第21話 魔王オブシディア

 サカキはジョッキのビールをちびちびと飲む。目の前にいる胡散臭さの権化である、風の囁き亭の店主ローガンに対して、どう尋ねていけば求めている情報が得られるか思案していた。


「何かお悩みでもありましたか?」


 難しい顔をしていたためか、先にローガンから話しかけられてしまった。まずはローガンという人物の背景とは関係のない、この世界における一般的なこととして魔王の軍勢について聞いてみようと思った。魔王の軍勢というのは、ここまでの旅で聞いてきた限りでは人間と対立関係にあることは分かっているのだが、なぜ対立し、何をしようとしているのかは分かっていなかった。


 ゲーム的には魔王を倒せばクリアということなのだろう。「あいつは魔王、だから倒さなければならない」というのは、単純明快ではある。しかし、対立関係になっているということは何か理由があるはずなのだ。簡単に正義、悪と二分されるはずがなく、お互いに譲れない正義の名のもとに対立しているのであって、争点における各陣営の主張がどのようなものであるか、サカキは知っておきたかった。


「この島に来たのは初めてでさ。魔王について、この島の人たちと俺たちとの間で認識の違いがあるのかなって思って、誰かに聞いてみたかったんだ。あんた、魔王について知ってることをできるだけ話してくれないか」

「そんなことで難しい顔をされていましたか。お安い御用ですよ」


 実際サカキは魔王のことを全然知らないのであるが、いかにも探究心の強い旅人がしそうな質問になったとは思われた。ローガンは色々と説明してくれた。


 魔王オブシディア――それがこの世界に突如として現れた災厄の名であった。


 ある日、この世界の中心、広大なベレス大陸のおおよそ半分を占める北の荒野、そのさらに北の果てに巨大な隕石が落ちた。城ほどの大きさを誇る隕石が落ちた衝撃は凄まじいものがあったという。大地が揺れ、山が崩れ、海が津波となって世界各地を襲った。


 その日、一つの街が消失した。北の荒野で最も栄華を極め、最も隕石の落下地点に近い街だった。街の名をアルダバラという。


 北の荒野は痩せた土地で気候も厳しく、人が暮らすのに適した場所ではない。にも関わらず、栄華を極めた街が存在していた。それはなぜか。魔鉱石が多く出土し、それを基盤とした経済が成り立っていたからである。


 この世界ではありとあらゆる生物が魔力――ゲーム的にはMPで表現されており、呪文による力の行使の源泉となっている――と呼ばれる力を持っている。魔鉱石は魔力を宿す唯一の無機物である。北の荒野において、この特異な性質を持つ物質が見つかったのは世紀の大発見であった。


 そして魔鉱石をエネルギー源とする魔道具が開発されることにより、世界は一変した。才能の優劣によらず、魔力がもたらす超常現象の恩恵を誰しもが受けられるようになったのである。


 北の荒野でもごく一部の地域に限られるが、魔鉱石を安定的に採掘できることが分かると、アルダバラには学術研究機関も開かれることになり、次々と便利な魔道具が生み出されていった。


 一例として、ローガンは風の囁き亭に吊るされたペンダントライトを指差した。


「魔鉱石の出土が我々にもたらしたものは、まさに革命でしょうな。かの街がどれ程豊かであったかは定かではありません。滅びたのは、なにせ100年近く昔のことですから」


 ローガンは思いを馳せているのか、煌々ときらめくペンダントライトをどこか遠くを見る目で見ていた。話はさらに続いていく。


 栄華を極めたアルダバラは一瞬にして消失した。しかし、それだけで終わらなかった。


 隕石が落下した直後、アルダバラを領有していた王国はただちに調査兵団を組織し、隕石の調査に向かわせた。落下地点は大きく窪んだクレーター状になっており、隕石はその中心に鎮座していた。そこに至るまでの道は険しく、さながら崖のようになっており、かつて存在したはずの街は見る影もなかった。


 荒れ狂う風に行く先を阻まれ、調査兵団には何人もの脱落者が出た。ようやく隕石の近くにたどり着くと、あれほどの暴風であったのに、そこでは不思議と風がやんでいたという。調査兵団にも弛緩した空気がただよい始めていた。


 ――それは突如として起きた。


 隕石から濃く黒い霧が吹き出し、瞬く間にその輪郭を隠していった。それは人が触れると死に至る、瘴気の類であった。


 訳も分からずバタバタと倒れる仲間を前にして、調査兵団は完全に瓦解した。己が使命も忘れて我先にと逃げる者。それに釣られて逃げる者。声を張り上げ押しとどめようとする者。様々な者がいた。それも長くは続かなかった。


『静まれ』とただ一言。調査兵団全員が、まるで頭の中に直接話しかけられているような奇妙な感覚に襲われた。重苦しくも決して不快ではなく、むしろ惹きつけられるような声だった。なぜかその声の言う通りにしなければならないと感じてしまい、固唾を呑んで見守ったという。


 誰一人として近寄ることのできない瘴気の中から這い出る何かがあった。黒く滑らかで冷たい光沢、まるで黒曜石のような欠片をまとった人型の何かであった。


 黒曜石の怪人は外なる世界の神オブシディアと名乗った。この世界の主神の座に挑むため、彼方から到来したという。この世界の主神である太陽神アルバラドはオブシディアの挑戦を受け入れた。人間はアルバラドの子であり、人間を全て滅ぼした暁に主神の座を明け渡すことを約束したという。全ての人間にそれを伝えよとオブシディアは言った。


 さらにオブシディアは自身の欠片を地面にまくと、四体の黒曜石の怪物を生んだ。かつて主神の座をかけた戦いに敗れ、力を失った古き神々に復讐の機会を与えたという。


 夜の神は、常闇の悪鬼に。

 風の神は、暴風の悪鬼に。

 雨の神は、雷雨の悪鬼に。

 水の神は、海嘯の悪鬼に。

 

 かくして古き神々は姿を変えられ、オブシディアの手勢となったのであった。


 その場から生きて帰された調査兵団はその日あった出来事を王国へと報告した。それは世界中に伝わることとなった。初めは与太話と疑う者ばかりであったが、今となってはもういない。オブシディアの手勢となった悪鬼の軍勢が各地を侵略し、人々が日々の生存をおびやかされるようになったからであった。


 日々の生存をおびやかす存在を神などと呼ぶ者はいない。誰が言い始めたのかは分からない。いつしか人々はオブシディアを魔王と呼ぶようになったのだ。


「――どうでしょうか? サカキさん、でしたね。私の知る魔王について、あなたの認識と相違がありましたかな?」

「うーん……。いや! あんたの知っているとおりだったよ!」


 ローガンの問いにサカキは若干言葉を濁した。魔王のことは全く知らなかっため、実際はイエスでもノーでもないのであるが、一般常識としてそのような設定があるのだろうということで話は適当に合わせた。酔っぱらった勢いでサカキはさらに言葉を重ねる。

 

「それにしても魔王のオブシディアもクソだけど、この世界の神のアルバラドも大概だよな! どんな駆け引きがあったのかは分からんが、人の知らないところで勝手な約束をして、人に迷惑をかけてんじゃねえっての!」


 ローガンは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた。そして一拍置き、大笑いした。


「――全く! そのとおりですね! そのまっすぐな物言い。あなたのこと、とても気に入りましたよ」


(俺はあんたの丸メガネ、嫌いだけどな!)

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