第20話 風の囁き亭

 ミール村を少しぶらぶらした後、サカキとエデルはフランクリンたちに先んじて、風の囁き亭の近くまでやって来ていた。日が落ちるにはまだ少し早い時間だ。


 ――風の囁き亭。


 扉付近にある木製の看板に、ファンタジー文字でそう書かれてあり、サカキは違和感なく読むことができた。創造主による言語知識のインストールが無事完了したからであろう。


 サカキが初めてファンタジー文字を見た時、なぜか日本語で読めてしまう奇妙な感覚に襲われ、急に倒れてしまった。言語知識のインストールを事前にやっておくはずが忘れてしまい、慌てて急速にインストールを行った結果、脳を焼き切り死なせてしまったと、創造主に初めて聞いた時は怒りを通り越して呆れてしまった。


 しかし、転生により一つ上の次元の肉体、それにトランスパワーなる未知の力を手に入れることが出来たのは僥倖であった。過ぎたる力ゆえ、この世界とは別のヒトツクの世界における創造主の承認がなければ元の世界に戻れないそうだが、あまり元の世界に戻りたい気持ちのないサカキにとって、そこはどうでもよかった。


「少し早く着き過ぎたかな」

「まあ、先に少し引っ掛けるぐらいは構わんだろ」

「それもそうだな」


 さっさと酒を飲みたかったサカキであり、待とうと言われても説得するつもりで、さして意味のある問いかけではなかった。エデルもきっと同じ気持ちだったのであろう。そんな会話を交わしつつ、サカキたちは風の囁き亭に入店した。


 黒檀のような重厚な風合いを持つ木材がふんだんに梁や柱に使用された屋内には、ツタのような装飾を施されたペンダントライトがそこら中に吊り下げられ、少し薄暗い中で暖かな光を放っていた。ミール村に電線などはインフラとして整備されていない様子だったため、魔法的な何かをエネルギー源としているのであろう。


 時間帯のせいか店内の客はまばらであり、酒場特有の喧騒はそこまで感じられなかった。周りの様子を伺っていると老婆の声がサカキに投げられた。


「いらっしゃい。二人かい? カウンター、テーブル、どっちも空いてるよ」


 その声に振り向き、サカキは驚いた。しわくちゃの顔にワシ鼻。腰は大きく曲がり、白髪だらけのウェーブがかった長い髪を後ろで一つに縛った、魔女のような風貌の老婆がそこにいた。


(スタジオジ○リだと……!?)


「今は二人だが後からもう二人来る。それまではカウンターということでよいか?」


 あまりのジ○リ感に驚き、応答が出来ずにいたサカキに代わって、エデルがそう答えた。


「あいよ」


 老婆は短く答えて店の奥に消えていった。これはカウンター席ならどこに座っても大丈夫ということなのだろうか。カウンター席は10席ほどあり、まだ誰も座っていないようだ。


 サカキたちは適当な席に腰掛けた。カウンターの奥は店主と思しき小柄な男が後ろを向いて何か料理の仕込みをしているようだった。中年の男らしく、少し白髪混じりで薄くなっている頭髪を後ろに撫でつけていた。


「注文を」


 エデルが小さく手を上げて声をかけると、店主と思しき男が振り向いた。オールバックの髪型、ちょび髭に金縁の丸メガネをした中年男だった。丸メガネの奥の目は細く、俗に言う糸目であり胡散臭さが大爆発している。


 サカキは丸メガネの良さが分からなかった。顔の印象がその丸いシルエットに引きずられ、なんだか少し間が抜けて見えないだろうか。他と違うメガネをしている俺ってオシャレだろ? という勘違いと紙一重の主張も透けて見えてきそうだ。


 その点、サカキは四角い縁無しメガネを愛用している。四角いシルエットにより、顔の輪郭を引き締めつつも縁無しであることによってその存在を過度に主張しない。少しヤンチャな人間が多くかけているイメージもあり、第一印象からあまりナメられない。いいこと尽くめである。


 要は本能的に、この店主と思しき男とは相容れないものがあるなと、サカキは思ったのである。


 男はメガネを少し下にずらし、上目遣いにサカキたちを見た。


「お客さんたち、初めてだね? 何にもない村だが、お気に召してもらえたら幸せだよ。私はこの風の囁き亭の店主をやっている、ローガンという」


 サカキたちも名乗り、ローガンに店のメニューを見させてもらった。ファンタジーな酒でもあるかと思ったが、そこは地球にある酒の種類とそう変わらないようである。


 サカキたちはラガービールを注文した。最初の一杯はやはりビールだろう。飲んだことがあるのかないのか覚えていない、ファンタジー世界定番のエールビールもあったが、サカキにとっては飲み慣れたラガービールが一番だった。エデルはサカキの注文に合わせた形である。


「――はい、おまっとさん! ラガー、二つね」


 カウンターにダンッと注文した酒が置かれた。日本の居酒屋でお馴染みのガラスジョッキに入った、いわゆる生中である。ジョッキの表面からは薄っすら霧が出ておりキンキンに冷えてやがるのではないかと思われた。


 白い雲の冠を被り、とろんとした黄金色の液体はサカキの瞳を捉えて放さない。ジョッキの底から立ち上る小さな泡の一つ一つは艶かしく揺れ動き、サカキの心を捉えて放さない。


 我慢の限界とばかりに手が伸びた。そして――。


「乾杯!」


 二人はガツンとジョッキを合わせた。


 目を閉じ、喉を鳴らし、数秒――。


「かーっ!」


 ダンッとカウンターにジョッキを置く。


 二人はおっさんだった。


 一瞬で喉に来る冷たい炭酸の刺激とアルコールのキレ。鼻に抜けていく麦とホップの苦くも爽やかで豊潤な香りを楽しんでいると、少し遅れてやって来る心地よいほろ酔い感。サカキは危うくノックアウトされそうになった。全ての苦労が報われた。そう錯覚させる魔性。この一口目がずっと続けばいいのに。


「こりゃあ、いい飲みっぷりだな。お客さん。食べ物の注文はいいかい?」


 まだ連れが来ていないから、ナッツぐらいの軽い物ということでローガンには頼んでおいた。


(おっと、いけない。ただ飲みに来たんじゃなくて、情報収集も兼ねているんだった。ちょっと胡散臭いのは気になるけど、あいつに聞いてみるか?)


 サカキはミール村で現在収集したい情報を改めて整理する。


 一つ、魔王の軍勢の目的について。

 二つ、村とレジスタンスの関わりについて。

 三つ、村の門番かつネームドキャラであるハチベエとマタベエについて。

 四つ、冒険者ギルドで息巻いている例の冒険者二人組について。


 大体、こんなところであろうか。ローガンはレジスタンス関係者っぽい匂いがぷんぷんしているが、果たしてどの程度の有用な情報が絞り出せるだろうか。

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