の隅には重石の上に角柱、その上端に蛇口が据え付けられただけの謎の魔道具がある。そこに水道などがつながっている気配はない。蛇口の下には木製の桶があり、その蛇口をひねると桶に湯が溜まっていった。
宿の主人の説明の通りだった。聞いてはいたが、これはなかなかに便利である。そこまでのことが
できるなら風呂まであればよいのにと宿の主人に言ったが、魔鉱石の仕入れにも限度があり、こんな田舎の宿ではできることではないと笑われてしまった。
サカキは魔道具の近くに備えられた棚から布を取り出すと、湯の入った桶に浸し、服の下から簡単に拭き上げた。これである程度きれいになるのであろうが、早く豊かな湯に全身を浸からせたいと思うサカキであった。
◇
相部屋のエデルが目を覚ました後、サカキたちは朝食をとるため宿の食堂に移動した。今日は宿の娘さんではなく、宿の主人が応対してくれた。料理人を兼ねているらしく、エデルが差し入れした大量のカニのハサミ、ならびにガンガン焼きのレシピを教えてくれたお礼にと、朝から特製料理をふるまってくれた。
カニを殻ごと潰して、香味野菜とともにじっくり煮込み、丁寧に裏ごししたという濃厚なオレンジ色のビスク。無骨な木の皿に盛られたそれを、サカキは銀の匙ですくって口へと運んだ。
たったの一滴で分かる程の強烈な旨味。深酒の後の体に染みるようだ。
一口、また一口と手が止まらず、ほぼ空になったところで皿を黒パンで拭い、最後の一口まで腹に収めた。
本当にうまかった。エデルに至っては泣いていた。カニ好きにとってはたまらない一皿であったらしい。
しかし、それだけに惜しい。ここに蟹味噌の風味が加わっていればと。
……。
エデルには教えない方がよいであろう。世の中には知らずにいた方が幸せなこともある。
「おう。サカキ。もう起きてたか」
同じ宿に泊まっている仲間のフランクリンである。エマも一緒だ。合流したところで朝食をとりつつ、今日の活動方針について示し合わせることにした。
「昨日は結構飲んだからなあ。念のためだが、俺とエマは冒険者ギルドに行って、ゼナの遺跡近くを根城にする盗賊団の討伐依頼を正式に受注する。サカキとエデルは村長の家に行って、レジスタンスに加入して行方不明になった娘さんの話を聞く。二手に分かれて行動し、余った時間は盗賊団との戦闘に備え、各自準備をする。……こんな感じだったか?」
「ああ、それで問題ない」
サカキはうなずいた。フランクリンはなかなか酔っぱらうと手が付けられないタイプであったが、意外と記憶はしっかりしているらしい。
「ちょっと気になるところがあるのだけど、いいかしら。盗賊団のことなんだけど、本当に大丈夫? 相当の手練れみたいじゃない」
エマの不安はもっともなところだ。ゼナ島の有名な遺跡近くを根城にする盗賊団など、討伐隊が組まれて早々に駆逐されていてもおかしくない。それなのに盗賊団は放置され、のさばっている。あの血の気の多いリュウジとチョウジも、カンジを殺された恨みがあるにも関わらず手を出せていない。盗賊団が相当の手練れというのは本当のことであろう。
サカキはエマに対する言葉を慎重に選ぶ。昨日の一件でエマとはある程度打ち解けたのであるが、どうしても何かを言った時の反応が怖い。
「まあ、大丈夫……とは言い切れないけど、策はある」
「そんなものがあるの? 聞かせてもらえないかしら」
「俺だけができることだから、ちょっと説明がしにくいかな。現地で試しながらとかになるがいいか?」
「現地で試しながらって……。私たちは命を預けるんだから、そんな適当でいい訳がないじゃない」
サカキは言葉に窮する。エマが言うのは全くの正論なのである。しかし、納得してもらえるだけの説明が自分にできるとは思えなかった。警備員の特技などによるイベントの強引な突破、無限の可能性を現実にする
口をもごつかせるサカキを見ていたかと思うと、エマはふっと笑みを浮かべた。
「まあ、でも信じてみるわ。フランクリンの言うように、あなたには何か特別なものを感じるもの。その代わり、危ないと思ったらすぐに撤退よ」
「エマ殿! サカキ殿に任せておけば、そのようなことは絶対にない! 断言するぞ!」
「俺もサカキを信じてるぜ。それにしてもエデルのおっさんはサカキが絡むと時々おかしいよな」
エマに続き、エデル、フランクリンも一応はサカキの方針に納得のようである。まともに情報を開示しなかったにも関わらず、和やかな空気となったことに胸をなでおろすサカキであった。――この時はゼナ島の盗賊団との戦いがあのような血塗られたものとなることを想像だにしなかった。
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